COLUMN

outoftokyo
outoftokyo

Out of Tokyo

147:『オーマイニュース』
小崎哲哉
Date: September 28, 2006
photo
soboro DIALOGUE Vol.2 会場風景
photo
オーマイニュース日本版

「世界最大の市民ジャーナリズム」と称される『オーマイニュース』の創設者、オ・ヨンホ(呉連鎬)氏と話す機会があった(9/12 soboro DIALOGUE Vol.2 『市民メディアって何?』京都市文化博物館別館ホール。京都三条ラジオカフェの福井文雄氏との鼎談)。『オーマイニュース』は2000年に創刊されたウェブ新聞で、韓国版 はプロの「常勤記者」60名に加え、「市民記者」44,000人を擁し、1日100万PVがあるという巨大メディアである。盧武鉉政権の誕生に際して力を発揮したとされ、英語版には現在、約1,300人の市民記者が登録。そしてこの8月末に、日本語版 が創刊された。僕は「市民」という言葉にどうしてもなじめないので、これもこなれていない表現だが「オルタナティブジャーナリズム」と呼んでみたい。既存のメディアとは一線を画する、「別の」「代わりの」ジャーナリズムとして、大いに期待しているのだが疑問も多々感じている。

 

photo
オ・ヨンホ(呉連鎬)氏

著書『オーマイニュースの挑戦』(大畑龍次+大畑正姫訳 太田出版)で、オ氏は(『オーマイニュース』の創刊は)「プロ記者が書き、読者は読むだけ、という一方向の時代が終わり、読者がいつでも記者になれる双方向の時代が来たことを宣言するものだった」と書いている。インターネット時代ならではの画期的な出来事というわけだが、もちろんことはそれほど単純ではない。市民記者の技術の問題がある。他のサイトとの差別化という問題もある。また、オ氏によれば、日本語版『オーマイニュース』は「様々な意見を公平に並べる中立的な場」ということで、サイトにも「オーマイニュースは政治的・思想的な中立を守っていきます」「市民記者が発信する記事は、その事実関係が明確であり、他人の名誉を毀損しないものであり、またテロのような反人道的かつ反社会的な主張を行うものでない限り、編集部によって削除されることはありません。つまり市民記者は編集部から独立しているのです」と書かれているが、言論機関、それもウェブ上のメディアで、そんなことは可能だろうか。さらに言えば、そんなことに意味があるだろうか。

 

市民記者の技術の問題は、実はたいした問題ではないだろう。取材や文章の技術は、適切な指導さえあれば、かなり多くの「初心者」でも獲得できる。また、『Wikipedia』などの例を見ればわかるとおり、市井は専門家の海であり、事実確認も含めて、ジャンルによってはむしろレベルの高い記事が期待できる。熟考しなければならないのは、やはりメディアとしての方向性や政治的立場であり、それこそが成功の鍵を握るのではないか。

 

photo
『ニューヨーカー』2006/8/7 & 14号

米国コロンビア大学大学院ジャーナリズム学部のニコラス・レマン学部長は、雑誌『ニューヨーカー』(2006年8月7日&14日号)に、「アマチュアの時間」という一文を寄稿し、以下のように述べている。まずは(インターネットにおける)「市民ジャーナリズム」の定義から。「『市民ジャーナリズム』とは、報道機関に職を得てはいないが、同様の機能を果たす人々による寄稿記事を刊行するサイトである」。そして、老舗のウェブマガジンや昨今のブログ文化に触れて、「インターネットはメディア批判の場でもあるが、旧来のメディアと真に競合しうるほどに豊かなジャーナリズム文化の域に達しているものはまだない。補遺とはなりえても、代替物になるには至っていない」と現状を分析する。

 

一方で学部長氏は、メディアとしてのインターネットは高く買っている。伝統的な意味での「報道」は「強力な社会的ツールであり、国家や権力者に関する自立的な情報ソースを市民に与えるものである」とした上で、「インターネットは、かつて発明された中で最も報道に適した媒体である」と断言。「本来のジャーナリズムを、優れたものとして支持する必要がある。ネットを用いて、新しい素材を見せる方法を模索するのだ。そうすれば必然的に、報道記事はフルタイムの——兼業の『市民』ではない——記者によって生産されることになる」と続ける。結論は「ジャーナリズムのネットへの移行に伴う、最大のプロジェクトとは記者をネットに移すことだ。彼らを追い払うことではない」

 

photo
photo
左からオ・ヨンホ氏、小崎、福井文雄氏

同記事は、市民ジャーナリズムの美点についても述べているが、力点はやはり「プロ」に置かれているように見える。だがそれよりも、この記事で注目すべきは「豊かなジャーナリズム文化」という表現だろう。「豊か」であるということは、「多様性がある」ということにほかならない。その多様性を日本版『オーマイニュース』は「様々な意見を公平に並べる」ことによって成り立たせようとしている。しかし、インターネットとは中心なき網状の空間であり、多様性は全体として始めから担保されている。ネット空間全体の多様性を深めようとするのであれば、個々のサイトには、むしろ個性を強くすることが求められているはずだ。サラダの中に別のサラダを入れても、それはサラダボウル全体の中に埋没してしまう。新しい素材やスパイスを加え、味を複雑化させることが肝要だ。

 

日本版『オーマイニュース』は、創刊直後から「2ちゃんねらー」の「釣り記事」に翻弄された。右翼的な匿名筆者が多いといわれる『2ちゃんねる』の常連が、自作自演で左傾的な記事を「市民記者」として投稿し、「反2ちゃんねる」的だと憤る2ちゃんねらーたちによって、コメント投稿欄が「炎上状態」となったのだ。当該記事は、事実よりも筆者の主張・意見が先行するものだったが(しかもその主張・意見そのものが「自作自演」のフィクションだったわけだが)、こうした投稿システムの存在および記事掲載基準の曖昧さが、メディアとして実のあるものかどうかも、僕にははなはだ疑問である。主張や意見は、それこそ『2ちゃんねる』などの掲示板や、個々人のブログに任せておけばいい。本気でオルタナティブジャーナリズムを目指すのなら、レマンが主張するように「新しい素材を見せる方法を模索」しなければならないだろう。それは断じてコメント投稿システムなどではない。まずは他とは異なる立場の確立と、その表明が必要である。(2006.9.28)

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。