COLUMN

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Out of Tokyo

145:ZeroOne San Jose
小崎哲哉
Date: August 31, 2006
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サンノゼ美術館でのオープニングレセプション

第1回『ZeroOne San Jose』(8/7-13)に招かれ、サンノゼに行ってきた。第13回『ISEA』(エレクトロニックアート国際シンポジウム)と関連同時開催された、メディアアートのフェスティバルである。フェスティバルと併せて『Global Leadership Forum』という国際会議が開かれることとなり、主催者から「ITや文化を梃子に都市開発を進めている日本の都市はないか」と問われたので横浜市を推薦した。その縁で、取材とレポート執筆を要請されたというわけである。

 

「シリコンバレーの首都」を自任し、IT景気を謳歌していたサンノゼは、21世紀に入って危機的状況を迎えた。過剰投資に戦争やテロへのおそれなどが重なって業界全体が不景気に陥り、2001年から05年までの間に5人にひとり、計185,000人が職を失ったのだ。インド人や中国人技術者はバンガロールや上海へ帰郷・移住し、住宅地も商店街も空き家が目立つようになった。だが8/12-13付の『ウォールストリート・ジャーナル』週末版によれば、今年になってようやく、職を得て転入してくる者の数が転出者を上回ったという。

 

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シューリー・チェン「Baby Love」
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インゴ・ギュンター「World Processor」
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平川紀道「DriftNet Ramp-Shaped Screen Version」

もちろんフェスティバルは数年前から準備されていたのだろうが、『ZeroOne San Jose』にとっても、この流れは追い風となるだろう。主催者の意気込みを証し立てるかのように、徐冰(シュー・ビン)、ジム・キャンベル、シューリー・チェン、etoy、インゴ・ギュンター、シルパ・グプタ、平川紀道、ラックス・メディア・コレクティヴら、150人を超える「最先端(on the edge)」のアーティストが参加し、複数の会場で作品が展示された。初日の8/7には歴史あるカリフォルニア劇場で、池田亮司の映像&音楽パフォーマンス『C4I + datamatics』が上演された(6月に東京で披露された作品と同じもの)。開演前に予定されていたアナウンスがなぜかなされず、開演直後に大音響に驚いた観客のひとりが「うるさい!」と叫んで立ち去ったのがご愛敬だった。

 

『Global Leadership Forum』には、バスク地方、北京、東イングランド、エスポー、グアダラハラ、ヘルシンキ、リンツ、リヴァプール、メルボルン、大阪、サンノゼ、上海、シンガポール、トロント、ウェリントン、横浜、チューリッヒの計17地域・都市が参加した。文化機関、学校、アーティストランスペース、デベロッパー、自治体の都市開発セクションなど背景は様々だが、国や自治体と連携していること、すなわち、何らかの形で公共の資金を導入している点は共通している。僕が推薦した横浜市からは、市の創造都市推進課の担当者、アートNPO「BankART」のスタッフ、そして東京藝術大学(横浜キャンパス)大学院映像研究科科長の藤幡正樹教授が参加した。藤幡は、このコラム(Out of Tokyo 131)で紹介したように、自身アーティストでもある。

 

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討議の模様
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ゲルフリート・シュトッカー

会議のハイライトは、個人的には2日目の討議だったと思う。サンノゼ市のある文化官僚の発言に、ゲルフリート・シュトッカーが反発したのだ。シュトッカーはリンツにあるアルス・エレクトロニカ・センター(AEC)の館長で、この会議の影の主賓格だったのではないだろうか。不況にあえいでいた工業都市リンツに観光客を招き入れ、産業(再)振興策と相俟って市の運営を立て直したのが、ほかならぬAECと、AECを主会場とするアルス・エレクトロニカ・フェスティバル(AEF)であるからだ。同様の構図で「IT&アートによる(再)街おこし」を図るサンノゼにとって、25年以上の歴史を持つAECとAEFは、他の何にもまして依拠すべき参考事例、それも大成功事例であるに違いない。

 

文化官僚氏は、美的で効率的な職場環境が必要だというある建築家の基調講演を受けて、「そうした(美的で効率的な)オフィスやスペースのために、アーティストには何ができるだろう。社会に必要なのはイノベーションに役立つアートだ」とコメントしたのである。これに対して、藤幡と同様に自身アーティストでもあるシュトッカーはあえて発言を求め、「失望した」と述べた。「アーティストに何ができるかではない。あなたたちがアーティストに対して何ができるかが重要なのだ」。そして、前夜の池田亮司公演を例に挙げ、「アーティストは、ときに過激な形で我々に刺激を与える。コンテンポラリーアートは社会を教育しうるし、実験(的アート)は子供に『失敗してもいい』ということを教える。社会は、アートを理解することを教えるべきだ」と力説した。

 

けだし正論と言うべきだろう。もちろん、オフィスの美化・効率化やイノベーションに役立つアートもあるだろうし、その逆に社会にとって迷惑な、もしくは有害なアートだってある。だが、「役立つか役立たないか」という判断基準は、あらゆる表現行為にとってナンセンスであるばかりか、冒涜でさえある。文化官僚氏は、自らの職分に忠実であったかもしれないが、特に行政に携わる人間が、このような発言をしてはならないと僕は思う。

 

9年ほど前に初めてAEFを訪れたとき、オープニング前に会場を歩いて回り、外れた結線を自ら直しているシュトッカーの姿が印象的だった。自分がアーティストであるからこそ、参加アーティストの制作・発表環境を整えたいという気働きが生じ、自然に手が動いてしまうのだろう。『Global Leadership Forum』に参加したアーティストは、藤幡、シュトッカー、それに北京798芸術工廠の創設者のひとり、黄鋭(フアン・ルイ)ら、片手で足りるほどしかいなかった。次回以降は、もっと多くのアーティストを呼び、彼らの意見を取り入れるべきだろう。『ZeroOne San Jose』は隔年開催を予定しているという。(2006.8.31)

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。