

『越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭』が転機を迎えている。第3回となる今回は約200組の作家が参加。前回・前々回から残る恒久設置作品を加えると、東京23区よりも広い760平方キロという広大な地域に散在する作品は337点に上る。現地では、総合ディレクターの北川フラムでさえ全部は観ていない、というジョークを聞いたが、「転機」はこの作品数の多さにも因っている。「アートトリエンナーレ」と銘打ちながら、「非アート」に分類されうる作品が増加し、一方でばりばりの現代美術が、予期せぬ方向から新たに参入しはじめているのだ。

「新規参入」したのは、教育関連企業ベネッセコーポレーションを率いる福武總一郎。瀬戸内海に浮かぶ直島に、現代美術作品を多数展示するホテル「ベネッセハウス」をつくったり(1992年)、クロード・モネ、ウォルター・デ・マリア、ジェームズ・タレルのみを収蔵する「地中美術館」を建設したり(2004年)と、斯界ではよく知られたコレクターである。ちなみにふたつの建物の設計は安藤忠雄が手がけており、直島の別の敷地には、アーティスト杉本博司に設計・復元させた「護王神社」(02年)もある。


福武は自らの広い人脈を利用して「資金集め担当」(本人談)を務め、一方で日本を代表する7つの現代美術ギャラリー(+東京大学総合研究博物館)に声をかけ、廃校となった小学校を舞台に「福武ハウス」なる展示空間をつくりあげた。ディレクターはインディペンデントキュレーターの飯田高誉。出展したのは、ベテランの菅木志雄(小山登美夫ギャラリー)から、中堅の染谷亜里可(ケンジタキギャラリー)、ジャナイナ・チェッペ(nca)、小金沢健人(ヒロミヨシイ)、若手の鬼頭健吾(ギャラリー小柳)、榎本耕一(ヒロミヨシイ)らまで11作家。展示のみで販売はしないから画廊の儲けは見込めず、経費は福武が個人的に負担した。「西の直島と東の妻有が手を携えて進む。将来的には参加ギャラリーを海外からも募り、アートマーケット的なものを定着させたい」と鼻息は荒い。今回、最も評価が高かったのは、別の廃校全体を用いたクリスチャン・ボルタンスキーとジャン・カルマンのインスタレーションだったが、この作品の命名権を買うことも検討中とのこと。購入が実現すれば「直島地中美術館越後分館」と名付けたいと言う。

この流れはしかし、もちろん北川も承認したものではあるのだろうが、トリエンナーレ全体のイメージを、これまで以上にぼやけさせるものではないか。前回までも「出展作品の質があまりにも違いすぎる」「『アート』の名に値しない作品が多い」という批判はあった。特にファインアート業界からその批判は強く、福武の参入も同じ動機に基づいているように見える。他方、北川は今年のテーマを「土」と設定し、INAXギャラリーのチーフディレクター、入澤ユカの協力を得て、土をモチーフとする、あるいは素材として用いるつくり手を多数招聘した。中には陶芸家も含まれ、これまで焼き物の伝統がなかったこの地域に「妻有焼」を誕生させようという動きも出ている。ドミニク・ペローやみかんぐみら、建築家も参加しているから、「ジャンル拡散」の印象はますます強くなる。

妻有の場合、「過疎化の克服」「町おこし」という大テーマがあるから、地域外からの観光客を呼べるのであれば、「出し物」は何でもいいという見方もあるだろう。だが、実際に現地に行くと、やはり気持ちの悪い違和感が残る。ひとつには「アートトリエンナーレ」という名称に問題があるのではないか。「art」は「芸術」とも「美術」とも取れるし、実際このトリエンナーレは「芸術祭」を名乗っているが、「アートトリエンナーレ」といえば、普通はファインアートのフェスティバルを連想する。ファインアートのみのフェスティバルになることは、少なくともすぐにはありえないだろうから、違和感解消のための現実的な手段のひとつは、正式名称から「アート」の3文字を取り除くことではないか。
話は変わるが、7/29-30には『トヨタ コレオグラフィー アワード』最終審査会『ネクステージ』が上演・審査発表された。「オーディエンス賞」は初日が康本雅子、2日目が遠田誠。「次代を担う振付家賞」は白井剛が受賞した。「あー、またかよ」というのが感想である(Out of Tokyo 090 / 091参照)。
白井の作品はすばらしかったが、「伊藤キム+輝く未来」を経て「発条ト(ばねと)」を設立したこの振付家/ダンサーは、すでに長いキャリアを持っている。「次代」どころか、とっくに「現代」を担っているのだ(このアワードは「ジャンルやキャリアを問わず、日本から発信される振付家を広く公募」している。業界では「勅使川原三郎が応募したらどうするんだ?」というジョークが飛び交っている)。さらに、「コレオグラフィー」への賞であるにも関わらず、自作自演のソロ作品が多すぎる。誰に対しても普遍的に適用できるからこその振付であり、そのための賞ではないのか。
ここでも問題は名称であると考える。「コレオグラフィー」という一語を外し、『トヨタ ダンス アワード』になぜしないのだろう? そのほうが実情に即しているし、こんな(僕のような)外野からの文句も出ない。賞の意味も、いまよりははるかに明確になる。英語が不得手な人が舌を噛むことも少なくなる。
論語に曰く「必ずや名を正さんか」。「言葉と実在は一致しなければならない」という意味である。芸術祭もアワードも、ぜひ名を正してほしい。(2006.8.3)
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。