COLUMN

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Out of Tokyo

143:サッカーを通じて世界を見る
小崎哲哉
Date: July 20, 2006

今年のワールドカップサッカーは、僕にしてはかなり本腰を入れて観た。RTでスポーツの話題? といぶかしむ向きもあるかもしれないが、ノンフィクション作家/評論家の佐山一郎氏をゲストに『サッカーを通じて世界を見る』というトークイベントを行うのが理由のひとつだ(7/27『先見清談』)。佐山さんは僕が別途編集しているウェブサイト『先見日記』の寄稿家のひとりで、編集者でもあり、非常に優れたサッカー評論家でもある。

 

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その佐山さんに教えられて瞠目したのが『世界の作家32人によるワールドカップ教室』(白水社)という本だ。その名の通り、『ぼくのプレミア・ライフ』のニック・ホーンビィ、『ユニヴァーサル野球協会』や『女中の臀(メイドのおいど)』のロバート・クーヴァーら、主に欧米の小説家や編集者やジャーナリストが寄稿したアンソロジー。今回のワールドカップに参戦した32カ国について、それぞれの書き手が自分史と重ね合わせながら、国情やサッカー史や代表チームの特徴を綴っていて無類に面白い。

 

原著の版元は英国の文芸誌『グランタ』を刊行する出版社で、編者のひとりは同誌の副編集長である。なるほど企画の発想自体、英国的ユーモアに裏打ちされていて、かつ『グランタ』的知性に支えられていると思う。例えば『タイム』日本支局の上席編集者だというジム・フレデリックによれば、「日本にはタラコとウニをトッピングしたピザや抹茶ラテがあり、(中略)民主主義国家なので有権者は定期的に投票に行くが、権力を握るのはつねに同じ党である(自由民主党という名前だが、別に自由主義的というわけでもなく、格別民主的だというわけでもない)。伝統的な和式便所はほぼ絶滅したが、それにとってかわった洋式の椅子型トイレはただの水洗式ではなく、温水の噴流でお尻をきれいに洗ったうえに温風を吹きかけて乾かしてくれる……」(柳下毅一郎訳)

 

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編者による「まえがき」にはこう書いてある。「冷厳な事実・データと偉大な作家の文章とを融合させて、有用かつ異例の本ができないものだろうか? その本を繙けば、初戦から決勝戦までワールドカップ観戦に必要なすべてが載っており、同時に出場国の情報も分かるという本はできないものだろうか(中略)どのワールドカップの時でも、チームや選手についての特集記事を組む雑誌や新聞はたくさんある。確かに、その中には必要なものもあるが、何かが欠けている。つまり、サッカーを一つのレンズにして、それを通して、そしてそれを口実にして、もっと広い世界に学ぶことが必要だと思ったのだ」(山西治男訳)

 

32本のエッセイ(+まえがき+序論+総括+あとがき)を粒ぞろいということはできない。だが編者の思いは、かなりの程度達成されているとはいえるだろう。よほどのサッカーファンであっても(あるいは国際的なジャーナリストであっても)参加32ヶ国のすべてについて、ここまで微に入り細をうがって、実情や背景を承知していた者はいないのではないか。現に編者自身が「おかげで、私はかつてよりも海外事情に詳しくなった」と書いている。「パラグアイのどこに行けばワニ革を見つけられるのか。ポルトガルのどこでサーフィンができるのか今の私は知っている。(中略)二百万人以上の奴隷がアンゴラからアメリカ大陸や西インド諸島に船で運ばれた史実や、メキシコが第三世界の国々の中で最も豊かな国でありながら、先進工業国の中では最も貧困であるという事実も知った。ペルシア語で「ペニス」を何と言うかも学んだ(と思う)」(同前)

 

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頭突きで話題のスーパースターを撮影した映画『ジダン 神が愛した男』をつくったアーティスト、ダグラス・ゴードンとフィリップ・パレーノは、サッカー1試合が1本の映画とほぼ同じ時間を要することに着目し、アンディ・ウォーホルが眠る男を5時間以上撮影した『スリープ』などにも影響を受けて、「21世紀における肖像画」をカメラを使ってつくろうと決めた、と告白している。17台にも及ぶカメラでジダンの動きのみを追い続けた95分の映像は、いわゆるドキュメンタリーとはまったく異質の視覚体験をもたらしてくれる。現実のピッチでも、数台のカメラによるテレビ中継でも決して観ることのできない、抽象美とさえ呼びたくなるような静謐な「絵」が、芝やジダンの肉体などの鮮明な細部とともにスクリーンに映し出されるのだ。

 

制作者が意図しなかったドラマティックな試合展開を別にすれば、映画はきわめて静的に進行する。例外は、ジダン自身の幼時の映像と、哲学的とも呼べる独白、そして、突然挿入される様々なニュースリールだ。試合が行われた2005年4月23日に、世界中で起こっていた事件や事故や戦闘、開催された国際会議や死亡した著名人などの映像が、暴力的と言ってもいいくらい唐突に、レアル・マドリードとビジャレアルの戦いを遮って現れる。

 

『世界の作家32人によるワールドカップ教室』と『ジダン 神が愛した男』は、同一のメッセージを発している。サッカースタジアムはひとつの小世界である。だが、その小世界を含む大きな世界は確かに存在し、小世界とは一見無関係な事象が絶え間なく生成している。そして実際には、それらの事象は相互に無関係ではあり得ない。こんな書物やアート作品が、サッカー後進国でもいずれは生まれてほしいと思う。(2006.7.20)

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。