COLUMN

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Out of Tokyo

140:レントゲンの日々
小崎哲哉
Date: June 08, 2006
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左から、飴屋、山本、椹木、飛び入りの八谷和彦、池内の各氏

数字の6が3つ並ぶ06年6月6日に、おなじみスーパーデラックスで『元服』というイベントが開催された。現在はレントゲンヴェルケと名乗るレントゲン藝術研究所の設立15周年を記念する催しで、僕はトークショーの司会を担当した。スピーカーはアーティスト/パフォーマーの飴屋法水、現代美術批評家の椹木野衣、かつてのレントゲン・スタッフで現在は山本現代の代表であるギャラリストの山本ゆうこ、そして藝術研究所創設者にしてレントゲンヴェルケ代表の池内務の各氏。いずれも初期からレントゲンの活動に関わった面々だ。僕は15年間を通じて、ときどき足を運ぶ程度の単なる部外者だったが、インサイダーとは違う距離が取れるという理由で声をかけてもらったのだった。

 

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Techno Heavenによるライブ

レントゲンには、現在のアートシーンを牽引する顔ぶれが、とんでもなくたくさん集まっていた。1991年から95年まで大森にあった「藝術研究所」のみに限っても、村上隆、中原浩大、ヤノベケンジ、岩井成明、飴屋法水(とTechnocrat)、八谷和彦、ヴォルフガング・シュティラー、会田誠、小沢剛、三上晴子、福田美蘭、中島花代、松蔭浩之、曽根裕、真島竜男、中山ダイスケ、山塚EYE……という錚々たる顔ぶれが、個展あるいはグループ展を開いている。飴屋のような演劇出身者や、大友良英、灰野敬二、暴力温泉芸者(中原昌也)のような音楽家もイベントに参加した。根本敬(漫画)や伊藤ガビン(編集/ゲーム)ら、畑違いと思われていた表現者が「アートデビュー」を飾ったのもここでだった。彼らを招き入れたのは椹木で、自著を1冊しか出していなかった彼が、キュレーションを初めて行ったのもレントゲンでである。もちろんみんな若く、ほとんどが無名だった。

 

加えて、スタッフや常連には、将来キュレーターやギャラリストやコレクターとして「シーン」を支えることになる、若きアートファンが数多くいた。アートファンというより、「何かをしたいけれど何をしたらよいかわからない」という、もやもやした思いを抱えた行きどころのない若者たちだったと言うべきかもしれない。岡崎京子の漫画をひもとくまでもなく、80年代は原宿にあったピテカントロプスが東京サブカルチャーの牙城だった。2000年代は、いまのところスーパーデラックスだろう。そして90年代は、やや遅れて産声を上げたP-Houseとともに、レントゲンが担っていたと言っても過言ではない。飴屋による、HIV感染患者から採取した血清を加えた「血液プール」などの過激な展示もあった。

 

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作家自身による村上隆『Wild, Wild』展 (1992) の
精緻な会場プラン

トークの合間には、村上の初個展の模様など、「お宝」的な映像がいくつか流された。いまやアートとデザインの両域を軽やかに行き来する宇川直宏が、飴屋によって椹木に初めて紹介されたのも大森時代のレントゲンでだった、という貴重な挿話も出た。だが僕がいちばん面白いと思ったのは、終盤に飴屋が「あの頃、池内さんはあまり楽しそうに見えなかった。なぜ?」と問いただしたことだ。すぐに山本が「そういえば池内さんは、椹木さんキュレーションの『909-ANORMALY 2』展のときに、きんさんぎんさんがフェラチオしている根本敬さんの絵などを観てげんなりしていた」と証言し、池内も「自分の趣味でない展示もあった」と認めた。すごいのはそれに続いての池内の述懐で、椹木に「ほんとにこういうのが好きなの?」と訊いたら、「好き嫌いの問題じゃない。こういうのをやらなくちゃだめなんだよ」という答が戻ってきて、「そうだよなあ」と一緒にうなずいたのだという。

 

あの時代にあって、いまの時代に欠けているものは、この使命感ではないか。「何かを変えたい。何かを生み出したい」という強い欲望と使命感があったからこそ、相異なるバックグラウンドと志向性を持つ才能が相次いで登場した。過激さが反発と同時に共感を呼び、ジャンルを越えた出会いが続々と成立した。そして、ポジティブなフィードバックループを生成したのだ。言うまでもなく、誰もが若かったらこそあり得た循環だが、逆に言うと、この時代にレントゲン的な活動を再現できるのは若い世代でないとあり得ない。前述したように、僕は寡聞にしてスーパーデラックスの例しか知らないが、広大な都市のどこかに、90年代のレントゲンに匹敵するような特異点が、密かに育ちつつあることを信じたい。

 

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Wolfgang Stiller『Laboratorium』展 (1993)

 

ところで、そんな思いとまったく逆行する、信じがたいほど情けない事件が起こったことも報告しておきたい。イベントに先立つ6月3日の早朝、レントゲンヴェルケと同じ六本木コンプレックスビルにあるギャラリーmagical, ARTROOMに若いと思われる2人組が不法侵入し、展示を終えたばかりのヤマタカ(山塚)EYEの作品、約90点(と土川藍+小林亮平の作品9点)を盗み出したというのだ。パソコンや現金は手つかずだったというから、犯人の意図は明らかである。このために、予定されていたヤマタカEYEの作品集出版は一挙に危ぶまれる事態となった。「ひいきの引き倒し」とでも言うべきか、およそ作家のことも、他のファンのことも考えていない心ない自称ファンの仕業だろう。

 

愚かで情けない2人組に告ぐ。君たちの愚行は君たちが敬愛する(であろう)ヤマタカEYEをも含む、「レントゲン」的な精神に対する最悪の冒涜だ。赦されたいと思ったら方法はひとつしかない。即刻作品を返却しなさい。絶対に壊したり捨てたりするなよ!(何か知っている人は、匿名投書でもいいから教えてね)(2006.6.8)

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。