COLUMN

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Out of Tokyo

135:シムリン・ギルと過ごした午後
小崎哲哉
Date: March 23, 2006

日豪交流年ということで、オーストラリア政府が、メルボルン、シドニー、ブリスベンへのリサーチ旅行に招待して下さった。かねて現地の様子をこの目で見たいと思っていたので、もちろんありがたくお引き受けした。ところが送られてきた日程表を見ると、あちゃー、移動日込み10日間でミーティングが60本近く。会うべき人は軽く100人を超える。いずれも文化行政やアート業界の重要人物ばかりで、そんな多忙な人たちのアポイントメントをよくもここまで押さえられたという点では感心したが、他方では、こんなに働かせるなんて、と呆れるやら憤るやら。東京の大使館のTさんに心の中で呪詛の言葉を吐きながら、ともあれ成田を発った。

 

現地に着いてみると、呪詛の念はだんだん薄まってきた。移動が慌ただしいことは確かだが、会う人々が例外なくフレンドリーで、熱心で、それぞれの仕事に情熱を燃やしている。細部にはもちろんいろいろな問題があるのだろうが、オルタナティブスペースやアーティストランスペース、商業ギャラリー、行政主導型のプロジェクトなど、どれを見ても学ぶべきところが多々あって面白かった。それに何より、オーストラリアは食べ物が美味しい。顰蹙を買うだろうから詳細は書かないけれど、あれやらこれやら、あそこの中華の○○○やら、どこぞのタパス・バーの×××やら……。あー、思い出すたびに唾が湧く。

 

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閑話休題。今回いちばんうれしかったのは、何人かのアーティストに会えたことだ。中でもシムリン・ギルと過ごした午後のことは忘れられない。シムリンはマレーシアの血を引くシドニー在住の作家で、インスタレーションや写真など様々なメディアで、記憶や環境、個人と共同体の歴史といったテーマを追求している。CCA北九州や資生堂ギャラリーで個展を開いたこともあるから、日本にもファンが多いと思う。いまはロンドンのテート・モダンで個展を開催中だ(5/7まで)

 

シムリンが住んでいるのは、シドニー郊外のマリックヴィルという地域だ。大使館情報によれば、「140以上の国籍の人々が住む、オーストラリア屈指の多文化地域」である。静かな住宅街にある平屋で、夫と子供ふたりの4人暮らし。訪れたのが休日とあって、シドニー大学人類学部教授を務める夫のヤオ・スーチョウは、中庭の籐椅子で読書中だった。盗み見するつもりはなかったけれど、『Best American Short Essays 1993』という書名が目に入った。僕がクロード・レヴィ=ストロースに会ったことがあると話すと、「彼の学説はもう時代遅れだけどね」と言いながらもうれしそうな顔をした。

 

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映画好きだという教授と、緑茶をいただきながら黒澤明や北野武の話をした。その後、「用事がある」という教授と長女を置いて、シムリン、長男と一緒に外へ出て昼食を摂った。歩いて10分ほどのところにある一家の行きつけのヴェトナム料理店で、注文を受けるときや料理を運んでくるときに、いちいち不思議なウィンクをするハンサムでコメディアンふうの店主がいる。シムリンおすすめの豆腐と野菜が入ったフォーは、あっさりとした塩味ながらコクのあるスープが素晴らしかった。周囲を見ると、アジア系の顔も白人もいる。

 

「ここはどちらかと言えば中流の住宅地なのね。車でちょっと離れたところにキャンプシーという街があって、そこはちょっと面白いところ。韓国人が多いけれど、ほかにも、中国、ヴェトナム、フィリピンなどアジア人や、レバノン、エジプト、インディアン・ムスリムらも住んでいる。焼肉とキムチとか、ご飯も美味しいわよ」と、これも実に美味しい麺を啜りながらシムリンが言う。そんな言葉を聞いて、好奇心が頭をもたげない方がどうかしている。連れていってほしいというと、「喜んで!」という返事が戻ってきた。

 

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キャンプシーまでは車で20分ほどだった。一見、普通の街と変わりないけれど、よく見ると英語以外の言語があふれている。魚屋や洋服屋やクリーニング屋に、中国語やヴェトナム語やスペイン語の文字が並ぶ。キリスト教の教会にもハングルが記されている。韓国語や中国語に交じって、日本語もちらほら聞こえる。街を歩いているのは、圧倒的に黄色い、あるいは褐色の肌の人々。インディカ米の匂いに、魚やスパイスの匂いが混ざる。パリで言えばベルヴィルあたり、ニューヨークならクイーンズに相当するのだろうか。

 

小一時間ほどの町歩きの間に、シムリンが何度も呟くように言った。「ここに来ると落ち着くの」。ゆったりとした気分に、自分もなっていることに気がつく。もっとも、このエリアのまわりは完全にレバノン人の街で、レバノンと韓国の少年たちが衝突することも多いという。異文化の共生というのは簡単だが、現実は一筋縄ではいかない。「フランスでイスラム教徒のブブカ着用が問題になっていることをどう思う?」と訊くと、アーティストは直接問いに答えず、こんなことを言った。「『マルチカルチャー』っていろいろな人が言うけれど、そんな理屈以前に、誰もがどこでも好きなところに生きる権利があると思う」「スーチョウが『マレックヴィルに引っ越す』って大学の同僚と話したら、『なぜあんなアジア的なところに住むのか』って訊かれたんですって。私たち、アジア人なのにね」

 

そう言って笑うシムリンは実にチャーミングだった。彼女の作品には、彼女のルーツに、そして彼女自身に根ざしつつ、同時代に生きる人々に地域を問わず訴えかけてくるものがある。その理由は、ここシドニーの郊外にこそあるのかもしれないと思った。マレックヴィルやキャンプシーは、たとえば彼女が写真シリーズ『Standing Still』で撮影した東南アジア各地にある廃墟と化した欧米風建物とは対極にある。その「死んだ」風景とは対照的に、ここでは街は、地に足がついた人々の暮らしとともに、力強く「生きて」いる。

 

大使館のTさんへの呪詛の念はすっかり消え失せていた。むしろ、感謝の念が湧きはじめていた。(2006.3.23)

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。