COLUMN

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Out of Tokyo

134:遠くに住んでいる人からの伝言
小崎哲哉
Date: March 09, 2006

不思議な封書が届いたのは昨年12月のことだった。封筒の中には、写真を切ってつくったらしい栞と広尾にある古書店の位置を示す手書きの地図、それに「電話で約束した上でこの店を訪ね、ご主人に『遠くに住んでいる人からの伝言です。その指輪は見馴れませんね』と言って下さい」という謎めいた手紙が入っていた。差出人はヘルシンキに滞在中のアーティスト、三田村光土里。この手紙が白昼夢のような得がたい体験をもたらしてくれる契機になるとは、そのときは想像もしなかった。

 

年末年始は何かとバタバタしていて、実際に足を運んだのは年が明けて2月になってからである。いまにも雪が降り出してきそうな寒い日で、目的地にたどり着いたときには体の芯まで冷えきっていた。「古書一路」はメインの道から一筋入った、住宅地の目立たないマンションの中にあった。地図がなければ見つけられなかったに違いない。

 

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チャイムを鳴らすと、僕と同世代と思しき店主が扉を開けてくれた。小さなワンルームの真ん中に応接用のテーブルと椅子が据えられ、それを十幾つかの書棚が取り囲んでいる。傍らにある硝子ケースには、三島由紀夫の初版本が数冊、意匠を凝らした万年筆が20本ほど並んでいる。堀江さんと名乗る店主と挨拶を交わし、紅茶を入れてもらっている間に書棚を見た。蔵書は日本近代文学が中心で、非常に趣味がよいことは最初の一瞥でわかった。

 

紅茶を頂戴し、照れくささを押し殺しつつ芝居がかった台詞を呟くと、堀江さんが「それ」を持ってきてくれた。大ぶりの白い封筒で、中央に三田村さんの字で「二百十日・野分」と書いてある。封を切ると、「三田村蔵書」という蔵書印が押された新潮文庫版の同名書と、「小崎様」と宛名が記された手紙が1通。「この度はお忙しい中、ささやかな私の作品にお付き合い下さいましてありがとうございました。この本の161ページに届けていただいた伝言があります。この本はどうぞ、お持ち帰り下さい。毎日、全く理解できない言語に囲まれて暮らしながら、日本語という同じ言語で深く関り合えることに感謝してこの作品を作ってみました。 2005年冬 三田村光土里 拝」とあった。

 

鼓動が速まるのを感じながらページを繰ろうとすると、161ページは難なく開いた。栞が挟まっていたからだが、それは12月に受け取った栞の片割れだった。2枚を並べると、川原かどこかに佇む雀を写したものであることがわかる。そしてページには、もちろん例の文言があった。「その指輪は見馴れませんね」

 

あまりにもミステリアスな成り行きの果てに訪れた、あまりにもうれしい不意打ちだった。「野分」を読んだのは高校生か大学生の時分で、こんな台詞があったこと、さらには物語そのものまでまったく忘れてしまっていた。後で読み返すと、理想に燃えた文学者の主人公が、世間や現実の厳しさと戦いつつ道を貫こうとする、感動的といえば感動的な、青臭いといえば青臭い話である。それにしても、僕が漱石の愛読者であることを、どのようにして三田村さんは知ったのだろう。これまでに何度か会う機会はあったけれど、そんなことは話していないと思う。酔っぱらっていて、記憶をなくした可能性は否定できないが。

 

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堀江一郎氏

堀江さんは一見穏やかな、しかしいかにも文学を愛する人らしく、何かを内に秘めているような魅力的な方だった。聞けば店を開いたのは昨年の夏で、それまでは別の仕事をしていたという。当初はご自分の蔵書でスタートしたそうで、つまりは文学への思い断ちがたく、ということだろう。初対面だったが、三田村さんの話、本の話に花が咲き、気がつくと2時間近くが経過していた。三田村さんが手紙を送ったのは30人。作品に感動し、お礼にここで本を買ってヘルシンキに送った人もいるという。よいアイディアだと膝を打ち、ある作家の本を求めたがあいにくなかったので、後日あらためて送ることにして店を出た。

 

多くのアートファンには理解してもらえないかもしれないが、僕には作品を収集する癖がない。金がないという大きな理由以外に、かいつまんで言えば、「所有」よりも「体験」が大切だと考えているからだ。この作品はまさしく体験的で、しかもその体験は僕にとって贅沢なものであり、だからこそ肌が粟立ちかねないほど感動的だった。作家自身が以前に読んだ本も作品の一部として手に入れられたのだから、所有欲も満たしてくれたというべきだろうが、それはさておき、儚く消えゆく一瞬に永遠を閉じこめたかのような一期一会的な何か、かたちのない何かを体験させてくれるアート作品は確かに存在する。そのような作品を収集することはもちろんできないが、だからこそコレクターとは異なる幸福感を体験した者にもたらしてくれる。アートというより、むしろ音楽的な何かかもしれない。

 

「古書一路」を出ると、夕暮れの街はいっそう寒さを増していた。近くに昔よく行ったバーがあることを思い出し、ちょっと時間が早いけれど一杯ひっかけて体を温めることにした。三田村さんはアート界に知られた(よき)酒飲みでもある。スコッチを注文し、「遠くに住んでいる人」へ感謝の思いを込めてひとり乾杯した。「野分」をぱらぱらとめくると、ゆったりと時間が流れた幸せな午後と、これまでに読んだ本、出会った人のことなどが思い出され、ウィスキーの香りと混ざり合って心まで温まった。グラスを傾けているこの瞬間さえ、三田村光土里の作品の一部かもしれないとふと思った。(2006.3.9)

※三田村光土里「遠くに住んでいる人からの伝言」記録展 開催概要

会期:3月9日(木)〜4月9日(日) 月・水は休業
時間:13:00〜19:00 (3月9日は21:00まで営業)
会場:古書一路
   東京都渋谷区広尾3-8-13 ハイツヒロオ102号
   TEL/FAX:03-3406-6645
   日比谷線「広尾」駅より徒歩10分
   都バス・渋谷駅発日赤医療センター行き「東京女学館前」下車徒歩3分
   (地図は下記HPの店舗案内をご参照ください。)
   古書一路HP:http://home.k01.itscom.net/ichiro/

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。