


アーティストの小沢剛がREALTOKYOに書いた一文が、日本アート界の一部に波紋を巻き起こしている。1月15日まで開催中の第2回広州トリエンナーレに、中国人作家のチェン・シャオション(陳劭雄)と合作出展した作品が、文化局の役人によって検閲され、一部を消すことを余儀なくされたというのだ。詳しくは「昭和40年会の東京案内 第19回」を読んでいただきたいが、「8月15日は終戦記念日或いは敗戦記念日」と書いた箇所の塗りつぶしをさせられたという。「敗戦記念日とわざわざ書き足して気を遣っていることをシャオションが訴えたが、この時期にわざわざデリケートな部分を扱うこと自体が問題だと言われてしまった」と小沢は悔しそうに書いている。「この時期」というのは、小泉純一郎首相の靖国参拝などにより、日中関係が緊迫している現状を指しているのだろう。
広州トリエンナーレについてはこの連載でも触れたが(第127回)、「赤い資本主義国家」中国において、現代アートや国際展は開放政策によって成立しているものであると同時に、開放政策を特に国外にアピールするための道具となっていることは間違いない。だが、そのような状況下であっても、全体主義国家において検閲が存在することを忘れてはならない。自由主義を標榜する国においてでさえ、プチ検閲や政治的理由による自粛は起こりうるし、現に起きている。その現実を変えるべく、作家や関係者は声を挙げ続けるべきであり、小沢のテキストは、蟷螂の斧かもしれないが紛れもない斧なのだと思う。

それにしても、ビエンナーレやトリエンナーレなど、国際展が持つ意味と意義とは何なのだろうか。アート自体の啓蒙普及、国際的な文化交流、集客による地域振興などが教科書的な答だろうが、それらはいまもって有効だろうか。2004年12月に開催された「横浜会議2004」の記録集(BankART 1929『横浜会議2004—なぜ、国際展か?—』)を読むと、日本を代表するキュレーターたちは、いずれもこの答を支持しているように見える。「多様性に出会う場所」(長谷川祐子)、「地域そのものを活性化する」(北川フラム)、「第一義的には市民のため」(南條史生)といった具合だ。
現・金沢21世紀美術館芸術監督の長谷川は第7回イスタンブール・ビエンナーレ(01年)のアーティスティックディレクター、北川は『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』(00年、03年、06年)の総合ディレクターだ。現・森美術館副館長の南條は第1回横浜トリエンナーレ(01年)のアーティスティックディレクターのひとりであり、南條と長谷川はヴェネツィア・ビエンナーレ日本館のコミッショナーを務めた経験もある。ちなみにこの会議は、磯崎新が横浜トリエンナーレ2005のディレクターを辞任することを示唆した場であるが、磯崎は、国際展はアーティストにとって「プロモーションに絶好の場」であり、「世界のアートマーケットの仕組みが背後にある」と述べている。それに対して南條は、「それは60年代の認識であり、現在の評判のいい国際展はコマーシャルギャラリーに依存していない」と反論している。

磯崎と南條が対立した論点はいろいろな意味で面白いし、事実の検証を望みたい。とはいえ、不毛な水掛け論に終わるような気もする。それよりも、1月17日に発売される『ART iT』の連載「日々の思索 第2回」で、長谷川が展開している主張のほうがはるかに建設的だ。「新たなビエンナーレポリティクス——サイト、コミュニティ、パブリックに向けて」と題する論考で、昨年開催された第9回イスタンブール・ビエンナーレと、02年に開かれた第4回光州ビエンナーレを取り上げ、具体的に問題点を挙げつつ徹底批判している。発売前なので詳述はしないが、展覧会の内容ではなく、展覧会をどのように見せ、どのように理解させるか、そのプレゼンテーションと説明の仕方の批判である。思想や見識以前に表現に関わる技術を問題にしているわけだが、展覧会が「展覧」を行う場である以上、展覧の技術は展覧するものの内容、そして思想や見識と分かつことはできない。そのことを忘れている表現者が——キュレーターに限らず——多すぎるように思う。
上述書の磯崎発言によれば、いまや世界中に、国際展は50以上あるという。アジアパシフィック地域において、今年はシドニー・ビエンナーレ、大地の芸術祭、シンガポール・ビエンナーレ、上海ビエンナーレ、光州ビエンナーレ、アジアパシフィック・トリエンナーレ、釜山ビエンナーレ、台北ビエンナーレ……と国際展の当たり年だ(シンガポールは第1回開催であり、南條がアーティスティックディレクターを務める)。その中でどれだけの展覧会が、内容をきちんと伝えうる展示を行うか? 長谷川の主張・提言は重要である。
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。