COLUMN

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Out of Tokyo

125:杉本博司の空間観
小崎哲哉
Date: October 27, 2005

森美術館で開催中の『杉本博司:時間の終わり』展(2006年1月9日まで)が素晴らしい。アート写真界における世界的な巨匠でありながら、日本では紹介される機会が少なかった杉本のキャリアが、ほぼ一望できる本格的な回顧展だ。会場設計も作家自身が手がけたため、担当学芸員は「非常に楽な仕事でした」と笑う。もちろん実際には様々な苦労があったことだろうが、水平線を中心に空と海を捉えた『海景』シリーズの1点が、あたかも自ら光を放っているかのように見える照明の設え具合を見るだけで、これが単に作品を並べただけの展覧会ではないことがわかるだろう。

 

写真で著名な杉本は、写真という2次元の世界だけではなく、3次元の空間づくりにも取り組んでいる。上述したとおり、この展覧会の会場自体が作家による巨大な造形芸術とも呼びうるものだが、その内部にも入れ子構造的に、たとえばブレゲンツ(オーストリア)で造られた能舞台が、池田亮司のサウンドとともにインスタレーションとして展示されている。10月19、20日には、この舞台を用いて、実際に能の公演が行われた。杉本は瀬戸内海に浮かぶ直島では、古墳と伊勢神宮の様式の両方を兼ね備わせたという護王神社を再建・設計した。また、自身の東京の住まいも、和風建築の伝統的な技術を活かしつつ、ウルトラモダンなデザインにリノベートしている。

 

撮影:池田晶紀

現在発売中の『ART iT』第9号では、この「杉本博司の空間観」を特集している(第2特集は「グラフィティはアートか?」)。上述の私邸の内部など、『時間の終わり』展にも展示されていない未発表作品を含む写真を多数収録し、建築家・日埜直彦によるインタビューと批評家・清水穣による評論とで、作家のアート観、空間観、世界観を露わにすべく試みた。自画自賛だが、そのもくろみは十分に成功したと思う。『時間の終わり』展を実地に鑑賞し、「利益を度外視した」という格安の図録を買い、そして『ART iT』の特集号を読めば、杉本的世界はひととおり理解できるだろう。9月1日に発売された雑誌『ブルータス』(No.578)の杉本特集も非常によくできている。日本語読者には併読を強くお勧めする。

 

インタビューにおいて杉本は、「僕は『Postmodern experienced pre-postmodern modernist(ポストモダン時代を体験したポストモダン以前のモダニスト)』を自任しています」と笑いながら語っている。世界の名建築を撮り続ける「建築」シリーズの撮影者として、また、実際に空間設計や建築を手がける表現者として、杉本は安易な「ポストモダン」に一貫して批判的だ。言い換えればそれは、歴史観を欠いた安易な制作姿勢への批判にほかならない。護王神社の再建プロジェクトでは、「神域とはいかなるものか」という問いをまず設定し、次いで「神域にふさわしい空間とはいかなるものか」というコンセプトをとことんまで追究・考察したという。このプロセスを経ずに、フラッシュアイディアだけで成り立っている作品は、アートであれ建築であれ文学であれ、「安易」の謗りを免れ得ない。前号で僕が言及した「子供」の作品にも、こういった安易な作品が少なからずある。


撮影:池田晶紀

マルセル・デュシャンの系譜に連なると自任する杉本博司の作品は、そんな子供たちとはまったく対極にある大人の作品である。子供の作品が歴史性を欠き、いかにも儚い現在にのみ依拠する一方、大人の作品は、過去の蓄積・財産を批判的・建設的に継承・発展させ、共時的・個別的な題材を通時的・普遍的なテーマへと昇華・開放する。杉本は、堀口捨己、村野藤吾、吉田五十八らによる日本のモダニズム建築を高く評価し、「和風建築のモダニズム要素というのを、これから引き継いでいきたいなと思っているんです」と語っている。その結果(の一部)として、『ART iT』に掲載した近作などもあるのではないか。


レム・コールハース(9月9日、TNプローブ・サロン)
撮影:小崎哲哉

思えば、9月上旬に来日した建築家、レム・コールハースも、講演の中で「普遍化」の重要性を何度となく強調、あるいは示唆していた。コールハースの実作の評価は別として、資本と結びつきがちな(というより結びつくのが当然の)クリエイターである大物建築家が、資本主義/市場経済による世界の平準化を批判しつつ、すなわち金による普遍化を否定しつつ、それを超越する基準による普遍化を称揚・希求するというのは、まさしくポストモダン的な逆説と言えるだろう。背景には無論、資本主義/市場経済自体がもたらした「世界の子供化」があるにちがいない。杉本は「建築家」コールハースなんか大嫌いだろうが、歴史の継承と普遍への傾きという点で両者は一致する。インタビューで「思想家」コールハースのことも聞いてみたかったなあ。

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。