


伊丹のアイホールへ『もっとダーウィン』を観に行ってきた(9/11)。美術家、高嶺格の初めての舞台作品である。ダムタイプでパフォーマーとしての経験はあり、イスラエルのバットシェバ舞踊団や、金森穣率いるNoismとコラボレーションしたことも記憶に新しい。だが、構成から演出までを手がけるのは初めてで、その意味で不安を覚えていた。
第1部は1時間10分ほど。十数人の若いパフォーマーが飛んだり跳ねたり走ったり、抱き合ったり喧嘩したり……。全員が座り込んで、勝手な台詞を大声で怒鳴りあう。兄と兄の友人(同性の恋人?)の股間から、女子中学生がルーズソックスをかぶせた手を出して上下させる。犬に扮した男子チームと、バスケットボールをバウンドさせていた女子チームが、なぜか騎馬戦を始めようとする。問題は、ダンスが恐ろしく下手だということだ。ひとりふたり悪くないダンサーもいるから、ゴツゴツしたばらつきが余計に気になる。後で聞くと、全員、高嶺が教える京都造形芸術大学の学生だということだった。
舞台転換のための休憩を挟んで、第2部は40分ほど。最近までNoismに在籍していたダンサー、松室美香のソロである。ゆっくりとした動きが主で、さすがにこちらは安心して観ていられる。途中で、サウンドがダンスと不思議なからみ方をしていることに気がつく。松室が舞台に座り込んで、手を伸ばしたり、素早く動かしたりすると、サウンドがフリに合わせて変化するのだ。メディアアーティスト、前林明次による、ビデオセンサーを用いたインタラクティブサウンドシステムである。ダンスのための空間はそれ自体楽器と化し、ダンサーの松室は同時に演奏家ともなる。

観ていて気がついた。第1部には高嶺の抱えるテーマがすべて含まれている。欲望、ジェンダー、性、差別、共感、嫉妬、愛、憎悪、冗談、生と死……。だとすれば、パフォーマーは高嶺の分身だと言えるだろう。であるなら高嶺自身も——というより人間は誰しも——均質的な存在ではないのだから、パフォーマーはむしろ、質が揃っていないほうがよいということになる。第2部の松室も、高嶺の分身かもしれない。自身でありながら他者であること、個でありながら集団でもあること、ただしその集団は、盲目的な帰属を強制しない。それが高嶺的な集団パフォーマンスであり、コラボレーションなのではないか。



Photo by Shimizu Toshihiro
翌々日、東京芸術見本市の控え室でアイホールの志賀玲子に話を聞いた。1990年、「まだコンテンポラリーダンスという言葉すらなかった」時代からダンスの企画に携わる敏腕プロデューサーだ。2002年からは、関西を拠点とするパフォーミングアーティストと『Take a chance project』を行っている。1年に3組のアーティストの新作を3年間でそれぞれ3作品製作するという事業で、これまでに砂連尾理+寺田みさこ、Baby-Q、山下残らとの実績がある。高嶺の『もっとダーウィン』は、このプロジェクトの12作目に当たる。
「高嶺さんにアプローチしたのは、誤解を恐れずに言えば、興味を持てる新しい才能が、既存のダンス界にはあまりないからです。高嶺さんは、社会的な問題意識を抽象化した形で、言い換えれば大きな問題を自分の身体感覚でつくることのできる人でしょう。『God Bless America』や『在日の恋人』などの美術作品を観て、お願いしたいと申し出たところ、『未知の世界だからやってみたい』とすぐに快諾をいただきました」
「90年頃は、在京のカンパニーか東京に来る外国のカンパニーを関西に呼びたい、と思っていました。でもそのうち、東京から呼びたいカンパニーがなくなった。じゃあ、つくって出したらええやん、と思って関西の人たちと仕事を始めだしたんです。地方の利点を利用して、ゆったりとした時間の中で素直につくる。業界関係者にいじられずに(笑)。そうやってつくった作品を、リメイクして東京や外国に持っていけばいい」
均一性を良しとしない、という点で高嶺とも共通する志賀の試みは、成功しはじめていると言ってよい。砂連尾理+寺田みさこと、Baby-Qを率いる東野祥子は、それぞれトヨタコレオグラフィーアワードで「次代を担う振付家賞」を受賞した。アート同様、ダンス界も関西なくしてシーンは成立しないように変わってきている。高嶺の作品も、いずれ東京に、そして世界に回っていくのではないか。アイホールに東京のダンス関係者の姿は見られなかったが、志賀によれば「ネットワークはできている」。だから心配はないだろう。
メディアに関わる身からひとつだけ言わせてもらえれば、こんな注目作が東京のメディアでほとんど報じられないことが大いに不満である。メディアにおける「東高西低」は否定しがたい事実であり、関東でも関西でも、各地方のメディアは地域の内部に閉じている。この状況は、マスメディアではもちろん、雑誌などの小メディアでも当分は変わらないだろう。可能性があるとすればウェブだろうが、現状では適当なものが見つからない。返す返すも『REALOSAKA』の休刊が悔やまれる。
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。