

国境なき記者団(RSF)と写真家の故ヘルムート・ニュートンとアニエスベー、それに女優の秋吉久美子。一見不思議な組み合わせの記者会見があると聞いて出かけてみた。前三者について種明かしをすると、RSFがニュートンの写真集を刊行し(日本語版はアシェット婦人画報社が制作)、アニエスベーがそれをサポートしたというわけだ……と言われても、やはり「不思議」という感は否めない。RSFは報道と表現の自由を追求する国際的なジャーナリスト擁護団体であり、ニュートンはファッション写真家である。アニエスベーはファッションブランドだが、ニュートンと接点があるようには思えない。ではなぜ……?

記者会見には、フリージャーナリストの橋田幸子さんも出席していた。1年前にイラクの戦場で、甥とともに虐殺されたフリーカメラマン、橋田信介氏の未亡人であり、この人選はよくわかる。RSFは、迫害されたり、投獄されたり、殺害されたりしたジャーナリストや報道写真家とその家族を支援しており、実際に支援されたかどうかは別として、RSFが主催する記者会見に橋田夫人がいても何の不思議もない。夫人は日本政府の対応のひどさを理路整然と批判しつつ、事件についてユーモアを交えた感動的なスピーチを行った。テレビによく出演されていたのでご存じの方も多いだろうが、実に気丈な女性である。

RSF日本代表にして『リベラシオン』紙の特派員でもあるミシェル・テマンが「不思議な組み合わせ」の謎を解いてくれた。アフガン空爆開始から1年後の2002年10月に、RTが主催したシンポジウム『One Year After 1年目の10・8を世界のメディアはどのように報じたか』に、ガーディアン紙の特派員や、ルモンド・ディプロの斎藤かぐみさんたちと一緒に出演してくれたジャーナリストだ。曰く、RSFは20年前から写真集を年2回のペースで刊行している。売上を活動資金に充てるためのもので、ニュートン氏は企画を快諾し、昨年1月、不慮の事故死を遂げる直前まで熱心に編集作業に携わっていた。アニエスベーはRSFの活動に賛同し、以前から写真集制作・刊行をサポートしてくれている……。

なるほど、ニュートンについてはよくわかった。だが、なぜアニエスベーが? という疑問は払拭されない。そこで、COO(最高執行責任者)のエチエンヌ・ブルゴワ氏に尋ねてみた。マダム・アニエスb.のご子息である。
「私の父、クリスチャン・ブルゴワは出版人であり、母は店舗経営をしています。とはいえ、私自身も含め、皆企業人である以前に人間であり、だとすれば人生の一側面としてこうした活動を行うのは当然です。政治家を動かすためにはわれわれ大衆が動く必要があり、大衆と関わるファッション産業が動くことはその点でも意味があるでしょう。とりわけ社会におけるオピニオンリーダーたちに、メッセージを送りたい。日本では、(社会的・政治的)メッセージが十分であるとは言えず、もっともっと必要だと思います」

秋吉久美子さんにも話を聞いた。RSFのテマン氏は友人でもあり、双方にとって具体的・金銭的メリットがあれば、とアシェット婦人画報社との橋渡しをしたのだという。
「3年前にテマンさんから、RSF創設者のロベール・メナールさんを紹介してもらいました。昔から(イタリア人ジャーナリストの)オリアーナ・ファラーチの読者だったこともあり、RSFの活動に共鳴したんです。人生や社会って、個人の恋愛やセックスから、政治や戦争に至るまで、いろいろなものがカオス的に混ざり合って成立しているでしょ。だから、個人の生活を守るためにも社会に対する知識を増すことは大切だし、ときに命を賭けてまでそうした知識を伝えてくれるジャーナリストを支援することは、ごく普通のことだと思います。企業にとっても、運動に対する協賛自体がメリットになる可能性がある。ベネトンなんかもうまいと思うけど、消費者の賛同を得るよいチャンスになるのでは?」

ISBN4-573-08001-5
本体1,905円+税
テマン氏からは、RSFのニューズレターが随時送られてくる。記者会見の翌日にも「エジプトで、デモを行っている最中に15人の女性ジャーナリストが警察に暴行を受けた」という趣旨のメールが送られてきた。RSFによれば、1992年以来、各国で600名以上のジャーナリストが殺害され、いまでも120名ほどが獄中にあるという。われわれが安穏な生活を送っているいまこの瞬間にも、彼らとその家族は支援を求めている。
※国境なき記者団(RSF)の活動については、この連載の「013:鎖国から開国へ?」と、以下のサイトを参照されたい。
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。