

(写真:美術出版社提供)
2月27日(日)、青山ブックセンター本店で『殺す・な博』が開催された。美術評論家、椹木野衣の新刊『戦争と万博』(美術出版社)の刊行を記念する催しだが、単なるトークショーやサイン会ではない。アーティストや音楽家が参加する、実験的なイベントだった。
普段はレクチャーなどに使われる会場は、カスガアキラが音響をコントロールしていた。小田マサノリの万博グッズを並べたインスタレーションや、田中偉一郎のメロンを黒く塗って導火線を付けた「安全爆弾」というオブジェが展示されている。隣の部屋にはパフォーマーが待機している。各参加者の出し物には「超気配主義館」(カスガ)、「イルコモンズ生活館」(小田)などの名が冠され、要するに万博パビリオンに見立てられているようだ。

工藤キキの「万博鍋館」では、『太陽の塔』を象った大根がグツグツと煮られている。山本ゆうこの「山本・現代・映像館」は、モニターにK.K.らの作品を流している。ヲノサトルの「魅惑のムード音楽館」が、その名の通りけだるいムード音楽をオルガンで奏でている。と、突然、「戦争と万博の塔」の椹木が、エレクトリックギターをかき鳴らし、イベントの開始を告げた。ゆるくてぬるい日常を、大音響のノイズで異化するという立場表明、あるいは「戦闘宣言」だろうか。

群を抜いて面白かったのは、宇治野宗輝の「まわる電磁館」と山川冬樹の「人体のふしぎ館」、それに伊東篤宏の「光と闇(病み)館」である。宇治野はターンテーブルをインターフェースとし、工作用ドリルやジューサー/ミキサーなどの家電用品と組み合わせた楽器を演奏した。山川は上半身裸となり、心拍を拾ってアンプで増幅させ、ギターのハウリング音と、ホーメイの声を絞り出した。伊東は「蛍光灯の発光に伴う放電音を増幅し、出力する視覚付き音具または音付き視覚装置」で光と音を放出した。見た目だけでいえば、白い蛍光灯をエレキギター代わりに弾いている感じだ。およそ見たことのない楽器群と、聴いたことのないノイジーな音楽・音響。祝祭的なリズムに乗って、踊り出す観客もいた。
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右:山川と伊東のセッション
『戦争と万博』は、「けっきょくは国家の手に落ちてしまう」万博芸術を批判する書である。「ある意味、近代日本の「美術」は、その黎明よりずっと、「戦争と万博」に明け暮れていたのではなかったか」(p.162)というのが椹木の問題意識だ。この問題意識に則り、トークショーでの椹木は、小田やカスガやヲノに「億単位の予算をもらったら万博に参加するか?」という踏み絵のような質問を浴びせつづけた。「僕は貧乏なほうが好きだから」と冗談交じりに、しかし明快に否定した小田以外は、曖昧な答しか返さなかった。
椹木は自著で「唯一、岡本太郎だけ」と大阪万博のテーマ館プロデューサーにして『太陽の塔』の作者を評価している(それにしては、なぜか磯崎新の評価は下していない)。だとしたら、椹木に返すべき答は「もちろん参加します。僕は太郎になれる(超えられる)から」だろう。文字通り「前世紀の遺物」と呼ぶべき愛知万博に、もはや国策的な価値などないし、そもそも大した予算もない。だからまあ、どうでもいいことだけど。
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今回の椹木が素晴らしかったのは、そんな挑発的言辞よりも、やはりパフォーマーたちの選択だと思う。いずれもがローテクと身体を信頼し、実際に用い、観客/聴衆に生の感動を与え、共有していた。ハイテクと機械を用いる国策イベントに、個人が対抗するとしたらこの方法しかないだろう。大阪万博の時代でもそうだったが、これを1960-70年代への回帰と呼ぶのは当たらない。いつの時代にも、肉体は個人の最も正統な武器なのである。
工藤キキの鍋で大根が煮くずれたころ、3時間近くにわたるイベントは幕を閉じた。参加者は約100人。愛知万博は3月25日に開幕する。
※追伸:先週の木曜日が更新日だったのに、勘違いで今週だと思っていました。ごめんなさい。
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。