

ドイツ最大のメディアアートフェスティバル、『transmediale 05』を観に行ってきた。ディレクターのアンドレアス・ブロックマンが「RealCities」に紹介記事を書いてくれているが、今回は特に、アジアのメディアアート状況を概観するシンポジウムやレクチャーが行われたことが興味深い。展示でも、招待作家の三上晴子+市川創太による『gravicells』や、インドネシアの注目作家、ヴェンザのパフォーマンスが人気を集めていた。

「アートと社会的責任」と題するシンポジウムに参加したのは、ヴェンザのほか、ティエン・ウン(ツナミ・ネット/シンガポール)清恵子(インディペンデントキュレーター/バンコク)、ドミニク・チェン(ICCリサーチャー/東京)、四方幸子(同キュレーター/東京)の各氏。モデレーターはマリー・ルスー(アジア欧州文化財団=ASEF/シンガポール)で、オブザーバー的にグナラン・ナダラジャン(キュレーター/シンガポール)もコメントした。2時間という時間の割に発言者が多く、それぞれがスピーチを行うにとどまって討論にならなかったことは非常に残念だが、それでも大きな収穫があった。

実はこのシンポジウムには伏線があった。2004年10月に、多摩美術大学上野毛校で行われたレクチャーイベントである。ASEFとアーツイニシアティヴトーキョー(AIT)が共同開催した『アジア欧州芸術創造キャンプ』の一環として、主に欧亜の学生を対象に、ゲルフリート・シュトッカー(アルスエレクトロニカ館長)と、草原真知子(メディアアート批評家)が講演したものだ。この際に草原が、明和電機やクワクボリョウタらの活動を紹介し、彼らの作品の特徴を「デバイスアート」と概括して、そこに見られる「遊び」の要素を肯定的に評価した。すると一部の学生が「社会的なメッセージがないなんてアートとは言えない」「日本に憧れていたけれど失望した」などと、大きく反発したのである。
僕も現場にいたのだが、草原の概括はもちろん、シュトッカーによる「明和電機は、日本の企業のありようや日本社会に対する批評的行為を行っている」という説明にも納得できなかった。そこで、ベルリンでの「続編」に大いに期待していたところ、事態は予測とはいささか違う方向に動いていったのだ。

ヴェンザとウンによる自国の状況説明に続いて、まず清が「私は日本を離れて久しいので」と控えめに切り出しつつ、1970年代初期のビデオアートやパフォーマンスに、たとえば水俣病をめぐる作品があったことなどを述べた。80年代には(日本では国や自治体による支援がほとんどないために)、現代美術やメディアアートなどは企業支援がなければ成立し得なかった、という事情にも言及した。その上で、日本でメディアアートを教えている友人が「いまの学生はテクノロジーのみに関心があり、社会問題を作品に盛り込む思いがない」と嘆いていたことを披露した。清によれば「理由はいろいろある。アートについての概念も、社会構造も、教育のタイプもいずれも欧米とは異なっている」。僕としてはこれに、マスメディアの報道姿勢も加えたいところだが、何度も書いていることなので詳述しない。

次いで、目覚ましいレクチャーを行ったのがチェンである。「清さんの悲観的な考えにおおむね賛成だが」と断りつつ、短時間の間に、日本におけるメディアとカルチャーの諸問題を、実にわかりやすく、そして肯定的に概観して見せた。曰く、60年代におけるハイレッド・センターの『首都圏清掃整理促進運動』に連なるものとして、2002年の『秋葉原おそうじボランティア』がある。曰く、アーティストを中心とした反戦運動に、最近では『殺すな』や椿昇の『国連少年』プロジェクトなどがある。曰く、アマチュアアートによるマーケットを開催している村上隆らのような「オタク」的動きもあるが、オタクとハッカーは異なり、後者はコモンズ的な『クリエイティヴ・アーカイヴ』を目指している……。

オタクは動物的身体と子供の精神を持っていると述べたくだりは、批評家、東浩紀の分析に依るものだろうがやや説明不足だった。また、日本社会におけるBBSの暗部と明部として、前者に『2ちゃんねる』のイラク人質殺害報道、後者に災害救援ボランティア募集と情報交換を当てはめたあたりは、ちょっと端折りすぎている感がある(『2ちゃんねる』に肯定的面があることは、もちろんチェンも承知の上だろうが、別途強調すべきであると僕は考える)。それでも、「日本のアート(とアーティスト)には社会性がない」という単純な「糾弾」に対して、声高に反発するでも賛同するでもなく、事実を冷静に、そしてきちんと述べることは絶対に必要である。清もチェンも、その点において際立っていた。
だが、チェンの挙げた例は、日本社会における極めて少数の「例外」でしかない。全般的に見ると、この国の外界への(そして自らの内部への)無関心さは目を覆うばかりだ。「アートと社会的責任」というテーマは、「アート」に「カルチャー」や「ビジネス」や「個人」という言葉を置き換えながら、今後も各人が追究すべきものだと思う。
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。