
『transmediale 05』を観にベルリンに来ている。それはいいのだが、ほとんど痛恨の極みと言ってもいい大きな心残りがひとつある。明日2月4日から3日間の予定で上演される、勅使川原三郎の新作『風花』を見逃してしまうことだ。(新国立劇場。初演は2004年5月@リール・オペラ座)
僕はダンス公演では滅多に泣かないのだが、一昨年夏の『Luminous』では不覚にも涙を流した。光というテーマや、作品の物語性に感動したということもあるが、それだけではない。白を基調としたシンプルな舞台美術、モーツァルトからミニマルエレクトロニカに至る音楽、作家自身が設計した光と影のコントラストを強調する照明などが、ダンスを中心に置きつつ渾然一体となって混ざり合っていた。その環境すべてに魅了された、というほうが実感に近い。頭と体の両方が、こちらも渾然一体となって満足させられたのだと思う。

ジュナイド・ジェマル=センディ
ほとばしる感覚を論理で統御し、それでもなお論理の枠組みを逸脱する感覚的要素が大きな感動を生む。これが優れたパフォーミングアーツの定義だろうが、勅使川原作品も例外ではない。その証の片鱗を、勅使川原自身が出席した記者会見で垣間見たような気がした。『風花』の製作発表ではなく、第2回『ロレックス メントー&プロトジェ アートプログラム』の記者会見である(1月24日@ホテル・オークラ)。

このプログラムは、世界にあまたある企業によるメセナ活動の中でも、群を抜いて豪華なものだ。諸芸術のクリエイターからメントー(指導者)を数人選び、彼らと協議の上、同じジャンルの若手プロトジェ(生徒)を選出する。メントーはプロトジェを1年間にわたって指導・教育し、少なくとも30日間は共同作業を行う。プロトジェには旅費のほか、2万5千ドルの奨学金をロレックス社が支給。各プロトジェは、メントー期間終了後に公演、展覧会、イベントなどを行い、経費の一部をロレックス社が援助する。

(c)Rolex/Bart Michiels
奨学金の額だけ見ると、他のメセナ制度を大きく凌駕しているわけではない。だがメントーの顔ぶれがすごい。1回目の2002年は、ウィリアム・フォーサイス(舞踊)、トニ・モリスン(文学)、サー・コリン・デイヴィス(音楽)、ロバート・ウィルソン(舞台芸術)、アルヴァロ・シザ(視覚芸術/建築)。2回目に当たる今回は、勅使川原三郎(舞踊)、ミラ・ナイール(映画)、マリオ・バルガス=リョサ(文学)、ジェシー・ノーマン(音楽)、サー・ピーター・ホール(舞台芸術)、デイヴィッド・ホックニー(視覚芸術)。現代芸術の巨匠ばかりだ。

(c)Rolex/Stefan Walter
それにしては、このプログラムは世間にあまり知られていない。日本では一昨年、1〜2の新聞に取り上げられただけだった。聞くところによると、少なくとも当初は、ロレックス社は広報活動を積極的に行わない方針だったという。記者会見の席上、事務局長のレベッカ・アーヴィン女史に尋ねたところ「大勢の重要な方々と、よい関係を築き上げられることが大切なのです」とのことだった。実際、将来性のある(と期待される)プロトジェも含め、この人脈はロレックス社にとって大きな資産となるだろう。

(c)Rolex/Stefania Beretta
勅使川原は席上、「僕のダンスの技術や作品に関することではなく、哲学というか、ダンスに関わる根源的な問いかけを教えるものだと思って引き受けました。自分自身もそれを再検証する機会となる」と語った。また、プロトジェに選ばれたジュナイド・ジェマル=センディについて尋ねられ、「ダンスは、自分自身を含めて、人や物理的なものを組織化/再組織化する能力が必要。彼にはその資質がある」と答えていた。勅使川原自身の哲学の一端を、極めて論理的に、そして明快に披露したコメントである。
プロトジェに対しては「よく見なさい。見ることによって何かを感じなさい」と命じたという。ジェマル=センディは師の教えに積極的に応え、ビデオを撮り、ノートも取り、今回の『風花』公演にも参加する。ロレックス社は、望み通りの、あるいはそれ以上の理想的な師弟を選び、「よい関係」を結び得たのではないだろうか。
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。