

1月の上旬に香港に行った。『香港特別藝術区 香港アート&カルチャーガイド』(技術評論社)という好著を書いた中西多香さんに案内していただくという贅沢な旅で、いくつもの面白いスポットを訪ね、才能豊かなクリエーターたちを紹介していただいた(多謝!>多香さん)。連れていってもらったイベントのひとつに、『What’s Good Conference』がある。有能なグラフィックデザイナーにして編集者のS.K.ラムが仕掛けたデザイン会議で、香港アートセンターを会場に、4日間にわたって開催された。

会議に参加し、プレゼンテーションを行ったのは、コレット、メゾン・マルタン・マルジェラ(以上フランス)、グルーヴィジョンズ、服部一成、中村勇吾、佐藤可士和(以上日本)、ドルーグ・デザイン(オランダ)、ジョン・C・ジェイ(米国/日本)、ピーター・サヴィル(英国)ら、多くは広義の「デザイン」に分類される人々と団体。ウォン・カーウァイ作品の撮影監督として知られるクリストファー・ドイル(オーストラリア/香港)、そしてアーティストの青島千穂+高野綾(日本)の3人がやや異色だった。残念ながら僕は1日しか見られなかったが、青島+高野のプレゼンが、飛び抜けてツライものだった。

そもそも、一緒に活動しているわけでもない一人前の作家が、並んで登壇すること自体が異常である。ふたりともカイカイキキに所属していて、作風が似ていると思われたからだろうが、女子高生が手をつないでトイレに行く様さえ連想して、国際会議の情景としては不思議なものだった。だが、もっと驚かされたのはプレゼン自体である。あまりに稚拙で唖然とさせられるようなものだったのだ。

何よりもまず、声が小さい。そして、言葉が短い。さらに、見せる画像が少なく、しかも系統だっていない。逐次通訳だったので時間はたっぷり取ってあったのだが、それぞれのプレゼンは10分かそこらで終わってしまった。辛抱強いモデレーターが機転を利かせてインタビュー形式に切り替えたからどうにかなったものの、質問への回答はやはり小声で、説明不足で、脈絡がよくわからない。会場は呆れ果て、眠り込んでしまった聴衆が相当数いた。僕自身、睡魔をこらえるのにかなり苦労した。
「アーティストは話すのが商売ではない」という擁護の弁はここでは通用しない。主催者に趣旨を説明され、納得した上で招待を受けたのである。この場では作家というより、プレゼンテーターとしての役割が要求されているのだ。高い倍率のチケット購買競争を勝ち抜き、会場にやってきた満員の聴衆こそ好い面の皮である。カイカイキキを率いる村上隆は、常々プレゼンテーションの重要性を説いていて、自身その名手でもあるが、彼女たちは「不肖の弟子」で、師匠の技を受け継ぐことができなかったということだろうか。

それと比べると、『愛・地球博』(愛知万博)アートプログラム『幸福のかたち』の記者会見に出席したさとうりさはなかなかよかった(1月14日@スパイラルホール)。「私は考えながらしゃべると、言葉があふれすぎてわけわかんなくなっちゃうから」と言い訳しつつ、聴衆に宛てた手紙という設定で書き原稿を読み上げたのである。その前に冗長なスピーチを行い、質疑応答で答になっていない迷答を繰り返して失笑を買った泉眞也・総合プロデューサーと好対照で、ある種の「芸」と言ってもよいようなプレゼンテーションだった。ちなみにこのプログラムは、ほかにテア・マキパー、名和晃平、澤田知子ら1970年以降に生まれた若い作家7人によるパブリックアート企画で、「老害」とは対極にあって期待が持てる。万博公式企画としてのアート展は、ロバート・ウィルソンやローリー・アンダーソンらによるパフォーミングアーツ的なものを除くとほかにはほとんどなく(各国パビリオン、団体・企業パビリオンの個別企画はある)、泉によれば「観覧車やメリーゴーアラウンドなどもアートです」とのことだが(トホホ)、かなり寂しい。
ともあれ、会議におけるプレゼン能力は重要である。そこに聴衆がいる以上、人として最低限の礼儀と言ってもよい。青島&高野のふたりには、今後の精進を望みたい。
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。