

韓国のアーティスト、バク・イソが亡くなったというニュースが飛び込んできた。97年には光州ビエンナーレに、98年には台北ビエンナーレに、2001年には横浜ビエンナーレに参加した、知的で乾いたユーモアを湛えた作品で知られる実力派だ。03年のヴェネツィア・ビエンナーレには韓国代表作家に選ばれ、ビエンナーレそのもののミニチュアを制作して話題となった。その折りの展示風景は、以下のサイトで見ることができる。
Bahc Yiso, 50th Venice Biennial 2003
ニュースは在ソウルのアートジャーナリスト、アイリス・ムーンからもたらされた。6月5日の朝届いたメールに、以下のように記されていた。「昨日の夜、私たちはある種の混沌のただ中に投げ出されました。バク・イソが亡くなっていたことが夕べわかったんです。ものすごくショックで悲しい……」。それはそうだろう。1957年生まれというから、バク・イソはまだ40代だった。死に至った事情は僕にはわからないが、遺された家族や、韓国アート界の喪失感は想像に難くない。合掌。
こういうニュースは、もちろん日本のマスメディアには報道されないだろう。現代美術は世間一般にとってまだまだ縁遠いものだし、ニュースが自国の事件に関するものでないとしたらなおさらだ。僕はたまたま、先月ソウルに出張した際にアイリスに知り合い、『ART iT』へ韓国のアートシーン情報を寄稿してもらうことにしたから、原稿を依頼し、受け取る過程で知ることができた。業界内の口コミでしか伝わらないというのは、当然のようでもあるがちょっと淋しい。

気持ちを切り替えて別の話を書いてみよう。同じく韓国から、これも最近届いたニュース。在ソウルの浅尾麗さんという日本人女性が、blog形式のソウル展覧会情報サイト『art, seoul』をスタートさせたという。早速覗いてみると、旧西大門刑務所で行われた『衝突と流れ』展のレビューが載っている。くーっ! 先日の出張時にぜひ観たいと思いながら、時間がなくて見逃した展覧会だ。内容的にはいわゆるメディアアートが主で、85組のアーティストが参加している。
展示内容もさることながら、興味をかき立てられたのは、そこが大日本帝国の圧力によって建てられ、植民地時代に抗日運動に加わった政治犯を収容(さらには拷問、処刑)した場所だと聞いていたからだ。現在では歴史館となって、蝋人形で拷問の様子を再現していると言うから、ベルリンにある「Topography of Terror」や、ベトナム各地にある戦争博物館などに似た雰囲気ではないかと思う。ちなみに前者はナチス時代にゲシュタポ(国家秘密警察)とSS(ナチス親衛隊)本部があった場所だ。こういう場所に、歴史的な蛮行を想い出させるサイトスペシフィックな作品があったらすごいだろうなあ……。

と思って浅尾さんのレビューを読むと、案の定、韓国人作家による(と思われる)以下のような作品があったという。「訪れた観客の影がカメラに捉えられ、リフレインして映されるその背景に戦時中の旧日本軍による半島支配の写真が映し出されるというもの。未来と過去が交差する。パソコンでメッセージを入れ、それを映像に反映できるようだった」。
欧米の諸都市に、それぞれのカルチャーシーンを取り上げるblogサイトが増えてきているが、特にアジアのカルチャー情報はまだまだ不足気味だ。だからこういうレビューをウェブ上で読むことができるのは非常にありがたい。blogサイトは数が増えることによって相互参照による情報の信頼度が増してゆく一方、受け取る側はどのサイトのどの記事を優先的に読むべきか判断しづらくなる。そのような逆説を抱えているが、何はともあれないよりははるかにマシである。浅尾さんにも続けてがんばっていただきたいと思う。
追記:浅尾さんに尋ねてみたところ、バク・イソ死去のニュースは、『朝鮮日報』『東亜日報』『中央日報』『ハンギョレ』の4大新聞をはじめ、地方紙・専門紙でも経歴付きで報じられていたという(TV報道があったかどうかは不明とのこと)。4月26日に心臓発作のために仕事場で椅子に座ったまま亡くなり、翌日家族が発見した。墓の準備ができるまで待っていたために公表は5日となった。釜山ビエンナーレに出展される『私たちはしあわせです』という作品が遺作となったとのことである。
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。