

『ART iT』第3号が、ようやくこの週末に書店に並ぶ。特集は「日本の写真」。杉本博司らほんの一部の写真家を除くと、日本には欧米的な意味でのアーティスティックな写真家はいないとよく言われる。そうかもしれないが、ではだから日本の写真はダメかといえばもちろんそんなことはない。己の持つカメラだけで世界に対峙し、世界と拮抗しようと努める写真家は確実に存在し、観る者の心を打つ。そういう写真家ばかりをセレクトして、見応えも読み応えもある一冊をつくったつもりだ。日本国内はもとより、Amazon.comでの発売のほか、フランスなどでも本格的な販売を開始する。ぜひお買い求めいただきたい。
第3号から「キュレーターインタビュー」という新企画を始めた。日本のコンテンポラリーアートの展覧会を企画する、若手実力派キュレーターを取り上げる取材記事だ。第1回はRT「TOKYOの仕掛人たち」でもおなじみ、水戸芸術館学芸員の窪田研二さん。その窪田さんが「僕にとってこれ以上ない人選と作品選定が出来たつもり」と自認する展覧会『孤独な惑星−lonely planet』(6/6まで)を観に行き、いろいろと考えさせられた。

参加作家はジェイク&ディノス・チャップマン、トニー・アウスラー、川内倫子、会田誠、リネケ・ダイクストラ、ビル・ヴィオラ、オリバー・ペイン&ニック・レルフ、佐藤姿子、加藤泉、猪瀬光、ヤエル・バルタナ、青島千穂(展示順)。チャップマン兄弟は、フィギュアの兵士たちを配した戦場のジオラマを何点もの写真に撮り、虐殺と殴打、略奪とレイプが繰り返される狂気の現場を再現する。その迫力ある展示に始まり、出口を飾る一見能天気に映る青島千穂の漫画的な壁画まで、観客はパフォーミングアーツを観るのにも似た、大きな感情の起伏を自覚するだろう。演劇とまでは言わないが非常にドラマティックだ。
作品に共通するのは、ある種の儚さ、そして「死」という重いテーマだ。作家に与えられたお題はもちろん「孤独な惑星」だったのだろうが、窪田はそれについてこう語る。「9・11を、僕は映画みたいだと思いました。多くの人が言うように、現実と虚構の境目がなくなってしまったと思った。個人が世界をどう捉えていくか。美術作品は、その(捉えることの)きっかけになるのかどうか。それがこの展覧会を通じて問いかけたいことです」

各作家が捉えた「世界」は、まさしく現状を反映する鏡となっている。陰惨な戦争と暴力、生物学の進歩に伴う身体の虚構化の進展、小児性愛を含むポルノグラフィ、グローバリゼーションと裏腹に進行する個人の内向化と文化の幼児化、そして、大文字の物語が消滅したあとに忽然と浮かび上がる、永遠の哲学的命題「死」……。窪田は図録に収録したテキストにThe Theの「Lonely Planet」の歌詞(「君が世界を変えられないのなら、君自身が変わるしかないさ。……だけどもし君自身が変われないのなら、この世界を変えるしかないんだ」)を引用するが、そのような能動性はおよそ感じられない。カフカ的なアピール(「君と世界の戦いでは世界を支援せよ」)もまったく存在しない。そこにあるのは、ほとんど仏教的とも言える諦念の提示である。ひたすらリアリスティックに「あきらか」にした結果、「あきらめる」ほかなくなった現実を直視すること……。
それはともかく、窪田のテキストで目を引いた別のくだりがある。曰く「(参加した12組の作品は)いわゆる現代美術にありがちな、美術史や哲学理論といった知識を前提としなければ理解出来ない作品ではなく、直接的に鑑賞者の意識に訴えかけてくる(後略)」

現代のアーティストが「美術史や哲学理論といった知識」と無縁でいられるとは到底考えられないが、展示を実際に観ればわかるように窪田の記述はウソではない。アートの現場を生み出している現役の学芸員が、このように宣言するのは稀なことではないか。そう言わざるを得ない(そのような作家・作品を選ばざるを得ない)ほどに、現実が切迫したものになっているのか、あまりにもアートが多様化したために、これまでの「前提」がついに崩れ去ろうとしているのか。即答できるほど単純な問題ではないが、実に刺激的な発言には違いない。若いキュレーターとアーティストたちの今後に注目したい。
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。