

REALTOKYOが制作・刊行する季刊アート雑誌『ART iT』の第2号が出た。特集は「アートとデザインの境界線」。横尾忠則、田名網敬一、宇川直宏3氏へのインタビューや、伊藤ガビン+椹木野衣+佐藤直樹3氏による座談会「境界線上の展覧会史」など、なかなか面白い記事がそろったと思う。昨年10月に出した創刊号も、売れ行き、評判ともに好調で悦に入っていたら、挑発的なメールが送られてきた。「Dear Ozaki-san, I'm a London based artist, writer and art consultant」という書き出しである。
私信だったので、名前は明かさない。仮にD氏としておこう。D氏は創刊号を見て、「継続できることを切に願いつつ」「創刊の辞に『至らない点への叱咤も含め、応援して下さい』とあったので」「小崎さんの努力に敬意を表するがゆえに」批判を書くことにしたという。よろしい、Dさん。受けて立とうじゃないの。ちなみに『ART iT』は和英バイリンガルで、「至らない点への〜」は「We ask for your ongoing support - criticism included」と訳されている。

まず氏は、「日本のアートシーンに欠けているのはそもそもジャーナリズムではないか」という創刊の辞の「ジャーナリズム」という言葉に疑義を呈する。「ジャーナリズムとはアートに関する非専門家の文章の代名詞であり、おおむねアートを極端に誤解している」。そうかもしれない。だが「アート」なるものがカバーする領域がここまで広がった時代に、「誤解」される「アート」とはそもそも何なのだろう。この根本的な問題が冷笑的な「専門家」になおざりにされているからこそ、僕はこの雑誌を創刊し、「ジャーナリズム」の必要性を問うたのだ。とりあえず氏と、氏が大好きであるらしい「専門家」には、オスカー・ワイルドの言葉を贈っておこう。「冷笑家とは何か。すべてのものの値段は知っていても、どんなものの価値も知らない人間の謂である」。
次に氏は、『ART iT』の目的と読者層を問いただす。「ただの情報誌なのか? あるいは、アートに関する重要で情報性の高い記事を日本美術の専門家に提供するのか? 日本の学生か? 国際市場か? どの国際市場か?」。もちろん目的は、「アートとは何か」という根源的な問いを発すること。その問いについて考えるために必要と思われる、同時代的な情報を提供すること(ただしそれは全世界を網羅するものではない。現状で世界に欠落していると思われる、日本とアジアのアートシーンを扱うのがこの雑誌の使命だ)。そして読者は、「専門家」の冷笑を気にせずに「アートとは何か」を追求しようという真摯な「非専門家」および冷笑的でない「専門家」だ。これでおわかりいただけるかな?

3番目に示されるのは、「What’s New」の「本質的に説明でしかない記事」は不要であり、展覧会について語るならそれを観てからにすべきだ、という主張。正論のように聞こえるが、氏は「非専門家向け」雑誌にプレビューが必要なことを理解していない。まずは展覧会に足を運ぶことが必要なのだ。そのプレビューが「不快で鑑賞の意欲を削ぐ」と言われても、具体例を示してもらわないと「どこが?」としか言いようがない。付け加えれば、プレビュー〜レビューという循環が望ましいと思って創刊号では企画を立てなかったが、2号には、われわれが重要だと思った3つの展覧会についてのレビューを掲載した。いずれも学者や評論家の手になるものではない。僕は既存の美術雑誌に見られる「専門家」の閉じた文章による弊害を、依然として警戒している。
続いて氏は、僕が行ったオノ・ヨーコへのインタビューが「あまりに恭しく、へつらっているようにさえ見え、そのために彼女の正確な実像が伝わっていない」と指摘する。そのように見えたのだとしたら、僕の文章力が至らなかったからだと言わざるを得ないが、もちろんへつらったつもりなどさらさらない。東洋的な礼節だとご理解いただきたいし、礼節ゆえに彼女から引き出せた言葉もあると僕は確信している。オリアーナ・ファラーチのように、インタビュイーを怒らせて本音を引き出す「北風型」取材者もいるけれど、僕は基本的に「太陽型」だ。
【 この項、続く >> 080:『ART iT』批判への反論 II 】
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。