

話題のビデオ作品『ワラッテイイトモ、』を、ついに2バージョンとも観た。20年以上続くバラエティ番組『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の映像を大量にサンプリング&リミックスした作品で、「キリンアートアワード2003」の審査員特別優秀賞を受賞している。2バージョンというのは、著作権や肖像権のからみで、「キリン〜」の受賞展で公開されたのは修正版だったからだ。オリジナル版を観たSQUID - YAMAMOTO Galleryには作者K.K.氏によく似た若者がいたけれど、それは気のせいで、別人だったかもしれない。
全46分は、「奇跡」「黒田藩」「邂逅」「邂逅2」「ライブ」という5つのパートに分けられている。番組の高速カットアップ映像に始まり、黒田藩家老の血筋だという司会者タモリの生い立ちが紹介される。そして典型的な「引きこもり」に見える作者自身が、自室にいながらにしてタモリと妄想的なコミュニケーションを行い、最後には八王子の自宅から中央線に乗って、『笑っていいとも!』が生放送されている新宿アルタ前にまで向かう……。

素材は月曜から金曜まで毎日昼間に放映される、完全にマンネリ化した国民的人気番組。司会のタモリも、当初は毒舌と真っ黒なサングラスにより異形のタレントと見なされもしたが、今ではむしろ(深夜番組を除けば)人畜無害な「風景」と化している感がある。そのタモリと「アート」の組み合わせがそもそも異色たるゆえんだが、テーマは「終わりなき日常」の象徴であるテレビの平板さや、異物をさりげなく排除する管理主義志向への批判に留まらず、多岐にわたっている。使われている手法もバラエティに富んでいる。
たとえばタモリのトレードマークである黒いサングラスは、進駐軍司令官マッカーサーのそれと重ね合わされ、巻き戻しや早送りによって強調される。作者はテレビの中のタモリ(の合成音声)に呼びかけられ、「そっちの人は何やってんの」と問われると「映画を撮っています」と答える。テレビについてのテレビ作品をテレビ内テレビで見せるという入れ子構造もある。「アメリカの影」「メタフィクション」さらには「高度資本主義社会におけるシミュラークル」(ジャン・ボードリヤール)など、今日的な主題群がてんこ盛りだ。

「キリン〜」の審査員でもある美術評論家、椹木野衣が講評や『群像』9月号に書いているように、ジャン=リュック・ゴダールやデヴィッド・クローネンバーグの影響は明らかだ。そこに寺山修司の影を認めてもよいだろう。会場にいた、作者K.K.氏によく似た若者は「メタフィクションといえば寺山っていうのは定番ですからねえ」とかわしたが、ラストシーンは明らかに寺山の映画『田園に死す』へのオマージュだろう。『田園に死す』の衝撃的ラストシーンが、まさに新宿アルタ前で撮られたものだし、何よりもタモリは寺山修司その人の物まねを得意としていて、『ワラッテイイトモ、』にもそれが出て来る。
それも含め、主題にも技法にも、なんら新しさはないと断言したくなる誘惑に駆られる。たしかに、いつか見たことがあるような気がする作品ではある。しかしそれは「気がする」だけであって、森岡正博いうところの「無痛文明」化した日常をこのようにグロテスクに戯画化した作品は、実はあるようでいてあまりない。我々は見終わった瞬間に「新しさはない」と思ってしまう、いわれのない既視感に常にとらわれている。『ワラッテイイトモ、』が密かな悪意と嘲笑をもって批判の対象としているのは、この既視感(的錯覚)に無批判的かつ盲目的にとらわれた我々自身ではないか。

ちなみに、「キリン〜」の受賞展で観た修正版は、まったくわけわかんない代物だった(作者K.K.氏によく似た若者に「わけわかんないのは、キリンビールとフジテレビへの作者の当てつけですかねえ」と聞いたら、「そうかもしれないですねえ」とニヤニヤ笑っていた)。「著作権・肖像権を侵害する恐れがあるため」というプレスリリースの言い訳も、まるで自主規制したみたいでいただけない。作者K.K.氏によく似た若者は「フジテレビに交渉したけど、関係者全員のOKを取るのはむずかしそうだから、あきらめたみたいですよ」と言っていた。あ、やっぱり自主規制か。粘り強い交渉は「ヤラナクテイイトモ!」?
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。