
ステージ欄にご寄稿いただいている蟹小路絹子さんの強いおすすめを受け、楽日近くにコクーン歌舞伎『夏祭浪花鑑』を観に行ってきた。ほかにも何人かすすめてくれる友人がいたのだが、こうした声がなければ足は運ばなかったと思う。これまでのコクーン歌舞伎はすべて観ているし、その中には1996年に上演された『夏祭』も含まれている。昨年、やはり中村勘九郎が率いる「平成中村座」が大阪で上演した際の好評も聞いてはいたけれど、今回は「まあ、いいか」と思っていたのだった。

結果的には観に行って大正解だった(蟹小路さん&友よ、ありがとう!)。これまでのすべてのコクーン歌舞伎と同様、座長の勘九郎と演出家の串田和美のコンビは、歌舞伎のために造られているわけではないシアターコクーンという空間を、猫が魚をしゃぶり尽くすように骨の髄まで使い切った。歌舞伎座や南座や国立劇場とは間口も奥行きもタッパも違う。花道も黒御簾もないから必要なら造らなくてはならない。そもそも江戸情緒とは無縁の近代的な劇場なのだ。
ところがロビーに入ると、そこはもう異空間である。江戸の芝居小屋とまでは行かないが、演目(『夏祭』)に合わせたのか焼きそばなどを売っていて、祭や縁日のような雰囲気が漂っている。浴衣を着た役者がそこかしこにいて場を盛り上げ……と思っていると、町娘の悲鳴が上がった。若い衆が悪さをしたのだが、そこに割って入ったのが団七、つまり主人公の勘九郎その人である。芝居が始まる前から、すんなりと劇的空間に溶け込ませようというサービス精神たっぷりの演出だ。
花道(両花道)は客席内に造られている。というか通路を利用している。客席の前3分の1ほどは平土間になっていて、役者がその中に容赦なく踏みいってくる。勘九郎を始め、橋之助や獅童など人気役者が入ってくると、それだけで大騒ぎだ。本水や泥舟など原作(18世紀)にある工夫はもちろん、大道芸よろしく皿回しやジャグリングをする役者がいたり、黒衣が手に持ったスポットライトを役者に当てたり、いわゆる「遠見」とは逆に舞台装置が『ガリバー旅行記』のように小さくなったり……と、意表をついたシーンが続出する。

極め付きは、まずは殺し場の最後。舅を殺した団七が、祭の喧噪に紛れて現場を逃れるシーンだ。なんと舞台奥の扉が開け放たれ、渋谷の街が客席から丸見えとなるのである。もっとも、これはコクーン初演時にもあった演出で、しかも劇場の裏手とあって風景がいささかショボい。今回のホントにホントの極め付きは、まさしく終幕。捕り手に追い詰められた団七と義兄弟の徳兵衛(橋之助)が、徳兵衛の故郷に落ち延びようとすると、先ほども開いた舞台後方の扉が開け放たれる。そしてふたりが渋谷の街へ向けて走り出すと(バラしてもいいよね、公演は終わっちゃったから)、なんとなんと、赤いライトのパトカーがサイレンを鳴らしつつ現れるのだ!
勘九郎は十代の終わりごろに唐十郎の芝居を観て、状況劇場の赤テントこそが江戸の芝居小屋に匹敵するものであり、いずれは赤テントのような空間で歌舞伎をやりたいと思っていたという。その夢がコクーンと平成中村座で叶ったというわけだが、芝居の終幕にテントを開け、新宿の高層ビル群を見せるのは、花園神社時代の状況劇場の十八番だった。寺山修司も映画『田園に死す』で、田舎の土間の壁がぱたぱたと倒れると、そこは新宿駅前、というドラマティックなラストシーンを撮っている。1942年生まれで自由劇場出身の串田を間にはさみ、400年の歴史を持つ歌舞伎と、1960年代のアングラ演劇が幸福な合体を果たしたと言ったら言いすぎだろうか。
「伝統芸能」とはいうものの、歌舞伎は第一にエンタテインメントである。そうでなければ現役ではいられない。宮沢りえとの一件があってから個人的には思うところがあるけれど(笑)、超一級のエンタテインメントを見せてくれる勘九郎には頭が下がる。
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。