COLUMN

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Out of Tokyo

065:死に対峙すること
小崎哲哉
Date: June 19, 2003
『Mega Deth』(99) | REALTOKYO
『Mega Deth』(99)

アーティスト宮島達男の『Deathclock』が発表された。『Death of Time』(1990-92)、『Mega Death』(99)と続く「Death Series」の「完結編」にして「総集編」だという。以下、プレスリリースより。

<作品購入者は、まず自分自身の「生」と「死」と向き合い、残された時間について考え、インターネット上で「死の時」を設定。(中略)それぞれが持つパソコンへ作品をインストールし、さらに、付属するWebカメラをつなげ、その時の自分を写真として記録することで、作品は成立する。インストール時は、「0の時」=「死の時」まで、パソコン上でカウントダウンが続けられる。>

 

最初に感じたのは「なんだ。デジタル化した『ドリアン・グレイの肖像』じゃん」ということだった。カウントダウンは宮島の十八番だからいいけれど、「死の時」を自分で設定するなんて粗雑に過ぎるとも思った。オスカー・ワイルドの小説に出てくる肖像画とは違って、写真は老けたりしない。もちろん数字だけで「0の時」=「死の時」を想像するところに宮島作品の妙味があるのだろうが、それにしても50万円は高すぎる。

 

Deathclock | REALTOKYO

だが記者会見に出かけていって、その思いこみが間違っていることを知った。まず、『Deathclock』は宮島単独の作品ではない。アーティストにして音楽家の立花ハジメ、グラフィックデザイナーのタナカノリユキ、ファッションブランド「SOPH」のプロデューサーである清永浩文とのコラボレーションである。中でも、立花の関与が作品のキャラクターを決定づけている。「RFID (Radio Frequency Identification)」なる無線通信を使った識別技術が応用できるタグを「SOPH」の服に埋め込み、『Deathclock』がインストールされたコンピューターとの間、さらには作品を購入したユーザー全員の間でネットワークが形成されるというのだ。立花は、この小さなネットワークの中にどんなアクションを発生させるか、そのシステムデザインを担当している。

 

Deathclock | REALTOKYO

もちろん、あるタイミングで全員が共有できる何か――たとえば音楽――を発信する、なんていうことはすぐに想像できる。「メメント・モリ(死を想え)」というメッセージが、テキストや画像や動画で送られてくるかもしれない。乱数を埋め込むことによって、偶然の何かが参加者の行動を変える可能性だってある。いずれにせよ重要なのは、この作品が「死」という絶対的なキーワードを核にした、あえていえば「宗教的な」共同体をかたちづくるということだ。中心にいるのは宮島であり、立花であり、あるいは自らの写真かもしれないが、「宗教的」と言ってもそれは神でもドグマでもない。釈迦の時代の原始仏教や上座仏教(いわゆる小乗仏教)は、一神教とは一線を画する「絶対神を持たない宗教」だが、『Deathclock』は究極的な「無神教」となりうるのではないか。

 

だとすれば、これは実にエキサイティングなプロジェクトだ。人間は共同体=物語、すなわち「家族」「国家」「宗教」などがなくては生きられない生き物だが、デジタル技術を中心に置いた、きわめて珍しい非宗教的宗教、反物語的共同体が誕生することになるのだから。その意味で<「生命の尊厳」について考えるきっかけづくりを行う>(プレスリリースより)などという、ともすれば安っぽいヒューマニズムに陥りがちなことは言ってほしくないが、それはまあ措いておこう。この「共同体」に参加する者が、死という深淵に、既存の宗教のような甘いコーティングなしに対峙できるのかどうか、じっくりと見守りたい。

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。