

彩の国キリアン・プロジェクト『KYLIAN - NDT Festival 2002』が閉幕した。年齢別に分けられた3つのカンパニーの実力が再確認されるとともに、プラハ生まれの振付家の原点にロマン主義があることも了解できたという点で、きわめて意義深い公演だったと思う。後者については、NDT Iが踊った1978年作品『詩篇交響曲』が明らかにしたものだ。「様式美」とも呼びうるほどにスタイルがととのった作品で、ストラヴィンスキーの音楽に乗って8組の男女カップルが官能的なダンスを披露する。近作に見られる女性ダンサーが上空に飛翔するイメージが、こんな初期の作品にも見られて興味深かった。
10月の第1週に上演されたガラのフィナーレでは、いささか唐突に北朝鮮による拉致事件のニュース音声が流され、ダンサーが黙祷のような所作を見せるシーンがあった。これは評価が分かれるところだろう。欧米諸国では「日本国内の事件」としてあまり報道されることのないニュースだが、キリアンは日本の観客に何を伝えたかったのか。どうせやるなら「挨拶」にとどまらず、もう少し本格的に取り組んでほしかった、というのが僕の個人的感想だ。

それはともかくいちばん楽しかったのは、ガラに先立って披露された『バックステージ・ツアー』だった。その名の通り、観客に劇場の舞台裏を見せる作品だ。観客は連れだって2階に上り、客席横にあるふだんはオフリミットのドアをくぐり抜ける。そこから先は別世界。「ライブ・インスタレーション」と謳われているが、大道具置き場の奥や、柱の陰や、配管の裏など、ここかしこに不思議なコスチュームを身にまとったダンサーが配置されている。鳥かごに入れられた白い鳥と戯れる半裸の男。フラミンゴのように片足で立ち、舞踏のような動きを繰り返す女。奈落の底を大海原に見立て、「巨大なスカート=波」の合間から上半身だけを出して、セリで上下しながら踊る女‥‥。「お化け屋敷みたい」という声が大勢から上がった。

キリアンとともにコンセプトを考え出した、フランス人アーティストのカリーヌ・ギゾらによる美術と衣裳は原色を多用し、極端にデフォルメされたデザインで観る者を圧倒した。同じチェコ出身のアニメーション映画作家、シュヴァンクマイエルとも通じるシュールリアリスティックな「ツアー」だったと言えるだろう。キリアンとシュヴァンクマイエルは、「最後のシュルレアリスト」かもしれない。
覗き見趣味と言われればそれまでかもしれないが、「裏」を見たいという欲望は多かれ少なかれ誰もが抱いているものだろう。それに、パフォーミングアートの出自はそもそもがいかがわしい。だからこれはとてもナイスな企画だと思う。暗くて饐えた匂いがして、ほのかにエロティックな昔の芝居小屋を彷彿させると言えばよいか。コンテンポラリーダンスが持つ「上品」「貴族趣味」あるいは「無機的」「ミニマル」等々といったイメージを、ほかならぬダンス自身が裏切ってみせる瞬間に立ち会う快感がそこにはあった。
同じような試みは他の劇場はもちろん、コンサートホールや美術館でもできるのではないだろうか。始終見せるべきものではないとは思うけれど、たまには「表」のツンとすました顔ばかりではなく、いつもは隠されている「裏」の顔も見たい。キリアン+ギゾばりの才能が要求されることは言うまでもないし、安全面等の問題もクリアされなければならないだろうが、果敢な表現者と運営者の決断に期待したいものだ。
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。