
9.11から1年が経過したので、そろそろ「戦争/テロに関するBBS」を店じまいしようかと思っている。もちろん、完全にオシマイというわけではない。投稿者からいただいた関連URL を整理・リスト化し、さらに10月には「(9.11ではなく)10.11」と題するREALTOKYO BARも開く予定だ。「9.11の1年後」を世界のメディアがいかに報道したかを検証するトーク+パーティ。詳細は追ってお知らせします。

さて、BBSを閉じる前に、読んでいない読者のために、最近僕自身が書き込んだちょっと面白い事実を引き写しておきたい。「9.11」やその後のアフガン爆撃、中東問題等に直接関係することではない。僕が編集統括した『百年の愚行』という写真集について、ある読者が呈した疑問に端を発する「イメージ操作」についての事実だ。「もうもうと煙がたちこめる戦場に、赤ちゃんがポツンと置き去りにされている写真が収録されているが、あの写真はいわゆる『やらせ』写真であるという説が有力だ。それを承知で載せたのか」というのが読者の疑問である。



普及版p.144〜145に掲載した写真のことだ。エージェントによって「日本軍による空襲後の上海」というキャプションが付けられている。この写真が一部の人々によって問題視されていることは、僕は不勉強で知らなかったが(汗)、『百年の愚行』のプロデューサー、上田壮一らスタッフは承知していた。たとえば雑誌『諸君!』2002年5月号に、「ニセ写真のカラクリを暴く」(松尾一郎)という記事が掲載されている。また、小林よしのり著『戦争論』p.158〜159には「日本を悪魔に仕立て上げたニセ写真」という記述がある。双方ともこの写真を問題にしている。
小林氏が絵と写真に添えた文章を引用しよう。「この写真には(中略)別物があるすぐ横に保護者となり得る大人がいて別の子供もいる わざわざ一人ぽっちのを撮ってイメージ操作してるのだ」。
松尾氏のウェブページには動画画像が付いていて、なるほど、被写体となった赤ん坊を運んでゆく成人男性が写っている。そこで、小林氏が引用写真の出典元として明記している平凡社『20世紀の歴史15』を取り寄せて比べてみると、面白いことがわかった。問題の「ヤラセの証拠」とされている写真には、右手前の線路付近に小柄な人物(子供?)の死体が横たわっているのだが、『戦争論』に引用されている写真には写っていない。いや、厳密に言えば、右下の隅に死体の足が写っているのだが、そういわれなければ気づかないようにトリミングが施されているのだ。これをこそ「イメージ操作」と呼ぶべきではないか。
![『20世紀の歴史15 第2次世界大戦 [上]』より | REALTOKYO](/docs/files/image/ozaki046_04.jpg)
同じく右下の部分に注目
『百年の愚行』のアートディレクター佐藤直樹は、スタッフのメーリングリストでいみじくもこう指摘している。「『やらせ』の証拠とされているほうの写真を見ると線路のところに民間人らしき死体が横たわっていますよね。この写真からだっていろいろと考えさせられますよ。『やらせ』云々の論議自体、レベルが低すぎないだろうか。帽子をかぶった男性にしても状況をより強調しようとして何かをしていたとしても、あるいは思わず近づいただけだったとしても、シャツの汚れ具合を見てもわかりますが『その場に立ち会っていた』ということが事実として残っている。それだけのことだと思うんです。むしろこちらを使ってもいいくらいだった(笑)」
プロデューサーの上田は以下のように書いてきた。「確実に空爆された町があり、確実に傷ついた子どもがいて、その憤りや悲しみを写真として表現して世界に伝えようとした写真家が、その意図を強めるために行った行為です。(中略)この写真を撮るために、町を壊し、子供にメイクをしていたとしたら、それはホンモノの『やらせ』ですが‥‥」。補足すれば「その意図を強めるために行った行為」というのは子供ひとりを撮ったことであり、構図などで悲惨さを「強調」したことだ。

相争う国が戦時の写真をプロパガンダとして用いることは、写真誕生以来の常識であり、この写真がそうでないというつもりはない。だがそれ以前に、爆撃があり、破壊された都市があり、傷つけられた子供がいて、殺された者も多数いる。その事実のほうが何よりも重要であり、本質であると僕たちは考え、この写真を『百年の愚行』に採録した。
いわゆる修正主義者の言説は、本質を見落としているがゆえにレベルが低い。漫画家としてイメージを扱う小林氏の「イメージ操作」には呆れるほかはない。
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。