
前々回のコラム(028「翻訳が遅い!」)には数人のプロの方からご意見が寄せられた。自ら翻訳本も手がける出版社勤務の友人は「オースターの本を早く出すべきだというのはまったくの正論だが、下訳者を増やすというのはリアリティがない」という。また、「よい訳者は多くの仕事を抱えていて多忙であり、したがって翻訳も遅くなる。抱えている仕事が少ない翻訳家は、たいがいは仕事の質が悪く、やりとりを繰り返さねばならないから結局は時間がかかる」そうである。
ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版の発行人、齋藤かぐみさんの意見もよく似ている。転載を承諾していただいたメールに曰く「毎月私が感じているのは、うまい人ほど遅いってことです。なにかと多忙ってこともあるんでしょうが、職人的なこだわりがあるからでしょう」「この特殊ケースで言ったら、オースター原書、柴田訳とも熟読し、(好んでかどうかは別として)柴田スタイルに近い日本語を作れる人でないと下訳を務められないのでは。柴田元幸さん本人が、かなりスタイルが違ってもそれもまたよしと考えて、監訳に当たるって仮定だとまた別でしょうけど、それはそれでまた時間がかかりそうな気がする」
で、これは僕もまったく賛成なのだが「問題は、読者が柴田訳を求め、あるいは出版社が柴田訳でないと売れないと判断、あるいは彼以外の人に頼むことを自粛する、というような構造にあるのでは」「出版社に力があって、原作者も異論がないような場合には、コンクールなんて制度も面白いんじゃないか」。ちなみにディプロ日本語版は、ほとんどボランタリーに翻訳家が結集し、原語(フランス語)版を精選して翌月には翻訳配信している。先月などは、日本語にして400字詰めで70枚になんなんとする、ジャック・デリダのアドルノ賞受賞演説を全文翻訳・一挙掲載するという離れ業を見せた。新潮社をはじめとする諸出版社の方々はぜひ見習っていただきたい。繰り返すが小説1冊に6年とは長すぎる。


そもそも出版社だってやればできるのだ。「小説とは違う」といわれるかもしれないけれど、たとえばノーム・チョムスキーの『9.11 アメリカに報復する資格はない!』(山崎淳訳・文藝春秋)は9/11以降のチョムスキーの発言をまとめた書で、11月30日に初版が刊行されている。また、2月1日に刊行されたスーザン・ソンタグの『この時代に想う テロへの眼差し』(木幡和枝訳・NTT出版)は、93年以降の彼女の論文やインタビュー、スピーチをまとめた日本オリジナル編集だが、ここでも4分の1ほどは9/11以降のものである。
ちなみにソンタグの書物に収録された「サラエヴォでゴドーを待ちながら」と「エルサレム賞スピーチ」は感動的だ。前者は94年に季刊『批評空間』に訳出されているが、文字通り戦火のもとでベケットの戯曲を演出した際の経験が、いかなる報道ルポルタージュをもしのぐと思われる臨場感をもって活写されている。後者は2001年5月に行われた講演の記録で、話者はそこで「作家の第一の責務は、意見をもつことではなく、真実を語ること」と語っている。真実は時とともに変化するのだろうか、しないのだろうか。それはわからないが、僕はなるべくリアルタイムで、作家が語る「意見と真実」を読みたいと思う。
*NTT出版より『この時代に想う テロへの眼差し』の読者プレゼントがあります。詳しくはプレゼントページをご覧下さい。(終了しました)
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。