COLUMN

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Out of Tokyo

028:翻訳が遅い!
小崎哲哉
Date: January 11, 2002

現代文学ファンなら誰もが心待ちにしていたに違いない、ポール・オースターの『ミスター・ヴァーティゴ』がようやく翻訳された。カフカの(『アメリカ』あらため)『失踪者』を想わせる、波瀾万丈な傑作ビルドゥングスロマンである。だけどこの日本語訳が読めるようになるまでにどれほどの歳月がかかったことか。他のケースも含め、オースター作品のオリジナルと日本語版の、発行年の違いを一覧表にしてみよう。

 

Mr. Vertigo | REALTOKYO
『Mr. Vertigo』
英語版

1.『孤独の発明』(1982/1991)
2.『シティ・オヴ・グラス』(85/89)
3.『幽霊たち』(86/89)
4.『鍵のかかった部屋』(86/89)
5.『最後の物たちの国で』(87/94)
6.『消失 ポール・オースター詩集』(88/92)
7.『ムーン・パレス』(89/94)
8.『偶然の音楽』(90/98)
9.『リヴァイアサン』(92/99)
10.『空腹の技法』(92/2000)
11.『ミスター・ ヴァーティゴ』(94/01)
12.『スモーク&ブルー・イン・ザ・フェース』(95/95)
13.『Hand to Mouth: A Chronicle of Early Failure』(97/未)
14.『ルル・オン・ザ・ブリッジ』(98/98)
15.『Timbuktu』(99/未)

 

この内、未訳のものと映画脚本を収録したもの、つまり12〜15を除くと、これまでに邦訳されたオースター作品は全部で11冊。ほとんどが訳されているのはめでたい限りだが問題は訳出にかかった時間である。単純計算して、1冊平均約6年。いくら何でも、これは時間のかかりすぎではないだろうか。

 

もちろん翻訳に時間がかかるのはある程度は当然だ。版権の取得と契約、翻訳者の確保、実際の翻訳と推敲、さまざまな事実確認や校閲……。そもそもインド・ヨーロッパ語圏の、つまり文法も語彙も、さらには文化的背景もまったく異なる言語表現作品を日本語に移し替える作業自体、想像を絶する苦労があるだろう。オースター作品のほとんどは、人気と実力を兼ね備えた翻訳家・柴田元幸が和訳しているが、おそらくは原文の簡潔にして含意に富んだニュアンスを訳すのに、信じがたいほどの努力を尽くしているに違いない。

 

Mr. Vertigo | REALTOKYO
7年後に出た邦訳版

とはいえ6年(『ミスター・ ヴァーティゴ』は7年)というのは、あまりに長すぎる。映画『ルル・オン・ザ・ブリッジ』のプロモーションのために来日したとき、オースターは日本人インタビュワーのほぼ全員が、自身の最新作を(それどころかほとんどの近作を)読んでいないのに愕然としていたという。そりゃそうだろう。

 

実際、柴田と村上春樹の共著『翻訳夜話』(文春新書)で、村上が「スピードって大事ですよね。(中略)これは賞味期限の問題だと思うんです。小説には時代的インパクトというものがあるし、同時代的に読まれなくちゃいけない作品も、やはりあると思いますよ」と述べ、柴田はそれに対し、「それは僕にとって耳が痛い話で(笑)」と受けている。だが、ことはもっと構造的な問題ではないだろうか。ほんのわずかのコスト増で、下訳者の数を増やすことができ、それは出版のスピードに直結する。本の定価が100円か200円上がっても、なるべく早く翻訳を読みたいと思う読者は少なくないはずだ。

 

リナックスと同様にオープンソースにして、不特定多数の翻訳家がブラッシュアップしてゆく、というやり方は文学作品には馴染まないだろう。でも、複数スタッフによるチームワークは検討に値する翻訳出版スタイルではないか。名翻訳家・柴田の個人的ファンが多いことを承知の上での提案だ。版元の新潮社さん、いかがですか?

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。