COLUMN

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Out of Tokyo

025:NYテロと知識人の声
小崎哲哉
Date: November 22, 2001
論座 | REALTOKYO
『論座』
(朝日新聞社出版局)
1999年9月号

99年3月にユーゴ空爆が始まったとき、日本のメディアは通り一遍の報道しかしなかった。「通り一遍」というのは、表面的な事実報道だけで、空爆やバルカン情勢をめぐる知識人による議論、論争の報道を怠ったということだ。僕はバルカンやイスラム諸国のメディアはチェックしていないが、NATO諸国の報道は面白かった。『ニューヨーク・タイムズ』『ガーディアン』『ル・モンド』『リベラシオン』など、各紙それぞれに百家が争鳴し、インターネットにも多くのニュースが流された。

 

たとえば、リベラルだと思われていたペーター・ハントケの「転向」。ヴィム・ヴェンダース監督作品『ベルリン・天使の詩』の脚本でも知られる作家ハントケは、91年のボスニア戦争以来急速に「反動化」し、ミロシェヴィッチ支持を公然と唱えはじめた。セルビア騎士の爵位を得たとの報道もあり、ユーゴ空爆の際には、これを「ホロコースト」と表現してかつての同志的存在だったリベラルな知識人を激怒させた。米国の批評家スーザン・ソンタグは「今後は一切彼の本は読まない」と公言し、英国に亡命中だった作家サルマン・ラシュディは「今年度国際大馬鹿グランプリ」の候補にハントケを数え上げた。

 

文壇ゴシップとしても相当に面白い話題だと思ったのだけれど、なぜか日本の報道機関は、文芸誌を含め無反応だった。おかげで僕は、その任でもないのに雑誌『論座』に、ハントケの顛末を含む欧米知識人のてんやわんやを書く羽目に陥ったが(『論座』99年9月号「コソボ戦争で引き裂かれた欧米の知識人たち」)、この手の話って、大新聞のヨーロッパ特派員とか、小説家とか、文芸評論家とか、翻訳家とかが書くべきなんじゃないの? 大いに疑問に感じたものだ。

 

週刊現代 | REALTOKYO
『週刊現代』(講談社)
2001年11月24日号

だが今回のテロ/戦争では、事情はまったく異なっているように見える。『現代思想』は「これは戦争か」という標題のもとに、ジャック・デリダ、スラヴォイ・ジジェク、フランシス・フクヤマらの論評をまとめた臨時増刊号を刊行し、『週刊現代』は林葉直子のヌードを掲載しているのと同じ号(11/24号)に、なんとウンベルト・エーコが『レプブリカ』に発表した評論を訳出した。文芸誌『新潮』も、『ニューヨーカー』誌が主催し、ジョン・アップダイク、ドン・デリーロ、ウディ・アレンらが参加した朗読会の模様をレポートしている。新元良一による報告という形式ゆえ(つまり、各作家の生の声が載っていないゆえ)欲求不満が残るが、2年半前と比べると「隔世の感」さえある。

 

新潮 | REALTOKYO
『新潮』(新潮社)
2001年12月号

もちろんこれは、コソボ戦争に比べて今回のテロ、戦争が頗る「近い戦争」だからだろう。ニューヨークやワシントンは、ベオグラードに比べると心理的・心情的にきわめて近いのだ。カブールやカンダハールが依然として地の果てのように遠いこと、イスラム系知識人の声が聞かれないことは大問題だが、ともかく諸外国の知識人のオピニオンを知ることができるのはうれしい。各メディアのさらなる健闘に期待したい。

 

日本の知識人では、作家・池澤夏樹の活動が文句なしにすばらしい。書物や報道や知人から多くの情報を収集し、他のソースやコメントと照らし合わせて綿密に検証・分析し、なるべく平易な文章で自らの意見を述べる。他の怠惰な作家(某ノーベル賞作家とかね)とは明らかに一線を画している。無料配信の「新世紀へようこそ」というメールマガジンで、最近ではasahi.comにもバックナンバー込みで転載されているので一読をおすすめする。そうそう、わがRTの「テロと戦争に関するBBS」への書き込みも、どうぞよろしく。

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。