

前田ジョンの大規模な展覧会が、10月21日までICC(NTTインターコミュニケーション・センター)で開かれている。前田は十数年にわたり、デジタルテクノロジーのグラフィックデザインへの応用について深く考えている実作者にして思索者だが、本展を観る者はふたつの相異なった印象を同時に抱くに違いない。まず、現時点までの前田の試みを俯瞰するのに過不足ない、行き届いた作品選択であること。もうひとつは、にもかかわらず会場規模が広すぎること。
結論を先に言ってしまえば、ネット上であるいはパッケージメディアでパブリックに観られるソフト作品が無視できないほどに展示されているのだ。縮小されたとはいえICCの1フロア以上を用いているのだが、階下の十数台を加え、会場全体に置かれたパソコン端末は50台を下らないだろう。それらのうち、インターネットにつながっているものはほんのわずか。さすがは NTTらしくi-mode作品がネット上で体験できるが、それにしても、CD-ROMや前田自身のサイトなどに発表されているものがかなりある。だったら、見せたい作品を網羅したインターネットサーバーを1台、会期中立ち上げておけばいいだけの話じゃないの。

メディアアートがメディアアートとして生き残るためには、限りなく「イメディアット(immediate)=無媒介的・直接的」なアートにならなければならないと僕は考えている。その意味で、家からだろうがどこからだろうがネットで簡単にアクセスできる作品やソフトが、会場=ICCに来なければ体験できないかのように、何の但し書きもなく展示されているのはおかしいのではないか。メディアアートであるがゆえにイメディアット(即時)に鑑賞・体験できる開かれた作品が、ここでは閉じられた展示物として扱われている。
多くの学者が言うように、いずれは大部分のインターフェースは希薄な存在となり、人は自身が操作していることをほとんど意識せずにデジタルプロダクツを使用するようになるのだろう。もちろん前田もこの考えに与する者であり、その意識は本展からも十全に伝わってくる。けれどもやはり「惜しい!」という感は否めない。展覧会場を非躍動的なアーカイブにしてしまってはもったいないと思う。ま、メディアアートの最大の逆説ですけど。
公平を期すために書いておくと、上記以外のインスタレーションの出来は相当にいい。特に、岩井俊雄の作品にも通じる、音声をビジュアルに、あるいは体感できるリズムに、さらにはまったく別の音楽に変換するような作品(旧作)はとても楽しい。メディアアートの定義のひとつには「メディアの境界を越えること」ということが含まれるだろうが、これらの作品はその定義を軽々と、そして愉快・痛快にクリアしている。
『デジタルの先へ』というのが展覧会タイトルだが、「デジタルの前」と比較するような企画でもよかったかもしれない。前田の思考の種となった他者の先行作品と並べて、「プレ」と「ポスト」を比べてみるのである。次回の企画展に期待します。
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。