COLUMN

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Out of Tokyo

018:キヤノン・アートラボの「撤退」#2
小崎哲哉
Date: August 17, 2001

承前

僕が生まれて初めてメディアアートらしきものにめぐりあったのは、80年代前半のことだ。といっても、どこか外国の「メディアアートセンター」とかそういう場所でではない。駆け出しの雑誌編集者だったときに、英国の出版社から「日本特集」取材の依頼があった。先方が特に求めていたのは主にふたつ。パソコンのモニター前に座っている僧侶と、隆盛を極めていたラブホテルの写真だった。

 

男性カメラマンとふたり、真っ昼間のラブホ街に出かけていった。各部屋が様々な国の風景を模しているというのが自慢のホテルで、僕らが撮影したのは「アメリカの間」だった。部屋の真ん中にはスペースシャトルをかたどったベッドが置かれ、そのベッドを自由の女神像が見下ろし、天上と壁には宇宙空間が描かれているというとんでもない内装である。ところが撮影中、部屋の照明が微妙に変化する。どうしてだろう、としばし考えてわかったのだが、どこかにマイク/センサーが仕掛けてあって、声の大小だか高低だかに反応して天上の星(に似せたライト)が明滅するのだった。

 

センサーがあり、センサーに働きかける人間がいて、その結果アクションが起きる。これは立派なインタラクティブアートである。ICCのオープニングの際に、作品の発想も技術的な構成もこれに酷似した作品を発見し、ため息をついたものだ。ある種のメディアアートは、20年近く前につくられたラブホの装置と五十歩百歩のしろものである。インターフェースと目的のわかりやすさという点でいえば、むしろ先人の知恵と配慮に遠く及ばない。

 

岩井俊雄『テーブルの上の音楽』1999 | REALTOKYO
岩井俊雄『テーブルの上の音楽』1999

ラフォーレミュージアム原宿で開催されている岩井俊雄展(~8/19)は、この作家のここ2年あまりの作品を集成していて迫力がある。これは希有な例外というべきものであって、アートラボがプロデュースしたものも含むいくつかのメディアアートには、説明書を要する、すなわち作品がインターフェース的に自立・自律していない中途半端なものが少なからずあった。作家の力不足が何よりの原因だが、企業スポンサーシップが惰性的な方向に作用したケースもあったのではないか(「予算はある。会場は押さえた。とりあえず何かをつくってしまえ……」)。もしそうであれば、一度いやな流れは断ち切った方がいい。

 

阿部一直は「トポスの力を使いながら開かれている空間を作ってゆきたい」と語った。四方幸子は「場所や設備がなくても機能を備えた『ひとりバーチャルメディアセンター』をつくるつもり」と笑った。その言やよし。とりあえずふたりは2003年に開館する「山口情報芸術センター」の仕事にかかわっているが、そう、その手があるのだ。場所を持たない、いわば「出前キュレーター」としての美術展づくり。いずれふたりが「メディアアートラブホテル」をプロデュースしたっていい。僕は半ば本気でそんなことを考えているが、でもシューリー・チェンのほうが適役かもしれないね。

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。