COLUMN

outoftokyo
outoftokyo

Out of Tokyo

003:「リアルタイム」が歴史を殺す?
小崎哲哉
Date: November 27, 2000

イーノを知らない子供たち

 

30代半ばの友人から面白くも困った話を聞いた。彼はレイヴ好きの音楽家で、一回りほど違う若い世代とつきあいがある。この連中が実に蒙昧な輩で、たとえばペニシリンやプルトニウムが何であるか知らないばかりか、そもそもその名を聞いたことさえないという。聞くところによれば、文部省が理数系の授業を年々減らしているために、今日びの日本の大学生は分数の足し算すらできないというから、これくらいで驚いてはいけない。

 

ブライアン・イーノ『AMBIENT 1 MUSIC FOR AIRPORTS』(1978) | REALTOKYO
ブライアン・イーノ『AMBIENT 1 MUSIC FOR AIRPORTS』(1978)

真に驚くべきはその先で、この20代の愛すべき善男善女は、アンビエント好きを自称し、中にはクラブDJやレイヴ主催者がいるにもかかわらず、ブライアン・イーノを知らないというのだ。まあ、フローベールや夏目漱石を読んだことがなくても小説は書けるし、フォン・ノイマンやアラン・ケイの名を知らずともコンピューターは使えるだろう。でもジャンルの元祖たるイーノってまだバリバリ現役だし、アンビエント系の音源としても不可欠の原点=原典なんじゃないの? あ、アラン・ケイもまだ現役か。失礼しました。

 

自分だって知らないことは山ほどある。彼らが僕よりも長けている点も当然あるだろう。一例をもって一般化もできないから、あげつらうのはもうやめにする。ただ、無知の原因がWWWにあるのではないかという疑念が頭をもたげてくるのを抑えられない。友人・知人間の貸し借り、すなわちコピーも当然無視できないけれど、ネットを探れば無限にも思える情報が、ほとんどは無料で手に入る時代だ。ナップスターはレコード業界の軍門に下ることで有料化しそうだが、音楽ソースを含めてネットの無料化傾向に歯止めはかけられないだろう。それはそれで仕方がない。

 

WWWに潜む罠

 

問題は「無限にも思える」情報がもちろん有限、しかもあるバイアスがかかっての有限である点だ。WWWの一般への普及をモザイク誕生(1993年)からとすると、「インターネット時代」は7年の歴史しか有していない。すなわち、WWW内に蓄積されたデータは7年分しかなく、それは人類がこれまで持ち得なかった膨大な量であるとはいえ、大部分は「リアルタイム」という名の共時的なものだ。

 

そこには、過去へとさかのぼる視点とデータがほんの一部を除いて欠落している。新聞のアーカイヴを例に取れば、ニューヨーク・タイムズが96年から、ル・モンドが87年から、朝日新聞が84年8月から。言語の違いという壁には、串刺し検索ができるオンライン多言語辞書などによっていずれ小さな穴が空くだろうが、時という壁を越えるのは容易でないどころか不可能だ。今こうしている瞬間にも、時間は容赦なく流れているのだから。

その観点から言うと、IT時代以前の文学作品や論文等をデジタル化する(主にヴォランタリーな)活動はいくら誉めても誉めたりない。それは蟷螂の斧にすぎないが、歴史意識がある以上、実は硬く鋭く強靱な斧であると思う。コミックスだの娯楽小説だのの復刊ばかりを望むオンデマンド出版サイトがあって、それはそれでいいけどさ、それだけではもったいない。お宝は歴史の中に埋もれている。

 

「無料」の時代に

 

『文藝春秋』12月号 | REALTOKYO
『文藝春秋』12月号

文藝春秋』12月号に、作家で書誌学者でもある林望が「図書館は「無料貸本屋」か」という記事を書いている。題名から察せられるように、公共の図書館をめぐるよく耳にする論議だ。良書を収録すべき図書館が、利用者におもねるあまりにベストセラーを優先して購入していることを批判する内容で、具体例が数多く盛り込まれていて面白い。都内某区の区立図書館は、500万部近く売れたといわれる乙武洋匡の『五体不満足』を80冊も購入したという。区内10館の総計とはいえ、限られた予算内で80冊とは!

 

林はもちろん著作権者の立場に立っているが、これに対する公共図書館側の反論は「住民のニーズに応えて何が悪い。ショーケースとして新刊を並べることにより宣伝にもなる」というものが多い。頭もタチも悪いこの手の主張に対しての再反論も、林はきちんと用意している。議論に遺漏はないから、興味のある人は文春を読んでほしい。

 

11月14日付ワシントン・ポスト紙には、デイヴィッド・ストライトフェルドによる「アマゾン、古書販売で非難の的」が掲載されている。かいつまんで言えば、アマゾンパウエルなどの大手オンライン書店が古書を新本と同じページで販売しているために、版元や著者が、入るべき収入が入らずに迷惑しているという話。「もうちょっとでいいから、古本が見つかりにくいようにできないものかねえ」という某作家のコメントが哀れを誘う。

 

とはいえ、図書館がやっていることに比べればオンライン書店は罪が軽い。僕は、本が生きている限りは新本を買うべきだと思って原則的にそうしているが、古本にはなにがしかの価格が付くのに対し、公共図書館での不特定多数への貸し出しはまったく無料である。版元も著者も、そして周辺の書店も被害を受けているのは明白だ。林が主張するように、図書館はなぜ、絶版の危険性が高い良書の購入にもっと金を割かないのか。

 

どれもこれも「無料」が諸悪の根元のように見えるが、背後にあるのは歴史への無関心だ。そこの君、本やCDくらい自腹切って買えよ。ちなみにイーノはWWWにも載ってるぞ

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。