
「世界一おもしろい街」東京?
1980年代の半ばに、情報誌『ぴあ』が「私たちは、世界一おもしろい街に住んでいる。」というコピーの広告を出したことがある。『ぴあ』には地方版もあるけれど、ここでいう「世界一おもしろい街」とはもちろん東京のことだ。経済が泡のように膨らみはじめた時期を反映した、景気が好いコピーだったとは思う。でも同時に、「何か違うぞ」という違和感を覚えたのも事実だった。

なるほど、映画も音楽もステージもアートも、以前に比べて質量ともに豊かになってきてはいた。映画でいえば、ハリウッドの大作ばかりでなくヨーロッパ諸国の小品、アジア諸国のアクションものなど、さまざまな選択肢が提供されはじめた時代だ。名画座が滅びゆく一方で、いわゆるシネマ・コンプレックスが誕生し、アテネ・フランセや日仏学院やフィルムセンターががんばりはじめたのもこの時期ではなかっただろうか。
この流れは現在にも引き継がれ、タイトルのヴァラエティに限っていえば、東京は今や(入場料が高いことと、終電という制約もあって最終回が早すぎることを除けば)世界的に一頭地を抜いた映画都市である。それには、たくさんの映画人や映画関係者の努力に負うところが大きかったが、ほかならぬ『ぴあ』が果たした役割も見過ごせない。僕自身、年間数百本の映画を効率よく観て回るために、少なからずお世話になった。事情は、音楽やアートや演劇やダンスでも似ていると思う。
クォリティ・ペーパーが不在の国
その事実をきちんと評価した上であえて言わせてもらえれば、東京の「世界一宣言」はやはり噴飯ものだろう。といっても、カルチャー・イヴェントの量と質をパリやニューヨークなどと比べてのことではない。それ以前に、僕たちがほかの街を、外の世界を驚くほど知らないことが、そしてそれがいまもまったく変わらないことが問題なのだ。それらの国の大都市で何が観られ、聴かれ、読まれ、語られているかを、僕たちはどれだけ知っているだろう。映画でも音楽でも、それが置かれている文脈を知ることなしに、本当に理解するなんてありえない。

もちろん「世界」の大都市だって、自分の身の回りのことしか眼中にない連中のほうが多い。前に別の場所で書いたことだが、新聞を例にとれば、自国の政財界のスキャンダルや、芸能人のゴシップや、巷の猟奇事件を報じる扇情的なタブロイド(夕刊紙)のほうが、どこの国でだってよく売れるのだ。でもよくしたもので、欧米にはクォリティ・ペーパーもちゃんとあって、少数とはいえそれなりの数の読者を獲得している。
政治的な主張や立場はそれぞれ違う。ときには誤報などミスも犯すし、格調が高すぎて鼻持ちならない印象を与えるものもある。それでも、国際面が2ページしかない日本の「(自称)クォリティ・ペーパー」に比べれば、まず国際ニュースの量が違う。読み手にも知識人が多いから、その後の伝播力・影響力も違う。たとえていえば、世界の食材をそろえ、食いしん坊が集まるグルメ・スーパーみたいなものだ。
この点において日本の「(自称)クォリティ・ペーパー」は、商品構成が貧弱に過ぎる。自国産の食材ばかりで、それもしばしば鮮度が低く、エスニック・フードは売れないという偏見を持っていて、直接仕入れをせずに海外の商社に頼ったりする。食材を見たことがなければ、異国の料理など想像すらできない。同様に、メディアが報じ、人々がそれについて語らなければ事件は存在しないも同然だ。
都会の生活を楽しむために
「REALTOKYO」をつくろうと思ったのは、とはいえ巨大グルメ・スーパーを開業しようなどという大それた思いを抱いてのことではない。僕たちが望んでいるのはもっとささやかなことだ。これだけ国と国とのあいだの敷居が低くなり、国境を越えたつきあいがたやすくなった時代に、距離を超えて同じ話題を共有すること。それも、株価や不動産の話じゃなくて、映画や音楽やアートやパフォーミング・アーツの話題を中心に情報を交換し合うこと。文化的な「鎖国」とはほど遠いセンスを持つ個人が集まって、世界のおいしいものについて語り合える場をつくること。
欧米にはある種の知的・文化的コミュニティがいくつも存在していて、きちんと情報のネットワークをつくりあげている。彼らはたいてい、同じ映画、同じ音楽、同じ展覧会、同じ演劇、同じ本について、さらには同じ時事的な話題について語ることができる。事情に通じていない者がいれば、すぐに誰かが教えてくれる。「鎖国」とは正反対の、開かれたコミュニケーション空間だ。インターネットのおかげで、こういった空間はもちろん国境を越えている。僕たちも、こういう空間をつくってみたいと思ったのだ。
そのためにはまず、東京の文化情報を集めて、日本語と英語の両方で紹介することから始めるのがいいと思った。集めた情報は、忘れないようにメモしておきたいから、使い勝手のよい「スケジューラー」と「リマインダーメール・サーヴィス」も開発した。誰もがイヴェント情報を簡単にアップロードでき、大資本も個人も同等に宣伝告知できるような仕組みもつくった。都会人が都会の生活を普通に楽しむためのツールがほしかった、というのが実は僕たちの本音であり真の動機だ。
巨大メディアほどの力がない現状では、東京以外のニュースを集めるのには限度がある。でもそれも、できる限り集めたいと思っている。大きなメディアではフォローできないような、小さな、個人的な、でもエキサイティングな情報が、インターネットを使えばきめ細かく取り上げられる。ひとつの都市だけではなく、全惑星をカヴァーするようになれば理想的だ。そのとき「REALTOKYO」は、「REALWORLD」あるいは「REALPLANET」になる。
いまの東京が世界一おもしろいとは僕には思えない。でも、僕たちはそれなりにおもしろい時代に生きているのではないだろうか。もちろんここでいう「時代」はひとつの国の中に限られるものではない。限られていないからこそ、この時代はおもしろいのだ。僕たちはおもしろい時代に、おもしろい世界に、おもしろい惑星に住んでいると思う。
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。