

人口370万人の横浜に、1954年より60年間もの間市民に愛されたミニシアターがある。戦後、米軍や“ハマのメリーさん”を代表とする娼婦たちで賑わった横浜の中心街、伊勢佐木町に佇む165席1スクリーンの劇場「横浜シネマリン」。都心から電車でわずか約30分という好立地で、多くの人に愛され、馴れ親しまれてきました。しかし、近年の劇場デジタル化の波に乗れず、今年3月に惜しまれつつ、その60年の歴史に幕を閉じようとしていた。そんな中、地元の映画文化を継承する劇場の再生プロジェクトが立ち上がりました。
横浜シネマリンの再生に立ち上がったのは、横浜の映画サークルで長年活動してきた八幡温子さん。映画鑑賞者の目線で、“観たい映画を地元・横浜で観たい”という気持ちから、完全自費による横浜シネマリン再生プロジェクトを発足させました。プロジェクトメンバーには、内装・照明デザインに岩崎敬氏、映像・音響設計に堀三郎氏が着任。いずれも、川崎市アートセンターの設計を担当した劇場作りのプロフェッショナルです。番組編成には、こちらも今年5月末に映画界から惜しまれながら閉館した吉祥寺バウスシアターの元番組編成、西村協氏がプロジェクトチームに名を連ねています。
本プロジェクトは、地域シネマのデジタル化、市民による再生・運営プロジェクトです。また、ミニシアター創りのプロたちが地域を超えて集結するという、現代ならではの劇場再生プロジェクトであり、ミニシアターの在りかたを根本から見直す良い事例だと思います。そんなプロジェクトの再生メンバーとサポートするスタッフのインタビューをレポートします。
【1】八幡温子(横浜シネマリンオーナー)

横浜シネマリンの再生を決めた理由を教えて下さい。
私は横浜で映画サークルを運営していて、映画館を持つことが夢でした。映画美学校に通いながら映画事業についても勉強をしていました。今年4月半ば頃、横浜シネマリンの映写機のメンテナンスをしていた方から電話があり、休館している横浜シネマリンの引き継ぎの話がありました。この機会を逃すと二度と映画館を持つ夢が叶えられないと思い、すぐに決断しました。その後、前オーナーの内嶋一雄さんとビルのオーナーに会い、引き継ぐことを伝えました。
自費で劇場の再生事業をすることについて、家族の反応は?
夫は意外にも「やりたいならやったほうがいい」と言い、また、3人の姉たちも「誰にも迷惑をかけない範囲内でやるのならいいんじゃない」と言ってくれました。予算は引き継ぐだけなので安くできるだろうと思っていましたが、老朽化したビルのため様々な問題が出てきて、想像以上にお金がかかってしまいました。
横浜シネマリンの使命とは?
映画館という場を無くさないことと、横浜の映画事情を良くすることです。運営的には、何よりも映画館を潰さないようにすることです。長期的に運営していく中で、社会的テーマをきちんと描いた作品をより多く取り上げていって、映画から文化や歴史、社会を学ぼうとする人たちにその機会を提供し続けていきたいと思っています。番組編成については、ユーロスペースの支配人、北條誠人さんに紹介していただいた、元吉祥寺バウスシアターの西村協さんと行っていきます。
【2】堀三郎(音響・映像担当/アテネ・フランセ文化センター)

旧劇場と比べ、音響が改善された点を教えて下さい。
昭和30年のオープン当時、音響はモノラル音声のみの設備で開業しました。その後のドルビーステレオ時代に対応すべく、小さなスピーカーでL/Rを補おうとしていましたが、限界は目に見えていました。このリノベーション計画では、旧来の映画スピーカーを超える同位相特性(低域から高域までの時間軸のズレが少ない)スピーカーシステムを導入。旧来の音声装置に比べ、デジタル時代にふさわしいクリアでダイレクトに届く特性により、大きなボリュームで鳴らさなくともきちんと聞き分けることができます。風の音、渚の打ち寄せる波、葉っぱの擦れ合う音……、自然の中に自身が存在することを実感いただけるでしょう。
このビルで音響を作るにあたり、難しかった点を教えて下さい。
劇場の形状がいわゆるウナギの寝床(縦に長い客席)で、音像の定位がしにくい構造でした。思い切ってスクリーンの位置を客席方向に5メートル近づけて、スクリーンのワイド化を図り、各スピーカーの音源分離とスクリーンの大型化を成立させました。また、空調機の吹き出し音が非常に大きかったので、空調システムを大幅に見直し暗騒音(NC値)の改善を目指しました。
上映に関して工夫したことを教えて下さい。
デジタルシネマプロジェクターの導入と共に、映像資産の大きな宝庫であるフィルム上映を充実させるべく映写システムの更新を行いました。映写準備に時間を要する1台映写のシステムを廃して、2台の映写機の交互運転により多彩な番組編成に対応できるようにしました。フィルム向けのサウンドも、新規にドルビーデジタルヘッドを導入して、監督・製作者の意図そのままを表現できる設備に拡充しました。
【3】岩崎敬(内装・照明担当)

どのような劇場(空間)作りを目指したのか教えて下さい。
常識的に映画館というと映写機、スクリーンそして椅子、という視覚を支える設備で成り立っていると言えます。最近の映画館では、より快適に、より心地よくということで、座席や空調、音響への配慮が日に日に増してきています。確かに真っ暗になってしまえば、周りはどうでもいい! のですが、始まるまでのひと時、何かに包まれるような雰囲気があってもいいと思っています。機能の追求だけでなく、もう一歩をということで、楽しくて、なぜか浸って心地よい空間を試みました。入場前の待ち時間に読書や案内を読んだり、落ち着いて話ができたり、人と人、人とアートとのコミュニケーションの場を目指しています。ロビーでも空間で情報を提供できるよう、また映像も活用できるようにする予定です。
老朽化しているビルの内装工事で大変だったことを教えて下さい。
竣工が昭和29年、60歳のビルです。残っている図面は尺で書いてあり、それ自体は歴史的ですが、図面は無いに等しいと言えます。ですので、現実は厳しく、作業を一歩進める毎に想定外の問題が表れ、苦労の連続です。現代のリクエストに合わせた映写・音響環境だけでなく、空調、トイレなどの基本的な部分から様々な部分に手を入れています。設備などは、ビル管理者とパズルを解くように、配管の行方をたぐり寄せるなど、ビルの謎解きのような日々です。
照明やその効果でこだわったことを教えて下さい。
前にも申しましたが、浸れる空間を目指していて、設備機能を網羅した高性能施設を超えた個性的な空間を造りたいと思っています。映画が始まってしまうと真っ暗ですから、待つ間、終了後のいっときに、映画と現実の生活とのインターフェイスとなるように、空間の明かりに工夫をしています。機能としての照明器具を取り付け、上映後パッと明るくするのでは興ざめですね。不定形の壁の隙間から光が出ているように、壁でも明かり取りでもあるようなことを試みています。ロビーは、季節や企画に応じて照明の変化がつけられるように、自由でシンプルな器具を考えています。
実施した施設の改善などについて教えて下さい。
既存のトイレは、いまは珍しい和式の便器でした。もともと狭い空間でしたから無理して改修もせず使ってきたのだと思います。しかし、この際、洋式の便器に交換することに。狭い場所にある移設の難しい既存の配管群の間を、知恵の輪を解くように設置しました。充分な空間ではありませんが、ごゆっくりとお過ごし下さい! ロビーは地下ということもあり、何も余計な物を置かず、圧迫感のない自由な空間を目指しています。
【4】西村協(番組編成担当)

オープニング作品『おやすみなさいを言いたくて』と「ビノシュ特集上映」を編成した理由は?
新しく生まれ変わる映画館にとって、まずは封切りの新作を上映したいという気持ちがありました。それと、女性オーナーが運営していく映画館ということもあり、母と娘、家族を描いた本作をオープニングとして編成しました。ビノシュ特集は『おやすみなさいを言いたくて』の主演女優ということもありますが、80年代から現在まで、ミニシアターで上映される映画のシンボルのような女優です。シネマリンも横浜のミニシアターのシンボルになれるようにスタートしたいと思います。
今後どのような番組編成を心がけたいと思われますか。
ジャンルを限定することなく、バランスのとれた作品の上映を心がけて編成していければと。吉祥寺とは違う、横浜の地域性も表現できればと思います。
考えているイベントなどがあれば教えて下さい。
オープニングイベントでは、小津サイレント作品に柳下美恵さんのピアノ伴奏付き上映を行いますが、今後は映画と音楽をミックスしたイベントなども妄想しています。地下の劇場で音の響きを考慮したアコースティックな楽器を使ったイベントなどがいいのではと考えています。

インフォメーション
<オープニング情報>
12月12日(金) 18:30〜
プレ・オープン・イベント
『青春の夢いまいづこ』(小津安二郎監督作品)+ 柳下美恵ピアノ伴奏
12月13日(土)〜
オープニング・メイン作品
『おやすみなさいを言いたくて』(配給:KADOKAWA)
監督:エーリク・ポッペ
出演:ジュリエット・ビノシュ
12月13日(土)〜
レイトショー企画「ジュリエット・ビノシュ特集」
『汚れた血』監督+脚本:レオス・カラックス
『ポンヌフの恋人』監督・脚本:レオス・カラックス
『夏時間の庭』監督+脚本:オリヴィエ・アサイヤス
『トスカーナの贋作』監督+脚本:アッバス・キアロスタミ
詳しくは劇場の公式サイトへ http://cinemarine.co.jp/
寄稿家プロフィール
ありた・こうすけ/アメリカ・ヒューストン・テキサス州生まれ。レコード会社の宣伝部を経てフリーの映画宣伝へ。現在、単館公開のドキュメンタリー作品やアート系映画を中心に宣伝担当する。映画、音楽、写真、美術イベントに頻繁に出向く。