

『毎日がアルツハイマー』(2011)の続編となる『毎日がアルツハイマー2』の公開前に行われた特別試写会。監督の関口祐加さんと医療監修の新井平伊さん(順天堂大学大学院精神・行動科学教授)が、「認知症の心を見つめる」というテーマでトークイベントを行った。「被写体として魅力的な母」だから撮ったと撮影のきっかけを語る関口監督、ドキュメンタリーを撮ることで人生が広がり、家族の関係にも変化が起きたと……。さらに新井教授の認知症についてのお話は、関口監督ならずとも「目からウロコ」の見解で必聴だ。映画のキーワードとなるイギリスのパーソン・センタード・ケア(※)についての話も興味深い。足の手術を終えて退院したばかりの関口監督はパワフルで、映画同様に楽しい雰囲気、ユーモアを交えたトークが会場を沸かせた。会場は超満員、超高齢化社会を迎えて関心度の高さをひしと感じました。
母という魅力的な被写体を撮りたい
関口:『毎日がアルツハイマー』(以下『1』)はちょうど2年前の7月に公開されて、その最初の反応は、自分の認知症の母親を被写体にして映画にするなんてと批判的なものも強かったんです。私自身考えると「認知症」というものの世間のイメージはあまりいいものではなくて、どの認知症講座に行っても否定的な思いを感じてました。例えば認知症になったら暴言を吐くようになるとか、徘徊をするとか、聞いて絶望的な気持ちになることが多かったんです。でも目の前に認知症になった母がいて、私の中には娘という立ち位置の自分と、もうひとり監督である自分がいるんですね。ドキュメンタリーの監督というのは、魅力的な被写体を撮りたいと思っていて、認知症になってしまったけれど、私にとって母はとても魅力的でした。もともと良妻賢母で優等生な母が(認知症になって)サバけて感情豊かに好きなことを言ったり、喜怒哀楽も激しくなって、それが私にはとても快かったんです。
沖縄での新井教授との出会い
関口:29年間オーストラリアに住んだ後、2010年に母の介護のために帰ってきた時は認知症の「に」の字も知らなかったんです。認知症って何だろうと思っていた2011年、沖縄の認知症のシンポジウムで新井先生とお話しして、本当に目からウロコでした。つまり、『毎日がアルツハイマー2』(以下『2』)に出てくるパーソン・センタード・ケア(以下PCC)よりも前に先生が教えて下さったのは、認知症の“母の”気持ちはどうなんだろう、母から見た世界観、介護者だけじゃなく母がいまどう思っているのかということなんです。『1』にもあるように、母は2年半閉じこもっていました。そのとき先生から「認知症になったからお母さんが閉じこもったのではなくて、認知症になって自分がいろいろできなくなっていることにお母さんが苦しんで、そういう行動に出ている。お母さんが自ら選んだ行動なんです」という言葉を受けて、ものすごく納得して救われたと思ったんです。そのことが『2』の起点になっていて、“認知症の人から見た認知症”をもっと知りたいというのが、私自身のクエストだったんですね。そのきっかけを作って下さった方がここにいらっしゃる新井先生です。
散らかっていても家の中を撮るオープンネス
新井:認知症の患者さんや家族の方から教えられたことが多くて、その中で学んできたことを少しずつフィードバックしていただけだと思うんです。よく考えるのは、人間は長い人生でいろんな病気を持ちますが、その中で治る病気というのは少ない。肺炎とか感染症から抗生物質で治るとか、手術で取ってしまえば治るというのもあるけど、例えば高血圧とか糖尿病も対応しながら生活を続ける病気だし、認知症も同じく、さらに精神的な病気にも治らない病気があります。認知症患者の数が増えて恐れられているけれど、認知症の人にとっては病気はどのように考えられるのか、臨床でも考えさせられるし、この映画シリーズでも考えさせられます。素晴らしい映画だと思うし、いちばんすごいのはドキュメンタリーだということですね。いろいろな認知症に関する小説や映画がありますけど、だいたいはフィクションですし。もっとすごいところは、監督は家の中が散らかってても映すし……。
関口:それは先生、ほめてるんですか?
新井:ほめてるんです(笑)。普通はヘルパーさんでも家の中に入れない人も多いのに、関口家は映画になって日本中、世界中の人に見られているというね。
関口:『1』を観てくれたイトコの映画の感想のひとこと目が、「お前んち汚ねえな」だったんです。
新井:そうやって生の姿を見せるから、観客みんな共感するし、そこに学ぶものが多いんだと思います。
関口:理由のひとつには、ヘルパーさんが来てくれますけど、母は家に入られるのをすごく嫌がるんです。それは母の性格で、自分が“できない”ことを突きつけられるという、その気持ちはすごく解るんです。私は自分の身体が不自由になってより強く思うのですが、介護をするときにすごく感じるのは「自分ができない」ということをさらけ出せるか出せないかがポイントだと。そこが辛くなるかならないかの分かれ目だと思うんです。だから家が汚いことが映っても、私の性格では「大丈夫」なんです。他人に言われてやっぱり汚いんだと思うんですけども(笑)。

母と娘、その関係性の変化
新井:そのことですが、『2』でも出てきたけど、虐待とかね、どんどん家族の人だけで介護をやるうちに追いつめられてしまって暴力などに走ること、そこはいちばん重要な問題点かもしれないですね。
関口:映画の中でも先生が言われてますけど、『2』になって母が認知症のセカンドステージに移行しましたよね。あれだけ最初は医者も嫌いで閉じこもっていた母が、なんというか、私と母の力関係が変わって、私の言うことだったら何でも聞いてくれるし、薬も嫌だったのに、私が「飲もう」と言うと素直に飲んでくれる。そのときにふと思ったのは、素直に聞いてくれるというのは、それだけ私の力が強くなったということ。それは介護する側にとってはやりやすいことなんですけど、私はそれがちょっと怖いと思ったんです。つまり、母と娘の関係が、母が娘で、私が親にというふうに立場が逆転して、何でもできちゃう立場になるというのが、ある意味怖いなって思うんです。
新井:それは認識していればいいんじゃないですかね。お母さんの立場から言うと、『1』のとき、先人くん(監督の長男)がオーストラリアに帰ってしまう場面で、母として娘を諭してますよね。あれは母親としての威厳を持って教育したみたいな、まだまだ母としての娘に対する思いが残っているんですね。少しずつ進行はしているので、プライドみたいのは薄れていくかもしれないけど、まだまだ残ってる。周りの人に素直になるというのは、デイサービスも含めて介護がうまくいってるのだと思います。中等度の入りかけとかはいちばんイライラしたり、いわゆるPTSDが目立つときです。ただ、お母さんの場合は目立たないし、それも監督に太っ腹という言葉は使いたくないけど(笑)、お母さんに対する大きな思いが活きてると思うんですね。
関口:それとイケメン介護士のおかげですね。
新井:監督の今回の手術も順天堂病院でやりましたが、イケメン整形外科医で監督は喜んでいて、お母さんとそっくりだなと(笑)。
関口:余談になりますが、母が手術前にお見舞いに来てくれたんです。私は横浜に住んでいて、そこは地元意識が強いんですが、母は「横浜にも病院があるのになぜ東京の病院にしたの」って私を責めるわけです。そのときにちょうど主治医の先生が病室に入ってきて、彼を見て「あ、これだ」って。そのあとで「でも、私のハマちゃん(ヘルパーさん)のほうがいいわ」って。
瞬間、瞬間に残る人間的な思い
新井:そうやって瞬間、瞬間は、人間としての、人間味溢れる思いとか、脳の働きとか、人に対する思いやりとかが残ってるんですね。
関口:でも、どうしてそれが無くなっていくんですか。
新井:10分、15分という時間の連続性が途絶えてくるんだけど、瞬間、瞬間の働きはまだまだ残ります。
親が顔を忘れていく、子供としての介護の難しさ
関口:特に娘から母を見ていると、かつては手を貸してくれて教育してくれた、しっかりしていた親が壊れていくという言い方はおかしいですが、いろんなことができなくなっていく。子供が介護するのは難しいといわれているんですけど、情けない親として見えてしまう。加えて親が子供の顔がわからなくてなってしまう、同世代の介護のOBOGさんたちと話すとだいたいそこに行き着きます。自分を愛してくれた親が自分の顔がわからなくなるという、介護者としての苦しみが出てきます。そのへんを救う道というのは、どうお考えですか?
新井:難しいですよね。例えば我々、医者が手術したり、注射や採血するのも、身内にはできないです。それって感情が伴ってしまう行為なので。家族だと優しくなれなくて、ついキツいことを言ってしまうというような質問もよく受けます。でも最初は仕方がないって言います。やはり家族なので、もっと母親にしっかりしてほしいと思ったり、いろんな感情的な複雑な思いがあります。お母さんを見てると辛くなり、結局自分の中の辛い気持ちを処理できなくてキツい言葉になってしまう。いい意味ですけど、お嫁さんのほうが冷静にできるというのはありますよね。もっと言えばプロのほうが……。身内はどうしても厳しくなり、かと言って、厳しく当たることは本人にストレスになる。ということは『2』の中でイギリス人スタッフが言っていた通りです。
新井:『2』のなかで音楽療法の先生かな、病気があったことで家族のつながりが強くなったと話してますね。あれも本当ですよね。
関口:それまでバラバラだったけど、でも家族のひとりが認知症になったことで、家族が再びつながったというのも印象的でした。
新井:僕の専門外来でもそういうことがありますね。40代、50代で認知症になる患者さんもいて、そうすると子供さんの世代が本当にしっかりしていきます。もちろん認知症という病気はないほうがいいですが、その家族にとってはとても大きな財産になると思います。関口家もそういうのがありますね。
関口:親バカになっちゃいますけど、子供たちがすごく成長しました。母が老いていくということ、ボケてるということ。日本ではいま年寄りを身近でみることが核家族になって少なくなってきたと思うんですが、それを母が堂々と見せるということが子供たちにとって人生の体験になってるんじゃないかなと、まさしく彼女たちが感じることでいろんなことを見つけてくれます。息子も毎晩ごはんを作ってくれたり、姪っ子も訪問看護士さんの応対をしてくれます。

パーソン・センタード・ケア(PCC)とは
新井:PCCという、自然とおばあちゃんの身になってお世話することを、子供さんたちはもうそれを感じてやっているんですね。いまPCCと名前をつけてやってますけど、介護に従事している方ですでにそれをやられてる方はたくさんいますし、そういう施設もたくさんあると思うんです。それをスタンダード、標準化されて方法として確立され、それが普及して全国でレベルアップにつながるととてもいいと思います。
関口:実はPCCと言ってますが、当たり前と言えば当たり前のことを言ってるんですね。その当たり前のことがなかなかできないということがあります。私の母にとってはいいことが、他の人にとっては違う。性格も生きてきた歴史も違うというのは当たり前と言えば当たり前ですよね。先生の女性の好みと私の男性の好みが違うように……(笑)。今回、映画をきっかけにイギリスとつながれたことは大きいと思います。オープン・ザ・ドアで、こちらが閉じこもっていないでオープンにすれば、向こうもオープンにしてくれてつながれる。介護者としての私の人生も広がったということを感謝したいと思っています。
(2014年7月9日、内幸町ホールにて行われたイベントの抜粋レポートです。)
※パーソン・センタード・ケアとは?
http://www.maiaru2.com/pcc.html

プロフィール
せきぐち・ゆか/日本で大学卒業後、オーストラリアに渡り在豪29年。2010年1月、母の介護をしようと決意し、帰国。2009年より母との日々の様子を映像に収め、YouTubeに投稿を始める。2012年、それらをまとめたものを長編動画『毎日がアルツハイマー』として発表。現在に至るまで、日本全国で上映会が開催されている。オーストラリアで天職である映画監督となり、1989年『戦場の女たち』で監督デビュー。ニューギニア戦線を女性の視点から描いたこの作品は、世界中の映画祭で上映され、数々の賞を受賞した。メルボルン国際映画祭では、グランプリを受賞。その後、アン・リー監督(『ブロークバック・マウンテン』『ライフ・オブ・パイ』他)にコメディのセンスを絶賛され、コメディを意識した作品を目指すようになる。作風は、ズバリ重喜劇である。作品には、いつも一作入魂、自分の人生を賭けて作品を作ることをモットーとしている。
主な作品:『戦場の女たち』((1989年/55分/企画・監督・編集・共同プロデューサー)、『When Mrs. Hegarty Comes To Japan』(1992年/59分/オーストラリア作品/日本未公開/企画・監督・プロデューサー)、『THEダイエット!』(2007年/英題:Fat Chance/52分/オーストラリア作品/日本公開2009年/企画・脚本・監督・共同プロデューサー)、『毎日がアルツハイマー』(2012年/93分/企画・脚本・監督・共同プロデューサー)
寄稿家プロフィール
ふくしま・まさよ/航空会社勤務の後、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』コラム執筆。桑沢デザイン塾「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター。産業技術総合研究所IT科学者インタビューシリーズ『よこがお』など。