COLUMN

opinion_report
opinion_report

Opinion/Report

004:ワン・ビン(王兵)監督(『三姉妹〜雲南の子』)来日記者会見レポート
取材・構成:福嶋真砂代
Date: May 25, 2013
ワン・ビン(王兵)監督(『三姉妹〜雲南の子』) | REALTOKYO

驚愕のドキュメンタリー撮影の方法と意図を語る

中国、雲南地方の村の過酷な貧困の現実と、そこでたくましく生きる三姉妹のドキュメンタリーを撮ったワン・ビン(王兵)監督。標高3200メートルの高地での撮影中、高山病にかかり体調を崩してしまったという。三姉妹に初めて出会ったときの印象や独特の撮影方法、映画を撮る原動力など、来日記者会見でたっぷり語ってくれた。控えめな監督だが、「その人の人生の経験を理解したい、共有したいと思う」と熱く語る姿が印象的だった。最近は特に長江流域に興味を持っているのだと……。

まず、この映画を撮った経緯を聞かせて下さい。

 

2005年に友人から薦められたスン・シーシャンという作家の長編小説『神史』を読んで、とても興味を覚えました。それは『三姉妹〜雲南の子』の撮影場所である長江上流域を舞台にした物語でした。長江上流の雲南省、貴州省、四川省の3つの省が交わる辺りに三姉妹の住むシーヤンタン村があるのですが、高い山々に囲まれた深い山地で(雲南省というと少数民族を思い浮かべる人が多いですが)漢民族が住んでいます。実はその作家は10年前に若くして亡くなっていて、2009年に私はそのお墓参りに訪れ、帰り道、たまたま通りかかった村で彼女たちに出会いました。それが三姉妹との最初の出会いでした。

 

2010年の秋、パリで『無言歌』の仕上げをしていた頃、パリのテレビ局のプロデューサーからドキュメンタリーを撮らないかという依頼を受けました。私はこの三姉妹に出会った話をして、興味深い題材であることを伝えたところ、プロデューサーも賛同してくれて、その年から3回に分けて撮影を進めました。まず10月と11月の2回。2回目の撮影で私は高山病にかかり、高地での撮影ができなくなりました。それで私の代わりの人と元々のカメラマンとの2人で、2011年2月に3回めの撮影をしてもらいました。全体としての撮影期間は20日間です。高山病になってからずっと私は体調がすぐれず、なかなか編集ができませんでしたが、ようやく2012年になって完成させることができました。

 

ワン・ビン(王兵)『三姉妹〜雲南の子』 | REALTOKYO
(c)ALBUM Productions, Chinese Shadows

貧しさの中で生きる三姉妹の強さが心を打った

初めて三姉妹に会ったときの印象は?

 

とても雨が多い地域で、その日も雨が降った後の道はどろどろで、3人は家の前で泥んこになって遊んでいました。その子たち以外にほとんど村人たちの姿は見えず、村の佇まいは本当にガランとしていました。そういう村なので、3人の子どもは一層際立った存在に見えました。私は彼女たちに話しかけ、しばらくお喋りをしたのですが、やがて長女のインイン(英英、10歳)が家に案内してくれました。家族の話を聞くうちにわかってきたのは、母親は3年前に家を出て行き、父親も出稼ぎでいない、彼女たちには誰も面倒をみる大人がいなくて、子ども3人だけで暮らしているということでした。当時はこの映画で見るよりもっと小さかったのですが、インインは妹たち(珍珍、6歳と粉粉、4歳)の世話をして、母親役をしていました。家に入って、私はとても驚きました。中国語で「赤貧洗うが如し」という言葉がありますが、まさにその言葉の通りで、私の想像をはるかに超える貧しさだったのです。それでもインインはジャガイモを囲炉裏で焼いてくれて、私たちは一緒にジャガイモを食べました。その貧しさは本当に心が痛くて辛くて、強烈に印象に残りました。しかしそんな貧しさの中にあっても、3人で寄り添って生きている、その強さが私の心を打ちました。

 

子どもたちがカメラを全然意識していないように見えましたが、どうやって撮影しましたか? 撮影されることを、子どもたちはどのように感じていたのでしょうか。

 

撮影はカメラ2台で、できるだけ彼女たちの生活を邪魔しないように距離を保って撮るように気を配りました。撮影日数は僅かですが、毎日長時間、ほとんど朝起きてから夜寝るまで、彼女たちの生活に密着してカメラを回しました。ですから彼女たちの生活の時間と撮影した時間はほぼ一致しています。

 

それでもカメラ自体はそこに存在しますし、撮る者が透明になることはできません。彼女たちは時々カメラの存在に気づいて、カメラの方を見たりします。撮影クルーと話をすることもありましたが、それも彼女たちの生活の一部なのだと私は捉えました。ですから編集では、彼女たちがカメラを見ている場面をカットしないで残しました。彼女たちとの信頼関係がとても重要だと常に考えていました。信頼関係があればカメラが回っていても、彼女たちはあまり気にせずに普通に生活できます。そうすることで客観的に撮影ができました。わざわざ自然に見えるようにと余計なことをしたりする必要もありませんでした。とにかく普通に生活をしてもらい、それを記録できるようにと気をつけました。

 

ワン・ビン(王兵)『三姉妹〜雲南の子』 | REALTOKYO
(c)ALBUM Productions, Chinese Shadows

現場スタッフは全部で4人です。私を含めてカメラ担当がふたりとプロデューサーがひとり、この地域に詳しいガイド的な役割の人がひとりです。撮影はカメラをできるだけ安定させ、長く回しました。もうひとりのカメラマンのホアン・ウェンハイさんとのカメラの分担はだいたい決めておきました。子どもの行動範囲は広いので、例えば私が山の方に行った子どもを撮ると、ホアンは家の中を撮るとか、家を撮るとしても内と外とを分けて撮るとかそういう分担にすぎません。ふたりともハンディカメラで撮りました。編集前の素材の段階では、20分、30分という長回しのシーンが多くありました。カメラはできるだけ客観的に静かに彼女たちの生活を映すように心がけましたが、カットが多いと編集がやりにくいので、できるだけカメラを長く回しました。この方法で撮れば、スタッフも費用も少なくてすみます。

 

この地域は雨が多く湿度が高く、秋から冬にかけてはとても寒い場所です。できるだけ、その湿度の高さ、湿った感じや冬の風の冷たさ、そういうこともカメラで表現できるように考えました。光線については、三姉妹が住んでいる家は窓が極端に少なく、非常に中が暗くて、入り口の扉から入ってくる光しかありません。建築上そうなっているのですが、その自然光を生かして、明るいところは明るく、暗いところはそのまま、ありのままで撮りました。そうすることによって、彼女たちの家の様子、ほかとは違う様子が表現できると思ったからです。小型のデジタルカメラのHDVを使用し、特に録音担当はいませんでした。

 

高山病にかかったということでしたが、撮影状況は困難でしたか? 他のスタッフは大丈夫でしたか。撮影場所へは、どこかから通っていたのでしょうか。

 

4人のスタッフのうち、病気になったのは私だけでした。撮影時は、この映画に出てくる父方の2番めの伯母さんの家に泊めてもらい、食事も彼らと一緒に食べていました。別にその生活が大変だからといって病気になったわけではないです。あるとき、インインがお爺さんと一緒に山に行くのを、私が後から追いかけながら撮影していました。インインは元気で、すごく歩くのが早く、飛ぶように走っていくんです。それを追いかけて撮っていたら私も思わず早足になってしまい、高山病に注意するのをうっかり忘れてしまったんです。ちょうどインインとお爺さんが山を越えて下りに差しかかったとき、物凄い心臓の動悸がして、それまで感じたことのないような苦しさを感じました。本当に私の不注意から高山病になってしまいました。高地ではあんまり急に早く歩くのは危険だそうですね。

 

ワン・ビン(王兵)『三姉妹〜雲南の子』 | REALTOKYO
(c)ALBUM Productions, Chinese Shadows

人間本来の持つ生命力を撮りたいと思う

これまでどんな想いで映画を撮ってきましたか。監督の映画を撮る原動力とは?

 

毎回、ある人物に出会ったときに強烈に撮りたいという欲望が湧いてきます。どういうことかというと、その人の人生の経験をより理解したい、その人と共有し合いたいと思うのです。そういう人からとても刺激を受け、もっとその人を理解したいという欲望から映画を撮りたいと思う、それがまず原動力です。例えば『鳳鳴(フォンミン)―中国の記憶』のときは、和鳳鳴(ホー・フォンミン)さんはかなりご高齢でしたが、彼女が経験してきた人生には我々の想像を超える壮絶なものがありました。彼女が生きた時代とはどういう時代だったのか、それを理解したいと思いました。三姉妹についても同じです。彼女たちはとても貧しい生活環境に置かれ、この侘しい村でどうやってこれから生きていくのだろうという興味から、彼女たちを理解したいということが、撮りたいと思ったきっかけでした。彼女たちは子どもですから、生命力に溢れていました。貧しさに負けないくらいの生命力の旺盛さ、これこそ人間本来の持つ素晴らしい力です。そこをきちんと撮りたいと思いました。

 

北京在住の監督が、いまいちばん興味がある人・もの・ことは何でしょうか?

 

いま最も興味を持っているのは長江流域です。私自身は黄河流域の村に育ったので、これまで長江流域についてあまり理解していませんでした。これから何本か長江流域を舞台に作品を撮るつもりでいます。なぜ長江なのかというと、中国経済はいま急速に発展していますが、その経済の発展を担っているのが長江デルタ経済圏とも言われる中国のデルタ地域です。長江は上海から海に流れ込みますが、上海を東端として西へ遡った上流域に今回の三姉妹の村があります。いま農村の労働力は大量に都市に流れ込んでいます。東は上海、南は広東の珠江デルタへどんどんと流れ込んでいますが、そういう人の流れの変化、それによって起きる現代社会の人々の変化をドキュメンタリーを通して理解したいと思っています。

 

黄河流域を舞台にした映画は、これまで中国の第五世代の監督であるチャン・イーモウやチェン・カイコー始め多くの人が作品にしていますので、自分が黄河流域を舞台にした映画を加える必要はないだろうともと感じています。しかし長江流域については、小説も、映像作品としてもそれほど多くないので、映画を撮ることでこの地域を理解し、また多くの人に知ってほしいと思っています。

 

(※2013年4月9日、複数の記者によるQ&A形式で行われました。)

 

ワン・ビン(王兵)『三姉妹〜雲南の子』 | REALTOKYO
(c)ALBUM Productions, Chinese Shadows

プロフィール

Wang Bing/1967年11月17日、中国陝西省西安生まれ。魯迅美術学院で写真を専攻した後、北京電影学院映像学科に入学。98年から映画映像作家としての仕事を始め、インディペンデントの長編劇映画『偏差』で撮影を担当。その後、9時間を超えるドキュメンタリー『鉄西区』を監督。同作品は2003年の山形国際ドキュメンタリー映画祭グランプリはじめリスボン、マルセイユの国際ドキュメンタリー映画祭、ナント三大陸映画祭などで最高賞を獲得するなど国際的に高い評価を受けた。続いて、「反右派闘争」の時代を生き抜いた女性の証言を記録した『鳳鳴(フォンミン)―中国の記憶』で2度目の山形国際ドキュメンタリー映画祭グランプリを獲得。10年には、初の長編劇映画『無言歌』がヴェネツィア国際映画祭のサプライズ・フィルムとして上映され、世界に衝撃を与えた。

インフォメーション

三姉妹〜雲南の子

5月25日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

配給:ムヴィオラ

公式サイト:http://moviola.jp/sanshimai/

寄稿家プロフィール

ふくしま・まさよ/航空会社勤務の後、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』コラム執筆。桑沢デザイン塾「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター。産業技術総合研究所IT科学者インタビューシリーズ『よこがお』など。