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Opinion/Report

001:【特別寄稿】アトリエ・ワンへ公開質問状を出す
小川てつオ
Date: January 21, 2010

はじめまして。

アトリエ・ワンに公開質問状を出しました。

返事はまだない。

というか、回答期限(10月23日)をとっくに過ぎているので、回答を拒否したものと理解せざるえないのですが。

質問の内容はリンク先を見ていただくとして、質問状の経緯と個人的な見解を、この場を借りて書かせていただきます。

 

246表現者会議 | REALTOKYO
第六回 246表現者会議(2008年05月23日)
246表現者会議 | REALTOKYO
寒い時にはダンボールに入って(2009年冬)
以上2点/撮影:関根正幸

ぼくも参加している246表現者会議が、この質問状の送り主です。

246表現者会議というのは、2007年に、渋谷駅近くの国道246号線沿いの高架下に街づくり協議会の依頼により日本デザイナー学院が壁画を描き、アートギャラリーになったからという理由により(!)、その場にいる野宿者たちを追い出そうとした……その出来事を表現の危機とも現在とも捉えて発足した「会議体」です。

この問題については会田誠さんのREALTOKYOでの文章もあるので参考にしてください。

月一度のペースでこの高架下の路上での会議を続けてきました。

 

その中で、宮下公園のナイキパーク化という問題にぶつかりました。

宮下公園は、渋谷駅から徒歩1分、線路沿いの細長い公園で、渋谷の街にうだる程人がいる時でも、ガランとしています。案外知られていない公園かもしれませんが、デモや集会などでは、昔からよく使われていました。正式に公園になったのは戦後のことですが、ぼくが調べたかぎりの過去では、大正12年の関東大震災で下町の被災者たちが、空き地だった宮下公園の場所に小屋がけをしています。宮下公園には、現在も30名弱の野宿者が小屋で生活しているから、場所の持つ意味を感じさせるエピソードだなと思います。そして、これも繰り返されている歴史かもしれませんが、追い出しの危機が訪れました。また、渋谷で相次ぐ野宿者排除の背景には、東急グループを中心とする渋谷駅周辺の大規模再開発の存在があります。

 

ナイキパーク化というのは、簡単にいうと、ナイキジャパン社が毎年1700万円の「命名権料」を10年間、渋谷区に支払い、宮下公園を「宮下NIKEパーク」と改称し、公園内に有料施設のスケートパークやクライミングウォールを「寄贈」するというものです。工事費はナイキ持ち、運営維持は区が持ちます。当初は、バスケットコートも移設するなどスポーツ公園化して、夜間は全面施錠の予定でしたが、広範な反対運動で規模が縮小しました。2009年の6月にナイキと区が正式に協定を結び、9月から公園封鎖と広報していましたが、いまだ工事業者が決まらないまま(区の説明)冬を迎えました。公園の野宿者は、10名ほどが居住を続けています。

 

この計画には、様々な問題点が指摘されています。

ナイキにとっては、ナイキパークは抜群の宣伝媒体であり、昨年から渋谷キャットストリート、原宿表参道、と近辺に大型ナイキショップを開店したところからみても、企業戦略として十全に機能させるつもりでしょう。企業も行政も「WINWIN」だと、計画を推進した議員は言っていますが、そこで無視されているのは、野宿者であり、利用者であり、スケーターかもしれないと思います。このスケートパーク設置の理由は、スケボーがうるさい危険だという苦情にも基づいていて、道や街中からのスケーターの排除と組み合わせになる可能性が高いからです。たしかに、スケターの一部の人は利用するだろうけど、その裏では、街からさらにスケーターを追い出し、そして公園からは野宿者を追い出す、そんな構図が浮かんできます。

 

246表現者会議 | REALTOKYO 246表現者会議 | REALTOKYO
宮下公園サマーフェスティバル(2009年8月30日)撮影:中根静男

このナイキパークの設計をするのが、アトリエ・ワンです。アトリエ・ワンが最初に出版した『メイド・イン・トーキョー』に面白いページがあります。この本は、東京を象徴するものとして「ダメ建築」を調査したガイドブックです。彼らのいうダメ建築とは、経済効率などによって、反美学的反歴史的に、様々な機能が即物的に複合された建築のことで、その一例として宮下公園をあげています。宮下公園は、東京オリンピックの2年後に1Fを駐車場に、その屋上を公園に改築しました。「パーク ON パーク」として出ています。しかし、面白いのは、この本の28P-29Pという見開きの文章において、宮下公園の話(ケヤキがホームレスの天蓋になっている)、スケボーの話(現在の都市スポーツも、身体の動きを通した環境に備わるさまざまな「価値」や「意味」の発見に基づいている)、そしてナイキの話(その別世界で、ジャストドゥイット!)が、それぞれの脈絡もなく偶然載っていることです。アトリエ・ワンの言い方に習えばこの「ダメページ」が10年の時をへて、現実の「ダメ建築」へと姿を変えようとしている。まぁ、これは冗談ですが。現実は、フラットな観察からは、漏れ落ちていることがたくさんあります。今回の件によって、自らの立ち位置が「権力」寄りになった時に、彼らの手法の限界が露呈するのではないか、と疑念を感じてしまうところがあります。

 

246表現者会議がアトリエ・ワンに公開質問をしたのは、「表現者」を名乗っている彼らに、ストレートに表現について問いたかったからです。

 

公開質問状は、作られるまでにものすごい紆余曲折があり、様々な参加者の意図とひらめきが混じり、あっち転がりこっち転がりして出来上がったものです。そういう意味では、共同制作でした。アトリエ・ワンには、公開に先だって質問状を届けたかったので、その届け方をめぐっても、ずいぶん議論がありました。アトリエ・ワンは、とにかく直接は受け取れない、区役所を通してほしい、との態度だったので、その意味は了解しにくいものでしたが、公園課を通して渡してもらいました。

 

質問状の最後に「ナイキ本社宮下公園化計画」の設計依頼があります。この質問とは直接関係はないのですが、「みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会」が11月20日に、ナイキ本社「前」で宮下公園を再現するという抗議を行っています。

 

現在まで、宮下NIKEパークの図面は、イメージ図を除けば、区とNIKEの協定書の中に添付されたものしか発表されていません。およそ平凡なその図面を見た時に、気がついたことが一つありました。それは、質問状でも触れていますが、このかなりの大きさの公園にたった3つしかベンチが描かれていないこと、その3つのベンチが、支援団体に関係が深い小屋の場所に描かれていることです。その意味するところは、明白でしょう。つまり、最後まで移動や撤去に応じる可能性の薄い場所に構造物を予定することによって、圧力を加えること。これは、設計自体にも様々な権力、政治的な要素が入ってくることを端的に表す一例ではないか、と思います。

 

宮下公園のように社会的、政治的な要素が入り乱れている場所において、表現がそれらとどのようなレベルで、どのようにして切り結ぶことが出来るのか。それらすべての問いは、自分たちにも返ってくるものです。言説と行為の矛盾、観察と実作の間で脱落するもの、お金と理想の相違。場合によっては、ともに笑う準備も、ともに倒れる準備もしようと思います。今からでも遅くはありません。アトリエ・ワン様、回答を求めます。

寄稿家プロフィール

おがわ・てつお/1970年生。うなだれた感じの学校時代を過ごし、高校卒業後、表現の道に。20代半ばより、様々な家に暮らす「居候ライフ」。2003年より、都内某公園のテント村で暮らす。テントの前で、物々交換カフェ「エノアール」をいちむらみさこらと運営。2007年246表現者会議を武盾一郎と発起。著書「このようなやり方で300年の人生を生きていく」(キョートット出版)