COLUMN

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Interview

134:佐塚真啓さん(国立奥多摩美術館館長)&久保寺晃一さん(「国立奥多摩映画館~森の叫び」コーディネーター)
聞き手:福嶋真砂代
Date: August 19, 2016
国立奥多摩美術館館長の佐塚真啓さん | REALTOKYO
国立奥多摩美術館館長の佐塚真啓さん

東京都青梅市にある国立奥多摩美術館が企画した「国立奥多摩映画館~森の叫び」(8/20~9/25の土・日曜と祝日14日間)。3人の気鋭アーティスト、小鷹拓郎、山本篤、和田昌宏の映像作品を、あえて「映画」として鑑賞する「映画館」というスタイルを選択。国立奥多摩美術館の館長を務める佐塚真啓さんと、「国立奥多摩映画館~森の叫び」コーディネーターの久保寺晃一さんに話を聞いた。とりわけ佐塚真啓流の「美術」の定義【「美」という個人が何かを肯定するという世界を見る視線(心)を再び世界に還す「術」】がユニーク! 映画と美術がクロスする画期的な「術」を体験する貴重なイベントは、旧製材所内に設営された4つのスクリーンにて行われる。3人のアーティストの常設上映、さらに山下敦弘(映画監督)、関野吉晴(探検家・医師)、吉増剛造(詩人)、五十嵐耕平(映画監督)、ダミアン・マニヴェル(映画監督)ら19人の、ジャンルを超えた多彩なゲストによるトークイベントが予定されていて興味深い。フリーパス鉄製チケット(1000円)を手に入れて青梅へGo!

山本篤 | REALTOKYO
山本篤
山本篤『2016』(2016年)39分 | REALTOKYO
山本篤『2016』(2016年)39分

すべては青梅の旧製材所から始まった

「国立奥多摩映画館」予告編にも出演されてますが、佐塚さんはパフォーマーでもある?

 

佐塚:いえ! 僕は絵を描き、物も作りますが、演者ではないです。今回の企画では人と人の間に入って作品を「見せる」ことをやろうとしています。

 

「国立奥多摩美術館」の展覧会としては今回で3回目なのですね。

 

佐塚:もともと永畑智大と僕とで「何かやろう!」ということで企画がスタートしました。企画段階で僕がネパールを旅行している間に、「館長は佐塚」と任命されました。なぜ「国立」なのかも僕はちゃんとわかってないところがあって、ネパールから帰国したら決まってたんです。永畑は副館長で、彼は彫刻もやりますが、最近漫画家としてコミック雑誌『アックス』で新人賞を受賞して、漫画と彫刻を融合させたいと言ってます。このような館長、副館長というのも「設定」でしかなくて、「国立奥多摩美術館」という名前もすべて設定で、「国立」でもなければ、「奥多摩」でもないんです。実は青梅にあって。奥多摩に住んでいる人からしたら「いやそこは青梅だぞ」と言われるし。さらに「美術館」でもないと。

 

美術館ではない……?

 

佐塚:かつて製材所だった福島製材所というところをいまお借りしています。青梅や奥多摩は林業が盛んだった地域で、製材所がこの辺りには多かったんです。今回「映画館」になる会場は、増築を重ねたうなぎの寝床みたいに細長い場所です。僕たちは青梅には縁もゆかりもないのですが、武蔵美(武蔵野美術大学)を卒業した後、この製材所に出合ったんです。古い建物で床も抜けそうな感じの建物で、床を張り直し、壁も波板を貼り、手を入れながら使ってきました。ツギハギだらけなので、均一な建物ではないんです。川に張り出していて、下には昔ワサビ田があって、今でも少しワサビがなってます。隣に住んでいる清水さんは、僕らがこうやって製材所をガチャガチャと使うのも温かい目で見てくれています。昨日もスイカをいただいたりして。

 

いい地域交流してますね~。“新しい風”として歓迎されている?

 

佐塚:展示をやるときに「がんばってね」と声をかけてくれる方が近くに居てくれるおかげで、僕らがこういう活動ができるのだと思ってます。でも、そうとばかりも言えず、川向こうの方には、前回、挨拶に伺ったときに、直前だったのは僕らも悪いんですが「静かにやってくれ!」と言われたりして。その方は去年亡くなり、近所の仙人のような陶芸家のおじいちゃんも入院したり、時間の流れを感じてます。地域に受け入れられてるのか、受け入れられてないのか……。清水さんのように温かく見守ってくれる方もいれば、新しい風なんか吹かせないでくれと思ってる方もいて。僕らはそれほどマメに交流をしていないのもあるのですが、問題を起こさないように気は遣っています。

 

その製材所に拠点を構え、イベントは2年毎の開催なのですか。

 

佐塚:製材所を2011年に借りて、2012年11月に国立奥多摩美術館を名乗り、第1回目の展示をしました。特に定期的にやる予定ではなかったのですが、結果的に2年に1回になっている感じです。僕らはいい展示だけをして終わり、とは考えていなくて、展示というのは、僕らが制作を続けていく上でのひとつの「断面」だと思っているんです。断面としての「展示」があるというか。だから少し大きく捉えて、すべての活動の地続きの中に展示があるというイメージです。いい展示をしてお客さんが来てくれるというのは、僕らが希望するシチュエーションなのですが、それだけじゃなくて、それを通してその後も僕らが制作していけるような状況を作ること。作って、観てくれる人がいて、その、ココ(中間の接点を指し示しながら)にあるものが「美術」という気がしてるんです。2年毎になっているのですが、たまたまそういうタイミングだったということで、次はいつあるかわからない。でも、僕らが何かをやることの周期はあるのかもしれません。

 

小鷹拓郎 | REALTOKYO
小鷹拓郎
小鷹拓郎『こたか商店の最後の30日間』(2012年)87分 | REALTOKYO
小鷹拓郎『こたか商店の最後の30日間』(2012年)87分

今回3人の作品を「映画館」という形で投げてみようと

今回はどんな展覧会になるのですか。

 

佐塚:「映画館」のメインになる3人の作家は、美術に軸足を置いて制作や発表をしているアーティストで、これまでは美術作品として映像を見せるという形をとってきました。でも考えたのは、「美術」には「美術」の観客がいるけど、「映画」には「映画」の観客がいる。だから映画という言葉を使うと、その言葉を頼りに来てくれるかもしれない。言葉による視点の提示の違いというものがあるのではないかということです。もっと和田さん、小鷹さん、山本さんの作品を観てもらえる状況を拡張したいと思いました。さらに、美術だからおもしろいとか美術だからつまらない。映画だから観る、映画だからおもしろいといった話は、ある意味、言葉でしかないという気がします。「美術」で動いている和田さんたちの作品を「映画」という形で「映画館」の中で見せれば、それは果たして「映画」になるのか……?  映画のフィールドに3人の作品を投げ込んでみようというのが、今回の「映画館」という言葉の使い方だと思うんです。久保寺くんとも「映画って何なんだろう」という話をいっぱいしました。この企画が立ち上がってから考えていて僕が思い至ったのは、やっぱり「言葉である」というのがひとつの答えではあるんです。商業的なシステムの違いや組織の違いとか、違いがあるのは現実ですが、映像が作られたり、作品がそこにあるという状況は美術も映画も同じで、「映画」だと思う人がその作品を映画と呼んでもいいし、そういうふうな投げ方をしても僕はいいと思うんです。それで3人の作品を「映画館」という形で投げてみようというのが今回の企画なんです。加えて「映画」のフィールドで活動している方々をゲストにお呼びして、それらの要素が交わる瞬間を作っていくというか、クロスジャンルとかよく言われてますが、まあ“ジャンル”という言葉でいろんなものが分断されてきているけど、やっぱりそこにあるものは「映画」として、「映像」として、「美術」としてではなく、確かにそこに作品があるわけです。それは見る人の視線によって変わってくるだろうし。そういうものを創り出せないかと思っています。

 

イベントチラシやホームページにも書きましたが、リュミエール兄弟によって121年前に映像が発明されて以来、表現方法を映像に特化していったものが映画だと思うんです。一方、映像よりももっと以前にあって、絵を描いたり、モノを作ったり、いろいろな材料を使って自分が「美」とするものを表していく、伝えていくのが美術だと思っています。そう捉えるならば、121年前に人間は時間と空間を擬似的に留めておくような新しい技術を手に入れた。だから映像が美術の中に取り入れられていくのは必然というか、写真というものが美術の中に取り込まれていくのも必然だと思う。それはひとつの技として組み込まれていったと思うので、僕の中にはまったく矛盾がないんです。

 

タイの映画作家であり、美術作家でもあるアピチャッポン・ウィーラセタクンもその垣根がなくて、映画館も美術展も、どちらにも作品を出しますね。

 

久保寺:そうですよね。あざみ野の横浜市民ギャラリーで和田昌宏さんの映像作品が展示されたとき(2015年)、いくつかの映像作品が展示されていたのですが、そこで佐塚くんと和田さんが「これは映画として見せてもおもしろいんじゃないか」という話をしたみたいで、その意見に僕も賛同しました。インスタレーションだと人が途中から入ったり出たり、作品の持つポテンシャルが全部伝わりきれてないというか、それでヨシとする作品もあるとは思うんですが、今回常設上映する3人の作品についてはそうではなくて、1本まるまる観てもらうことで初めて作品を観たことになると思ったんです。それってやっぱり映画的な時間を持っている作品なのかなと。例えば映像作品が多く出品されている展覧会を観に行くと、全部は観きれないことが大半です。おもしろくないと思ったら次に行ったり、流れている映像もおもしろいかおもしろくないのか少し見ただけではわからないものもあったり。レンジが狭いということもあって、作品の観せ方の選択肢はもっといっぱいあるんじゃないかと思って、佐塚くんと話をしてこの「映画館」の企画が始まったんです。

 

佐塚:例えば美術館では、映像スクリーンの前にベンチがひとつ置いてあって、映像がループで流れているという見せ方が基本的な形だったりするわけです。それに対して映画館のように座席を設けてブラックボックスの中で映像と向かい合って時間を拘束する見せ方がありますが、例えば和田さんの作品は「初め」と「終わり」がある作り方をしているし、和田さんは「映画館的」な見せ方を狙って作っているのではないかなと思ったんです。

 

和田昌宏 | REALTOKYO
和田昌宏
和田昌宏『MURAKAMI HIROSHI』(2012年)40分 | REALTOKYO
和田昌宏『MURAKAMI HIROSHI』(2012年)40分

アーティストは見せ方について自覚的か、否か

作り手としては、こういう状態でこういう環境の中で観て欲しいという見せ方について、自覚的なのでしょうか。

 

久保寺:難しい問題ですよね。自覚的にやっていないということもあるし、素材を見て、これは違う形で見せたほうがいいんじゃないかと思う場合もある。山本篤さんの新作の『2016』というのは、これは実際にギャラリーでもシングルチャンネルで、席も用意して見せているので、すでに「映画館」としての機能を持った場所で見せていたんです。「映画」と名乗っていないから、映画の観客には届いてない。でも、これは映画じゃないかと僕は思うんです。

 

佐塚:自覚的か自覚的じゃないかというのは、和田さんはそもそも映画を作るというところから始めていなくて、彫刻やモノを作り展示するというところからスタートして、インスタレーションを保存する感覚で映像作品を作るようになった、という創造のステップがあるみたいなんです。映像の作り方、見せ方について、それぞれが進んできた状況は違うとは思いますが、端から見ていると、それは「映画」として見せるほうがおもしろいんじゃないかと思うことがあるんです。さらにいまは「映像祭」というものがすごく多いし、僕らの「映画館」もそのひとつの現象だと思われてもいいとは思うんです。

 

久保寺:そういった意味で言うと、この企画は、映像祭と精神的につながっているかもしれないですね。

 

佐塚:特徴として、3人のアーティストは全部を“ひとりで”作っているんです。「個人」なんですね。自主制作のある種の極みじゃないかと思うくらい、自分でセットを作り、スタッフ人選もやり、資金調達もやり、映画館まで作る。ひとりの個人の中で組み上がっている。商業的な大きなお金も動いてないし、でもそこに積み上がるものには個人の熱量があり、ある意味、何に突き動かされてるのかわからない、そこに僕はすごく魅力を感じてます。「なんでこの3人は作品を作るんだろう」という話を副館長の永畑としたとき、出てきた答えは「業(ゴウ)かな」と。

 

業!

 

佐塚:そこにお金が生まれるわけでもないし、スタートの段階にあるのは個人の「やりたい!」という思いでしかない。だからこそ、僕らも届けたいと思うわけです。それが今回の企画の発端なんです。自分たちでなんとか作り手と観客が直でつながれるようなモデルをいずれは作っていきたい。みんなそれぞれバイトして制作してという現状から、その熱量とストレートに向かい合えるような状況を作れば、もっとおもしろいものが生まれるステップになり得るのではないか。そういうモデルを作っていきたいんです。みんな家族が増えたりして生活もしっかりしていかないといけない時期ですしね。

 

ゲストも多彩で、トークイベントもおもしろそうです!

 

佐塚:映画関係のゲストの方々の多くは久保寺くんがつないでくれました。ゲストの方々の作品を上映し、トークをしてもらえることは本当に感謝しています。たくさんの人にこの機会に常設の上映とゲストのみなさんの作品上映に触れていただけるとうれしいなと思います。

 

久保寺:例えばゲストの五十嵐耕平&ダミアン・マニヴェル監督は、現在、新作映画を撮るために交換日記をウェブ上で発表してます。そういうものに興味を持つ人たちとの接点が広がればいいなと期待してるんです。特に国立奥多摩映画館には映画が好きな方に観に来ていただきたいと思っていて、そういう方にこそ、この3人の作家の作品を観て、ちょっと驚いてほしくて。そう思える作品を揃えていると思うんです。逆に、常設3作家の作品を観に来た方々には、ゲストの作品を観て驚いていただきたいという、それだけおもしろい作品が揃っていると思います。

 

佐塚:代官山のチケット工場でチケット販売をしていると、「奥多摩は遠いから行けない」と言われたりしますが、心の距離と物理的な距離は違うし、近くのコンビニでも嫌な人がいたら行きたくないし、地球の裏側でも見たいものがあれば行くし、時間と空間って絶対的なものじゃないと思うので、だからぜひお越し下さい!

 

(※このインタビューは、2016年8月2日に行われました。)

 

鉄のチケット | REALTOKYO

プロフィール

さつか・まさひろ/1985年、静岡県生まれ。絵描き。武蔵野美術大学卒業。東京都青梅市在住。

 

くぼでら・こういち/1988年、山梨県生まれ。脚本家。東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻脚本領域修士課程修了。大学院在学中にオムニバス映画『リスナー』の一編『ブエルボアルスール』(2014/監督:今野泰恭)、『自由なファンシィ』(2015/監督:筒井武文)に脚本として参加。

インフォメーション

国立奥多摩映画館〜森の叫び

会期:2016年8月20日(土)~9月25日(日)

会場:国立奥多摩美術館

公式サイト:http://moao.jp

寄稿家プロフィール

ふくしま・まさよ/航空会社勤務の後、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』コラム執筆。桑沢デザイン塾「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター。産業技術総合研究所IT科学者インタビューシリーズ『よこがお』など。