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Interview

129:ピーター・チャンさん(『最愛の子』監督・プロデューサー)
聞き手:福嶋真砂代
Date: January 14, 2016
ピーター・チャンさん(『最愛の子』監督・プロデューサー) | REALTOKYO

実際に中国で起きた児童誘拐事件に基づき、複雑に絡み合う出来事の中で翻弄される親たちの姿を描いた『最愛の子』。公開に先がけて来日した香港のピーター・チャン監督にインタビューした。1997年、香港が中国に返還され、それまで「距離は近いが遠い存在」と感じていたという中国について、いまはどんな思いでいるのだろうか。自身の大ヒット作品『ラヴソング』(1996年)のときとは社会情勢は一変したが、それぞれの人物に向ける優しい眼差しは変わらない。現在の中国への思い、この映画の肝、親の気持ちを、自身の経験も交えながら率直に語ってくれた。

生みの親、育ての親の両方の立場から中立的に描かれ、親が子を思う普遍的な姿が強く伝わってきました。演出の意図をお聞かせ下さい。

 

この映画は実際の事件に基づいていますが、その出来事にはすでに生みの親と育ての親の関係性が存在していました。それを描くなかで、いまの中国の社会問題や社会現象が浮き彫りにされたわけです。映画のなかの養母は「誘拐犯の妻」として描かれましたが、現実にはそれだけではなく、中国で一般的に起きた誘拐事件での養母の多くは、お金を出して子供を買っているのです。そこにはそれぞれ事情があるわけですが、実は買う側の顔も持ち、映画の彼女はそうではないのですが、このような顔は中国ではとても嫌われています。というのは、買う人がいるから誘拐事件が連鎖的に起きるからです。映画が中国で公開され、いろんな反響がありましたが、その中の多数派の見方は、映画の後半に関して「人間性の描写が多すぎた」、つまり、こういう加害者たちは「悪い」と決めてもいいのではないかという考え方もありました。ところが私が調べていくうちに、養母には人間らしい、良い母親としての側面があることが判り、その部分を今回は描いているのです。一般的には彼女は悪い人だと決めつけるのでしょうが、彼女には良いところもあり、映画化するにあたり、そこがいちばん面白い部分だと思いました。

 

ピーター・チャン『最愛の子』 | REALTOKYO
©2014 We Pictures Ltd.

親子が血縁関係かどうかは、非常に繊細な部分でもありますね。

 

この事件は複雑に絡み合っているもので、例えば是枝監督の『そして父になる』は、純粋に親子が血縁関係かそうでないかという部分で、親子の関係をピュアにある次元に到達させることができるのだと思います。この映画も似ている部分もあるのですが、なかなかそう純粋に分けて考えるわけにはいきませんでした。また、私自身も親子の血縁的なテーマには特に関心があります。実は私の娘はいま9歳ですが、娘が生まれる前に養子をとろうかと考えていました。子供が生まれ、成長する過程においても、私はもう1人養子をとろうかと考えました。というのは、実の子も養子も公平に扱えるという自信があったのです。ところが子供を育てていくうちにだんだん自信がなくなり、ひょっとしたら絶対的に公平に育てることはできないのではないかと思い始めました。絶対的公平とは、もしかしたら不公平なのかもしれない。そういうふうに考えるようになりました。

 

ピーター・チャン『最愛の子』 | REALTOKYO
©2014 We Pictures Ltd.

人間の温かさ、人間の情を信じることが希望をもたらす

地方と中央、中国国内の経済的格差の問題を描いたのは、意識的だったのでしょうか。

 

この物語の原型は実際の事件ですので、元々そういう環境の中にある話です。環境というのは、中国で改革開発が進められて国が発展し、国としては一人っ子政策、あるいは伝統的な男尊女卑の習慣など、香港人の私には、詳しくはわからない部分でもあります。私が最初にこの事件に関心を持ったのは、事件の展開がとてもドラマチックで、特に後半に思わぬ展開が起こる、つまり、男の子を見つけたときに、もうひとり女の子も居たというところに惹かれたのです。準備の段階でいろいろなリサーチをして、幸いにも中国大陸生まれの優秀な脚本家と仕事ができ、理解を深めることができました。もちろん映画として描くときにディテールを脚色していますが、基本的な要素は元々の事件の背景にあって、特に意識的に描くことはありませんでした。

 

その「背景」ですが、中国に香港が返還されて以来、監督が感じている中国についての様々な思い、疑問、あるいは憤りというものが込められているようにも感じました。たとえば「この国では、相手の身になって考えることが少ないことが問題なんだ」というようなセリフにも思いが込められているように思います。いま中国についてどのように感じていらっしゃいますか。

 

香港人にとって中国というのは、距離は近いですが、以前はそれほど気にする必要はないくらい、直面する機会は少なかったわけです。それほど遠い存在でした。以前私が撮った香港映画も中国で上映されることはありませんでした。私たちの中国人に対する認識は、中国からたくさん移民としてやってきて何年か住んでまた海外に移住するか、または香港にそのまま住んで香港に同化されていく人々。だから中国になんの脅威も感じることが無かったのです。『ラヴソング』でもそういうふうに描きました。ところが香港は返還され、中国の一部となりました。私や友人の多くは中国と仕事をする上で、いまの中国に直面せざるを得ないのです。もちろん香港人だけではなく、台湾人、日本人、韓国人、みんな中国と当然接することになります。ここ2、3日、東京を散歩していると、あちこちから中国語が聞こえてきます。ロンドンでもそんな感じです。それはひとつの現象なのです。映画の中で私が描いたのは"憤り"というより、中国への理解不足からくる疑い、困惑、失望のような気持ちだと思います。中国は、共産党が1949年に政権をとり、文化大革命を経ていろいろありました。過去においては封建的な考え方や価値観、半植民地の経験があり、様々な要素が混ざって、中国人のある種独特の感覚を形成したのではないかと思います。

 

ところで、ご指摘のセリフはこの映画の中でとても重要なセリフだと思っています。人間というのはみんな自己中心的で、それもひとつの人間性だと思うのです。もしかすると中国人はより自己中かもしれませんし、そう思われるかもしれません。でも、みなさんも自己中ではないですか? たぶん人間はみんなそうだと思うのです。モラル的規範がある国では、生活が豊かで他人に配慮をすることも多いかもしれません。私は中国に対して"憤り"ではなく、むしろ映画のこのような描写を通して考えてもらいたいと思うのです。つまり「たまには相手の立場に立って物事を見ると、相手のいいところも見えてくる」ということ。たとえば映画の登場人物たちもみんな自己中だけど、けっこう優しく、善良な一面も持っている。世の中が閉鎖的で、出口が見えなくても、信じるのは人間の温かさ、人間の情です。それらが善良な希望をもたらしてくれると思うのです。映画の前半と後半では描く角度が違っています。前半、誘拐された子供の親の立場からは、誘拐犯や育ての親は「悪人」です。後半、加害者の角度から描くと、気付くのは育ての親、つまり加害者も実は「被害者」だということです。たまたまこれは本当の事件の中にあった要素ですが、私たちはこの事件を巡っていろいろ議論することができると思います。セリフに戻ると、相手の立場に戻って、問題について複眼的な見方をすれば、いろんな角度からいろんなものが見えてくる。いまの世の中で様々な問題が起きていますが、相手が敵だと決め込んでしまえば、それはそうなのでしょうが、相手の立場に立ってみると、悪い人も自分のやっていることは正しいと思っていて、「相手が悪い」と考えているのです。だからたまに立場を置き換えてみると何かが見えてくる、それが今回の私の映画の中で、いちばん重要なのです。

 

ピーター・チャン『最愛の子』 | REALTOKYO
©2014 We Pictures Ltd.

(この先、映画の内容を一部伏せてあります。)

 

ヴィッキー・チャオは降板を考えた……?

ラストシーンが気になりましたが……。

 

ラストはこの映画の中で唯一創作したところですが、実はもう1ヶ所、創作したことがあります。養母が弁護士を雇いますが、この弁護士も創作です。養母の家からもうひとり女の子が発見されて、DNA検査の結果、女の子とも親子関係がなかったことが判明。さらに判ったことは、中国では子供を誘拐された親が公安局に届け出をする際、親のDNAも登録します。公安局にはDNAのデータバンクがありますが、女の子の実の親がいるかどうか、DNAの照合をしてみたら見つからなかった。つまり、彼女の親は届け出をしていない、明らかに女の子は捨て子だったということ。事実なのですが、ここを描くと映画が終わってしまうので、映画としてどうするかが課題ではありました。男の子は実の親に取り返されたわけですが、施設に保護された女の子を取り戻したいと養母が思うわけです。なぜなら自分もひとりぼっちになってしまうからです。こういう状況では、女の子は福祉施設に預けられ、また孤児に戻ります。養母はどうしても女の子を取り戻したくて交渉しますが、断られます。ここは理由があります。私がリサーチの段階で福祉施設の院長に会うと、とても理に叶う人でした。女の子を養母の元へ返せばいいのかというと、そこは返せない。養母は誘拐犯の妻ですから、返してしまうと世論が許さないという問題もあります。そうこうしていくうちに気付いたのは、世の中は決して無情ではないこと。社会の急速な成長、一人っ子政策、封建的価値観、貧富の差、これらがいまの中国の状況です。その中でこういう事件が起きて、私は実は「全員」が被害者だと思うのです。事件はここで終わるのですが、映画としては、はっきり言ってあまり面白くない。映画の後半に養母の観点から描いたのは、強い意志を持ち、いい母親として「自分の子」を取り戻したいひとりの女性の姿。そこで創作したのが「弁護士」の役です。なぜかというと、これがなかったら物語は単純になってしまう。彼女の母性愛と信念を描き、弁護士に頼み、裁判を起こし、有利な証言を得るために大胆な行動に出る。そういう話を加えることによって、この事件はトンデモナイ事件であり、何か神様の徒らのような部分があるということを描きたかったのです。養母のことを考えると、彼女は田舎の人で、男尊女卑の思想がある環境にいて、子供が産めない女性は何の価値もないと言われてきた。最後に何か神様の徒らのようなことを加えることで、トンデモナイ事件であることを強調したかったのです。

 

実はとても論議のあったエンディングです。繰り返しますが、私は世の中がどんなに悪い環境であっても人間には情があるという価値観の人間として、生みの親と育ての親では、子供といる時間の長い親は血縁のある親よりも強いのではないかと思うのです。映画の中で養母が取り戻したいと思う子は、決して自分のお腹を痛めて産んだ子ではないのです。この先に起こることはまさにトンデモナイ展開で、養母は「神様は私を馬鹿にしているのか?」と、笑うに笑えない、泣くに泣けない、自分が神様に徒らされているような、そんな気持ちになっていると思います。実は養母を演じたヴィッキー・チャオは、この役を降りると一度言いました。「そのこと」が起きることは、商業映画として観客に媚びているのではないかと思ったのです。私は「違う、違う」と言いながら、もちろん、彼女の言うこともよく解っていました。中国人の多くは子供を作って「家を守る」という考え方です。私も実際、問題のシーンを撮影する際にはいろいろ工夫をしました。決してかっこよくないダサい相手を設定し、彼女の泊まる旅館も看板等も、しかも相部屋で、怪しい商売でもしているような環境を作りました。というのはこの場面は心地が悪く、下品な場面で、こういう処理をすることによって、そのことが彼女にとっていいことではなかったという表現をしたかったのです。

 

私が映画製作についていちばん面白いと思うのは、我々人間の暮らしの中でいろんな出来事、悩み、人生についての考え方、あるいは自分が下した決定について、これでよかったのかと疑うこと、そういうものを物語を通して探求し、表現すること。これが映画人としての醍醐味だと思っています。

 

(※このインタビューは2015年11月26日に行われました。)

 

ピーター・チャン『最愛の子』 | REALTOKYO
©2014 We Pictures Ltd.

プロフィール

Peter Chan/1962年11月28日、香港生まれ。父は映画監督・プロデューサーの陳銅民。12歳でタイ・バンコクに移住し、その後アメリカ・カリフォルニア州へ。ロサンゼルスの大学の映画学科に学び、21歳で香港に戻った後、ゴールデン・ハーベストに入り助監督を務め、91年に『愛という名のもとに』で監督デビュー。この作品は香港のアカデミー賞と呼ばれる香港電影金像奨において主演のエリック・ツァンに最優秀主演男優賞をもたらし、香港監督協会が選ぶ最優秀作品賞に選ばれるなど高い評価を受けた。92年に、エリック・ツァン、クラウディ・チョンと映画製作会社UFOを設立、90年代の香港映画界に新風を巻き起こす。UFOでは良質で洗練された都会派のコメディを次々と手がけ、93年、リー・チーガイ監督と共同監督した『月夜の願い』『君さえいれば 金枝玉葉』(94年)、『ボクらはいつも恋してる! 金枝玉葉2』(95年)と立て続けにヒット作を送り出す。返還目前の香港を舞台にふたりの男女の十年愛を描いた『ラヴソング』(96年)では香港電影金像奨で最優秀作品賞、最優秀監督賞ほか9冠に輝き、TIME誌が選ぶ1997年のベスト10にも選出された。99年には、米・ドリームワークスに招かれ『ラブレター/誰かが私に恋してる?』を監督、ハリウッド進出を果たす。そのほかの監督作に、ミュージカル仕立てのラブ・ストーリー『ウィンター・ソング』(05年)、アクション大作『ウォーロード/男たちの誓い』(07年)、武侠映画『捜査官X』(11年)などがある。またUFO設立以降、プロデューサーとしても活躍し、2000年に映画製作会社ApplausePicturesを設立し、韓国のホ・ジノ監督作『春の日は過ぎゆく』(01年)、タイのノンスィー・ニミブット監督『ジャンダラ』(01年)、香港のオキサイド・パン&ダニー・パン監督『the EYE』(02年)などクロスアジアの映画を次々にプロデュース。自身も監督として参加したオムニバス・ホラー『THREE/臨死』(02年)は、『美しい夜、残酷な朝』として続編も製作され日本から三池崇史が参加した。2009年には中国で映画製作会社We Picturesを設立し、『孫文の義士団』(09年/テディ・チャン監督)、『フライング・ギロチン』(12年/アンドリュー・ラウ監督)などを手がけた。2014年には香港の映画監督としては初めて中華文化の発展に貢献した人物に贈られる名誉賞「中華文化人物」を授与されたほか、同年の第19回釜山国際映画祭にて、アジアを代表する監督・俳優に贈られるアジアスターアワード特別賞を受賞した。「中國合夥人」(13年)で金鶏奨、『ラヴソング』『ウォーロード』で金像奨、『ウォーロード』で金馬奨と、それぞれ中国・香港・台湾のアカデミー賞と呼ばれる3つの映画賞において最優秀監督賞を受賞した唯一の映画監督である。

インフォメーション

『最愛の子』

1月16日(土)、シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー

配給:ハピネット、ビターズ・エンド

公式サイト:http://www.bitters.co.jp/saiainoko/

寄稿家プロフィール

ふくしま・まさよ/航空会社勤務の後、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』コラム執筆。桑沢デザイン塾「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター。産業技術総合研究所IT科学者インタビューシリーズ『よこがお』など。