

外交官で人類学者のポール・デダリュスが、パスポートトラブルから自分の過去を遡る。思い出す3つの時間をロマンチックかつミステリアスに描いた『あの頃エッフェル塔の下で』を監督したアルノー・デプレシャンさんが来日し、インタビューした。20年前の作品『そして僕は恋をする』と同じ役名を演じるマチュー・アマルリックに加え、今回は演技経験のない映画初出演の若い男女を主演にキャスティング。その意図や、彼らのナチュラルで瑞々しい演技の秘密、また監督の分身のような俳優アマルリックについての思い、さらにカメラワークの演出、本作の大事な要素である「手紙や本」のことなど、優しく繊細な物腰で答えてくれた。そしてスクープも!?
主人公のポールが過去の自分に遡る、またはもうひとりの「自分」がどこかに存在する、このようなストーリーの着想はどこから?
私はドイツの童話やおとぎ話、さらにドッペルゲンガーやスパイ話も好きなのです。この映画は思い出を語ると同時に、"アイデンティティの探求"というテーマもあります。ただそれを言葉で語れば、哲学論文のように冷たく抽象的なものになってしまいます。アイデンティティというものをストーリーで語りたいと思ったのです。
そのストーリーを語る上で「10代の恋愛」を主軸に選んだのは?
10代の恋愛は実に重要で重々しいものです。私は愛のシンプルな物語を語りたいと思いました。ただこのカップルの愛し方は単純ではなく複雑です。そのような愛し方の様子を観察したいと思いました。ふたりは若いけれど、ポールはすでに老けた青年のよう。お互いがまったく逆の生き方をしているのに、お互いを必要としている。人間は普通、自分と同じ社会階級、同じ文化、同じ人種、同じ宗教の人を愛するという「弱さ」を持っています。ところがこのふたりはすべてにおいて対立し、お互いを必要としている。このような「パラドックス」に興味がありました。

映画は3部構成ですが、まるで何十本も映画を観ているような豊かさを感じます。もちろんエステルとの出会いも大事なところですが、前半の「少年時代」「ソビエト連邦」というパートは実にミステリアスです。
確かにミステリアスです。すべてをひとつの長い小説のように語るよりも、ロシアのマトリョーシカ人形みたいに、いろんな話がひとつの話の中から出てくるようにしたいと思ったのです。第1章は7~8分と短めにポールの少年時代と彼の家族を、第2章は彼の青春時代をスパイ物の短編小説のように描きました。第3章はポールと女性、つまりポールと愛です。ここにエステルが登場し、その存在はどんどん拡大し、権力を握ってしまう。結局のところ、この映画はすべてがエステルだったということになります。そのように彼女がどんどん場所を奪い、ベッドの上でも場所をとってしまうというところが気に入っています。
この映画では手紙や本というものがとても重要な役割を果たしていますね。監督がそれらに込めた思いとは?
この映画はいわば書簡映画、手紙の映画と言ってもいいでしょう。私はもちろん手紙や本に特別な愛着を持っています。ラクロの『危険な関係』は書簡に基づいていますし、スコセッシ の『エイジ・オブ・イノセンス』、トリュフォーの『恋のエチュード』にしても手紙がとても重要な映画です。エステルは地元に留まって田舎に暮らし、ポールはパリに住むようになり、ふたりの間に距離があるから手紙を書かなければならないのです。ふたりが初めて会ったとき、まだキスも交わしていなくて、エステルがポールに「電話してくれる?」と聞きます。でもポールは電話を持っていない。だからエステルに「手紙を書いてくれる?」と聞き返します。するとエステルは肩をちょっと竦める。それを見ると観客は「この娘は普段は手紙を書かない娘だな」と気付きます。あまりそんなタイプではない。ところがエステルはポールに手紙を書き始め、どんどん書くようになります。そうすることで彼女は自分自身を新たに作り出していきます。手紙を書くことによって彼女は「ヒロイン」になります。このようなエステルの動きは上昇型の動きです。普通の高校生に過ぎなかった女の子が、手紙を書くという行為によって、恋愛のヒロインになっていくのです。

私といて自由だと感じられる人と映画を撮りたい
主役のふたり(カンタン・ドルメールとルー・ロワ=ルコリネ)は演技経験がなく、映画出演は初めてなのですね。起用の意図は?
ほかに良い演技経験者ももちろん入っていますが、キャスティングをしていて気が付いたのは、演技経験があると何か型に嵌まってしまう。私のシナリオではそのような人は合わないのです。カンタンもルーも脚本のセリフの複雑さに圧倒されることなく、むしろ簡単に思ってくれました。カンタンはチャーミングな人で、デリケートさと執拗さも兼ね備えています。ルーは慎ましい傲慢さで世界に存在する、強い存在感があります。それはまさに私がエステルに求めていたものでした。
ポールの弟役のラファエル・コーエンも初出演ですね、すごく印象に残りました。
彼はエマニュエル・ドゥヴォスの息子です。
(通訳:これはスクープですね。)
彼がドゥヴォスさんの息子さんだと知っていての起用なのですか。
もちろん知ってはいましたが、彼が選ばれたのはオーディションでいちばん良かったからです。むしろドゥヴォスの息子だから起用されたと聞いたら彼はものすごく怒るでしょう。オーディションにも1人で来ました。彼の役は、月のような部分と、太陽のような部分を兼ね備えていなくてはならない難しい役です。好きなのは神様と不良で、バーレスクなところも、詩的なところもあるような人物を演じました。カメラテストで彼が最高でした。
ポールの子供時代を演じた俳優はとてもマチューに似ていて、演技も素晴らしいです。
アントワーヌ・ブイですね。彼は半分ベトナムの血が入っていて、マチューのように切れ長の目をしています。マチューはアジア系ではないのになぜか目がアジアっぽいでしょう(笑)?
多くの若い俳優が出演する作品ですが、マチュー・アマルリックのようなベテランと、若い人への演出のアプローチは違いますか。
まったく同じです。それこそこの映画が素晴らしく、またキャスティングが難しかった理由です。若い俳優であっても私といて自分が自由だと感じられる人でなければならない。私の彼らに対する演出が拘束だと感じずに、より自分が開放されて自由になると感じられる人でなければなりません。私自身、話し方は一種類しかなくて、特に大人向け、ティーンエイジャー向け、子供向けというふうに変えることはできません。仕事の仕方や映画の作り方も同様にひとつだけなのです。同じくらい厳しく、規律を持ち、同じくらい喜びを持って仕事をして欲しいと思っています。今回は、演劇経験者、映画経験者、または未経験者と、タイプやルーツの違う人たちみんなが私のやり方を受け入れてくれて、私はプロの俳優と仕事をするときとまったく同じ演出をしました。
現場で特に印象的だったシーンは?
たくさんありますが、特に思い出すのは、ルーが最後に孤独になって語るシーンです。ここからはあなたがこの映画全体を支配しなければいけないと伝えました。脚本を書いていたときはこれほど力強いものになるとは思いませんでした。また、ふたりの関係が始まったばかりのとき、ルーべの街をルーを送ってふたりで並んで歩きます。そして初めてふたりが愛を交わすことになるのですが、ふたりのシーンをそこで初めて撮りました。内気なところもあり、大胆なところもある。これほどよいシーンになるとは思いませんでした。
エステルが時々カメラ目線で話すカットもあったり、カメラワークもユニークでした。撮影監督のイリーナ・リュブチャンスキさんとはどのような話し合いをしていたのでしょうか。
イリーナとはフランスのTV向けの小さな作品で初めて一緒に仕事をしました。それは戯曲を映画化したもので、低予算作品でしたが、とても素晴らしい仕事をしてくれました。僕にとって初めてのデジタル撮影で、経験がない分、デジタル撮影を恐れていました。イリーナのデジタル撮影の作品をいくつか観ると素晴らしくて、彼女にデジタル撮影を教えてもらい、良い成果が出たので、今回の映画も彼女に撮ってもらおうと思いました。カメラワークの演出について、普通はカット割り、視線のことなど、カメラの動きは撮影当日の朝に決めるのですが、撮影監督が現場に到着する前に私ひとりでやります。それは独裁的にやるという意味ではなくて、私の提案に撮影監督が感心してくれなければならない。撮影監督からもっとこうしたほうがいいとか、改善の余地があるとか提案をしてきたら受け入れると思います。ただ撮影監督に感心してもらいたいので、かなり確実なところまで私のほうでカメラに関する提案は決めておきます。その後にテイクをより良くしていくのは撮影監督の仕事です。ですから、カメラワークのアイディアを持ってくるのは私で、それを完璧に仕上げていくのは撮影監督の仕事だと思います。

マチュー・アマルリックという“映画の奇跡”
今年50歳になる監督の盟友アマルリックさんの、共に作品と年齢を重ねて、監督が改めて感じる魅力を教えて下さい。
フランスにはほかにも彼と同世代の優れた俳優はいます。けれどもフランスの俳優が陥るひとつの危険性は、マジメ過ぎてしまうことです。マチューは悲劇的なまでに深いレベルまで到達することができます。この映画のラストで彼が演じているポールは本当にメランコリックで、悲痛なまでの演技をしています。しかし同時に彼はバーレスクでユーモラスなところを持ち続けることができます。それは実に写真写りの良い、映画に対する礼儀であり、エレガンスであると思います。このようにマチューは偉大な俳優のひとりですが、感動的であると同時にユーモアがある。自分自身をあざ笑うことができ、距離をとることができる。羞恥心を持っている。それらは映画の奇跡だと思います。彼がとてもインテリジェントだからできることなのです。
ポールの父親の存在が気になりました。最初はポールを殴るなど威圧的でしたが、ポールが青年になって、彼女とベッドの中にいる朝、折悪く(良く?)鉢合わせした父は、「パルドン、ボンジュール」と挨拶して部屋を出て行くという、柔らかく、おしゃれな振る舞いをしましたね。
ポールの父親は奇妙な人物で、とても難しい役だったと思います。最初はかなり感じが悪い。父親としてはもう終わってしまっている感じです。一方、息子も父親に対して乱暴で、そんなに辛いのだったら次の奥さんを見つければいいじゃないかと、普通は父親に対して言わないことを言い放ちます。父は自分の妻の喪に服し、その気持ちが溢れ出てしまっています。だから息子に対してあれほど暴力をふるったのです。しかし最後の方にはメランコリックになります。あの鉢合わせシーンでは、父親は自分の家に帰ってくるのに、まるでお客であるかのようです。再婚をせずに、亡くなった妻に対して涙を流し続けていて、子供たちの家に客のように帰ってきます。フランスでこのシーンで笑ってくれたかどうか。自分の子供のあのような状況(ラブシーン)に立ち会ったとしたら、80年代でも現代でも、あのポールの父親のように寛大ではいられないかもしれませんね(笑)。
(※このインタビューは2015年10月7日に行われました。)

プロフィール
Arnaud Desplechin/1960年10月31日、フランス北部の町ルーベに生まれる。パリ第3大学で映画を学んだのち、IDHEC(フランス高等映画学院。現在のFEMIS)に入り、演出を学ぶ。卒業後の90年、処女中編『二十歳の死』をアンジェのプレミエ・プラン映画祭に出品して好評を得、ジャン・ヴィゴ賞も受賞と、一気にその名前が注目されるこことなる。92年の『魂を救え!』では、政治サスペンス的要素に青春ドラマ的要素が混じり合い、セザール賞の第1回監督賞と最優秀脚本賞にノミネート。そして96年、デプレシャン伝説の火付け役ともなった『そして僕は恋をする』を撮る。マチュー・アマルリックを主役に迎え、ひとりの青年の恋愛模様を描いたこの映画は、セザール賞の有望若手女優賞にノミネートされ、主役のアマルリックにセザール賞の有望若手男優賞をもたらすこととなった。その後、2000年には初の時代ものとなる『エスター・カーン めざめの時』を発表、04年には父と娘との関係に切り込みつつ、カトリーヌ・ドヌーヴとモーリス・ガレルという異例の共演による『キングス&クイーン』でヴェネツィア映画祭に乗り込み、主役のアマルリックに今度はセザール賞の最優秀男優賞をもたらした。08年には『クリスマス・ストーリー』で再びカトリーヌ・ドヌーヴを迎えて家族ドラマへと向かいカンヌ映画祭に正式招待。しばしの沈黙ののち、13年にアメリカを舞台に異色の友情ドラマ『ジミーとジョルジュ 心の欠片を探して』を発表と、現在もフランス映画界のトップランナーとして活躍中。
インフォメーション
12月19日(土)よりBunkamuraル・シネマほか全国公開
配給:セテラ・インターナショナル
寄稿家プロフィール
ふくしま・まさよ/航空会社勤務の後、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』コラム執筆。桑沢デザイン塾「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター。産業技術総合研究所IT科学者インタビューシリーズ『よこがお』など。