

舞踏の未来を牽引する旗手と目されている工藤丈輝と若林淳。その二人による注目の新作公演が10月8日から12日まで、「座・高円寺」にて開催される。5日間という、舞踏公演としては異例の長さ、しかも舞台芸術の発信拠点として名高い会場。今作にかける並々ならぬ決意が感じられる。問題作となること必至の舞台を控え、稽古真っ只中の工藤丈輝さんに、その意気込みなどお話を伺った。
大学生のとき、身体表現をいろいろ探していて、"舞踏"と出会い衝撃を受けたそうですが、具体的にはどなたの作品と出会ったのですか。
玉野黄市さんの89年の作品『自然の子供』です。ちょうどその頃、演劇やダンス、日舞、音楽など様々な表現手段を学び、模索していたのですが、正直言ってどれも腑に落ちなかったというか。それが、玉野さんの作品で衝撃を受けた。まったく見たことのない手法で「これだ!」という感じ。一度に腑に落ちました。もちろん、それまでも舞踏を見たことはありますが、舞踏と言うと土俗的というか、暗いイメージが付き物ですよね。それが、玉野さんの作品はカラフルで明るい。リアリズムではなくメタファーなんだけど、送出される暗示が強烈なんです。それからすぐに、玉野さんが本拠地にしているアメリカに付いて行って、手伝うようになりました。
工藤さんの作品が、舞踏の中でもアクティブな印象を受けるのは、玉野さんの影響なんですね。
うーん、一概にそうとは言えません。実は、玉野さんからは踊りは教えてもらっていないんです。無論、彼の舞台に上がるときには、振付けられたものを踊り込むわけですが、それ以外に、あらためて教えてもらったことはない。玉野さんから教えられたことと言えば、生き様とか独自の美学とかですかね。メシの食い方、酒の飲み方、宴会の仕切り方なんかは、ずいぶんと叩き込まれました(笑)。
玉野さんから離れて自身の公演を打つようになってからは、他人の踊りは禁じ手にして、自分のものだけを追求しているんです。そういう点では、土方巽とリアルタイムで出会ってなかったのが、かえって良かったのかも知れません。もし会っていたら、とてもじゃないが土方の呪縛からは逃れられなかったでしょう、良くも悪くも。
その追求なさっている「自分のもの」というのは?
自分が見たいと思うものです。誰も人がやってくれないから、ならば自分でやろうと。"舞踏"を作ろうとさえしていません。そういう枠組みとかカテゴリーとかとは関係なく、ひたすら自分の見たいもの、自分の表現したいものを求めている。それが結果的に舞踏になるということです。
経歴を拝見すると、1995年にアバカノヴィッチとコラボレーションをされてますよね。大変興味があるのですが、どういった経緯で実現したのですか。

あれは本当に、奇跡のような企画でしたね。私自身、アバカノヴィッチの作品が大好きで、アスベスト館の元藤燁子さんが率先し、セゾンがコレクションしている「ワルシャワ40体の背中」の前で躍らせてももらい、それを撮影し、そのビデオをポーランドの彼女の元へ送ったのです。そうしたら、ぜひ共同作業をしようという返事をもらい実現しました。当時は今のようにインターネットとかありませんから、FAXややり取りに幾日もかかったりで大変でした。でも、結果的に広島、東京、秋田、ポーランドで作品『Alteration of Alterations』を発表できました。ただ、ポーランドでの公演を最後に、彼女とは決裂してしまいましたけれど。アバカノヴィッチは相当頑固ですからね。頑固さにかけては、私も負けてませんが(笑)。
やはり、個性の強いアーティスト同士、譲れないところがあったのですね? 今現在は、どなたかコラボしたいというような人はいますか。
興味のある人はいないことはないですが、特に一緒に何かをしたいとか、他の分野でコラボを意識している人はいません。人とやるより、とにかく自分のやりたいことを極めたい、それが今一番の課題です。
美術や音楽などのスタッフとは、どのように作品を作り上げているのですか。
20年来関わってもらっている人たちで、美術も音楽も照明も、お互いの呼吸でやり取りができる。でも決してマンネリにはならなくて、その上で毎回新しいものが出来上がります。実際の造作や作曲などに取り掛かる前に、時間をじっくりかけて徹底的に対話をします。とにかくできる限り時間をかけますね。小屋入りしてもまだ出来ていないこともある。会場側は、焦った顔をしますけど……。でも、あらかじめパッケージで稽古場で作り上げてしまっても面白くない。制作物は「生モノ」なんです。小屋入りしてから、その場の空間とか空気とか、入手できる資材とか、そういったものとの関係で出来上がっていくものなんです。音楽も、稽古中にとにかくいろいろなパターンを作ってもらう。その上で劇場に入ってから構成していきます。とにかく長く一緒にやってきた人たちなので、その辺りの呼吸はピッタリ合ってます。

今回は、「座・高円寺」という、ある意味エスタブリッシュな空間での公演ですが、何か意識されていることはありますか。
劇場と言うのは、そこを通過してきた人たちの歴史で出来上がっていくものだと思っています。だから、私がそこに加わることで、今度はどう変容してゆくのか、劇場や小屋を私の側にひきつけて行く、そういう意識でいつも取り組んでいます。「座・高円寺」は区の施設ということもあって、制約があったり、自由にならない難しい点が多いのですが、それでも何かこれまでの枠を外したい、舞台の構図から崩して今までと違うことをしたいと考えています。具体的には、演者と客とフラットなレベルで対峙したい。それは、かつて天井桟敷がやっていたような実験的な意味では決してなく、もっと大道芸的な感覚です。客の只中で繰り広げられるような親密なものにしたい。客の輪の中に入って溶け込み、どれだけ境界を無くして客の側に寄り添えるかが、今回のひとつの賭けです。踊りはあくまで「見世物」、踊りは場をつかさどる「祭司」であると考えるからです。
『敗北の傘 2015』がますます楽しみになりました。今日は稽古でお忙しいところ、ありがとうございました。
プロフィール
くどう・たけてる/1967年東京生まれ。慶大仏文科卒。在学中より演劇、ダンス、日舞を学ぶが、89年、舞踏との出会いが以後の進路を決定付ける。玉野黄市、和栗由紀夫作品に出演ののち、92年よりソロ活動を開始。95~98年山海塾に参加。97年には自らの集団「東京戯園館」を設立。さまざまな分野のアーティスト、カンパニーと関わりつつ、ソロをメインに世界各所で持続的に公演を行っている。http://kudo-taketeru.com/
寄稿家プロフィール
ふかさわ・めぐみ/CMクリエイター、アート映画ディストリビューター、舞台公演企画、雑誌へのコラム執筆、社会学講師等を経歴。その間、子供時代から続く劇場や美術館通いは止んだことが無い。著書『思想としての「無印良品」』千倉書房