

前作のドキュメンタリー・アニメ『戦場でワルツを』で、自分自身の失われた記憶を辿る旅に出たアリ・フォルマン監督。6年ぶりに日本で公開となる『コングレス未来学会議』では、スタニスワフ・レム原作の『泰平ヨンの未来学会議』をベースに実写とアニメが絡み合うユニークな世界を作り上げた。主演とプロデューサーを兼任したロビン・ライトとの共同作業、発展し続けるテクノロジー、『ホドロフスキーのDUNE』の話まで、来日した監督に語っていただいた。
アイデンティティ探求の旅へ
監督にとってはもちろん、同名の役を演じるロビン・ライトさんにとってチャレンジングな作品だったと思います。冒頭で、出演作や付き合う男などすべてにダメ出しされ、「スターになるチャンスを逃した」なんてボロカスに言われるシーンもあり、現実とリンクする部分もあったのかもしれません。今回はプロデューサーでもありますが、彼女との共同作業はいかがでしたか。
ロビンは早い段階でこの作品に参加することを決めてくれました。サンフランシスコで彼女と一緒にリサーチを進めていったのですが、次第にこの役が彼女のためであってほしいという感覚を持つようになりました。最初の脚本を見せたとき、ロビンからは何のクレームもなく、どこかを変えてほしいという要望もまったくありませんでした。2013年のカンヌ国際映画祭に行ったときに、彼女がたくさんの取材に応じているのを聞いていて驚いたのですが、「たまたまロビン・ライトという名前の役を与えられ、演じている」と頑なに信じていたのです。そしてそのロビン・ライトは『フォレスト・ガンプ』や『プリンセス・ブライド・ストーリー』にも出演していて、子供がふたりいるという、そんな偶然が重なったのだという言い方をしていて。俳優として上手に頭の切り替えをしているようで、私は感心したんです。この役柄を演じられるように自分に思いこませていく。そして私も監督としてそれを信じるようになっていきました。この映画の主人公が決して彼女自身ではないということを。

前作は監督自身の失われた記憶を探すというテーマで、今回は人間のアイデンティティを探すというテーマですね。
まさにこの作品の根幹にあるものはアイデンティティの探求です。現代社会はアイデンティティを見つけるのが困難で、デジタルの中に引きこもっていれば楽しい、自分の好きなものを得られるという錯覚があります。私の子供や若い世代を見ていると、自分を見つめることがとても難しい時代ではないかなと。選択肢が多すぎて混乱が深まっているように思います。例えば大学で何を学ぶか。コミュニケーションを学ぼうと思ったら、1万種類くらいのコミュニケーション学があり、無限の選択肢があります。かつては医者になるとか大工になるとか、とても単純でしたが、自分自身を見つめることが私たちの時代よりも難しく、厳密になってきたような気がします。この映画の中ではピルを飲んで自由に選択する、何にでもなれますよというメタファーもありますが、皮肉なのが、何になってもいいよというときに、みんなが同じものになりたがっている。何も考えずに有名人になりたいと思う人たちがいて、そういったセレブ文化の根深さというものがあり、そこに混乱があります。

デジタル化の大きなうねりの中で
この映画には、俳優が不要になり消費されていくという側面があり、これが進んでいけば監督すら要らないんじゃないかという気もするのですが。
その通りです。たぶんCGをやってる人たちは監督なんていなくなればいいなぁって、こっそり思ってるんじゃないかな(笑)。もしオタク系の人たちが砂漠での撮影で日焼けしたくないなと思えば、暗闇の中でどんな場面でも作れるということを実現している。ルーカスの世界が勝利したといえるかもしれないし、もうお手上げなので、これに抗う気はありません。年を取り過ぎたので闘いたくないですね(笑)。でも、例えばマーティン・スコセッシ監督のような人もいます。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』を作りましたが、若手の作品よりもずっと面白くて若々しい。どんなオタクも彼に成り代わることはできません。コンピューターを駆使しても、彼が撮るリアルな世界には敵わないのです。

映画やアニメの制作現場でデジタル化など急速な変化が起こっていますが、危惧することは何かありますか。
私が最近痛感しているのは、監督の役目が変わってきたこと。私が映画学校に行っていた当時は、撮影のセットに魔法の瞬間を生み出すのが監督の役割でした。カメラマンがいて役者がいて、セットデザイナーがいて、流麗な映画言語というものを司れる人たちが集っていて、それがなければ映画を作れませんでした。しかし現在のセットはただの舞台になってしまった。ほとんどの映画がポストプロダクションで作られるようになってしまったのです。暗闇の中でCGデザイナーが映画を作っているのが実態で、つまり映画監督がまったく違う職業になりつつある時代に入っています。人によっては、例えばクリストファー・ノーランが『ダークナイト』を作るなど、新しい時代にシフトして活躍できる人もいますが、必ずしも全員がそうではない。最近だといわゆるオタクっぽいというか、絵も描けるようなアニメーターが映画監督になることもありますが、私がやってるのはアニメなので問題ないですよ。いろんなものがあり得ると思いますが、実を言うと私は昔のやり方が懐かしくて、今後も昔ながらの映画作りができればいいなと思っています。映画は急速に変わりつつあり、シネコンがこれほど台頭してきているということは映画が大きなイベントとなり、3Dメガネで新しい『マトリックス』や『バットマン』を観ることが映画体験となりつつある。私の国イスラエルではもうミニシアターはひとつもなく、シネコンだけという状況になってしまいました。今後、アート系映画は美術館やフィルムセンターで観るということになっていくかもしれませんね。

最後のシーンで、スマホを見ているとき、私もあんな表情をしていることがあるかなと思いました。現実の世界とネットの世界、どうお考えでしょう。
私自身がネット中毒ともいえるので、ネット批判はできないのですが、私の子供たちはiPhoneを片手にプレステを片手にということを生まれながらにやってきています。ゲームを8歳からやっていて、売春婦をバンバン撃ち殺したり、カーチェイスをやったり。あと10年もしたら、彼らにとってはそこに映っているキャラクターがリアルであろうとなかろうと関係なくなる。ネットの世界が人生の中で相互依存関係にあるようなリアリティを背負っています。テクノロジーの発展の流れを止めることはできないから、むしろ長所をうまく取り入れて暮らしていくしかない。私は山の中で電気のない暮らしをしたいとは思っていませんし、成長するインターネットの世界にはすごいものを感じています。唯一、私がどこにいるか追いかけられないようになればいいのにと思う程度で、私はそんなに抵抗を感じていません。

『ホドロフスキーのDUNE』ついに実現なるか?
ところで、ホドロフスキー監督の『DUNE』映画化のお話があると聞き、とても期待しています。どの辺りまで進んでいるのでしょうか。
実は先月パリでホドロフスキー監督に会いました。「まるで息子のようだ」と言ってくれて、感動的な夜でした。見た目が似ていると(笑)。ふたりで撮った写真をお見せしましょう。「君が住んでいた街に昔行ったことがあるよ。もしかしたら本当の息子かも」とジョークを言っていました。あのドキュメンタリー作品『ホドロフスキーのDUNE』はご覧になったでしょう? 最後の部分で彼が「この企画実現のためには、どこかからクレイジーなアニメーション監督がやってきて私からこれを取り上げてくれなければ無理かも」と言っていたので、俺のことか? と思ったんです(笑)。オリジナルの3000ページにも及ぶ脚本を見ました。世界でトップクラスのイラストレーター、メビウスやH・R・ギーガーが関わって作り上げたという。86歳になるホドロフスキー監督が5本も映画の企画を抱えているということが驚きですね。権利をクリアできるかどうか、ロイヤリティの問題などをチェックしてくれると言っていますが、あんまり急いでくれてないみたいだから、果たしてどうなるかな(笑)。『DUNE』についてはホドロフスキー監督次第ですね。

『DUNE』のほかにも、関わっていらっしゃる大きなプロジェクトがあるとうかがいました。
アンネ・フランクのプロジェクトです。遺族とやりとりしていて、40%くらいが日記、10代の子供向けアニメーション作品であることが決まっていますが、これがけっこう大変なんです。一部を日本で作れないかと思っています。
(このインタビューは2015年3月21日に行われました。)
プロフィール
Ari Folman/1962年、イスラエル・ハイファ生まれ。ホロコーストを生き延びたポーランド人を両親に持つ。80年代半ばに兵役を終え、夢であったバックパッカーとしての世界周遊の旅に出る。2週間で2ヶ国を廻るも、自分は旅に向いていないと悟り、東南アジアの小さなゲストハウスに逗留しつつ、祖国の友人に向け、完璧な旅をしているかのような手紙を送り続ける。1年間も同じ場所にいながら、空想と想像力が生み出したものを書き留めるというこの経験から、彼は帰国して映画を学ぶ決心をする。映画学校の卒業制作として、イラクのミサイルが降り注ぐ第一次湾岸戦争下のテルアビブで、不安の発作に苛まれながら身を隠すアリの親友を記録したドキュメンタリー映画『Comfortably Numb』(1991)を制作。滑稽かつ不条理に仕上がったこの作品は、イスラエル・アカデミー賞で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞。91年から96年の間に、主に占領地域を取材したテレビ向けドキュメンタリー特別番組を手掛ける。96年、チェコ人作家パヴェル・コホウトの小説をもとにした長編映画『セイント・クララ』の脚本・監督を務め、イスラエル・アカデミー賞で監督賞、作品賞を含む7部門を受賞。本作はベルリン映画祭パノラマ部門のオープニングを飾り、観客賞を獲得したのち、アメリカ、ヨーロッパの各地で上映され、批評的成功を収める。その後は連作ドキュメンタリーで数々の成果を残し、2001年に、ナチ残党最後の生き残りの追走劇を描いた近未来ファンタジー『Made in Israel』を発表する。このほか、イスラエルの連続テレビドラマの脚本家としても活躍し、なかでも多くの賞を獲得した『In Treatment』〔訳注:心療内科医とその患者を描いた医療ドラマ。原題は『Be Tipul』〕は、米HBO局制作の同名TVシリーズとしてリメイクされた。TVシリーズ『The Material that Love is made of』で初めてアニメーションの手法を取り入れ、各話の冒頭に、愛の進化過程についての自身の理論を述べる科学者たちをドキュメンタリー・アニメとして描く5分間のパートを付す。この成功をきっかけにドキュメンタリー・アニメというユニークな形式を発展させたのが『戦場でワルツを』(08)である。実話を基にしたこの作品は、80年代半ばのレバノン戦争で失われた監督自身の記憶のかけらを探し求めようとする試みである。この探究が想像力と空想に満ちたアニメーションに変形されるのは、アリ・フォルマンの作品としてはごく自然なことだったのだ。
寄稿家プロフィール
ふくしま・まさよ/航空会社勤務の後、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』コラム執筆。桑沢デザイン塾「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター。産業技術総合研究所IT科学者インタビューシリーズ『よこがお』など。
寄稿家プロフィール
まつまる・あきこ/1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中にREALTOKYO創設に携わり、副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。