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Interview

121:大川景子さん(『異境の中の故郷』監督)
聞き手:松丸亜希子
Date: June 03, 2015
大川景子さん(『異境の中の故郷』監督) | REALTOKYO

柏崎市の「文学と美術のライブラリー 游文舎」の企画で開催されたコイズミアヤ展『充満と空虚』(4/18〜26)に関連し、ドキュメンタリー映画『異境の中の故郷』上映会が柏崎市民プラザ・波のホールで行われた。「作家リービ英雄 52年ぶりの台中再訪」という副題の通り作家のパーソナルな記憶を辿る旅でありながら、単なるセンチメンタルジャーニーで終わらない。上映後にリービさんと大川景子監督、そして旅に同行したリービさんの教え子で、期せずして映画の中で大役を担うことになった小説家の温又柔(おん・ゆうじゅう)さんの鼎談もあり、「イングマール・ベルイマン監督いわく、芸術のインスピレーションは自らの子供時代との記憶の回廊に存在する」と語ったリービさんの、執筆活動の原点が映画とトークから垣間見えた。鼎談終了後、游文舎に場所を移し、監督の大川さんに作品の背景について伺った。

主な舞台は台湾・台中の日本人街「模範郷」。米国生まれのリービ英雄さんが6歳から10歳まで、外交官の父、母と弟の4人家族で暮らした家を52年ぶりに訪ねるという、そんなドラマチックな記録ですが、どんなきっかけでこの旅に同行することになったのでしょう。

 

この映画のプロデューサーである管啓次郎さんが声を掛けてくれました。詩人で比較文学者でもある管さんは文学界に知人が多く、私は彼の朗読会の撮影をしていたんです。彼がアンソロジーを出すときに、本についてのPVを作ったこともあって。それで、2013年3月に台中で開催されたシンポジウムにリービ英雄さんが招聘され、彼は10歳で離れて以来ずっと台中を避けてきたけれど、この機会に行ってみようかと話している。すごいことになりそうだから記録しておいたほうがいいと管さんが言い始めて。テレビ局ではなく、誰か映像作家が同行すれば小回りも利くだろうから「どう? 行かない?」って。私はそのときリービさんをまったく知らなかったのですが、「はい、行きます」と答えました。

 

大川景子『異境の中の故郷』 | REALTOKYO

誰にも見せずに迎えた最初の上映会

被写体に寄り過ぎない、抑制された映像が印象的でした。いつも自分でカメラを回しているんですか。

 

基本的には自分で撮影しています。大きな規模になると身動きが取れなくなるタイプなので……(笑)。台湾では、リービさんの学生や通訳をしてくれた台湾の先生など、7人くらいで動いていました。最初から特に計画せず、というか計画しようのない、何が起こるかその場に行ってみないとわからない旅だったので、撮っているときはただその場で起こっていることにすべての感覚を集中させるのみという感じでした。その場にいたみんなから、「まるで獣が獣を追っかけてるようだった」と後で言われました。構成を考えたのは帰国してから。最初はこのような形にするつもりはなく、歴史的背景もあるし、作家としてのリービさんという側面もあるし、あまりにも要素が多くてなかなかまとまらなくて。なんとなくもやもやと考えてはいたんですけど、ずっと素材を放置していました。そうしたら管さんが最初の上映会を決めてしまって、F/T(フェスティバル/トーキョー)13のPort B作品『東京ヘテロトピア』に管さんと温さんが参加していて、その関連企画として上映することにしたからと。その上映会まで1ヶ月を切っていたんです! ほかの仕事も入っていたのを3週間がっつり空けて。そのときの私はもう奇人(笑)? 傍から見たらおかしかったと思いますよ。ラスト1週間という段階で初めて「こういうふうにまとめようと思っているんです」とリービさんがいる法政大学に行って話したら、「この作品で評価されるのはあなただから、僕は何も言わない」とのこと。すべて任せてくれました。事前チェックもなく、最初の上映会がリービさんの初見の日(笑)。温さんもその日初めて見たんです。ふたりがどう思うだろうと、心臓が口から飛び出そうに緊張しました。上映中、並んで座って観ているリービさんと温さんの背中を離れた席からずっと見ていたのですが、初めは恥ずかしそうに下を向いたりクスクス笑い合ったりしていたふたりが、そのうち画面に釘付けになっていったのが本当に嬉しくて、ようやくホッとしたことを覚えています。プライベートなシーンもあるし、どういう感想を持たれるか想像もつきませんでしたから。映画は普通ラッシュがあって、編集段階でいろいろな人に見せて意見を聞いたりもしますが、今回は誰にも見せなかったんです。

 

大川景子『異境の中の故郷』 | REALTOKYO

素材の中に、もうひとりの主人公を発見

リービさんと共に映画に登場するもうひとりの小説家、台湾生まれで日本育ちの温又柔さんの存在がとても大きいですね。

 

そうなんです。最初は、むしろ温さんをフレームから切ってリービさんだけを撮っていたのですが、途中から無意識的に「もうひとり主人公がいるぞ」と思ったのでしょう。帰ってきて素材を見て気付きました。撮ってる最中はそこまで考えていなかったんですけど。リービさんの著作がたくさんあり、映画に引用したい文章もいっぱいある中でどれを使うか、そのへんを吟味するのに時間がかかりましたが、『天安門』にしようと決めてから構成が思い付き、冒頭で温さんがリービさんのことを語るシーンを急遽お願いして撮らせてもらいました。ナレーションの声も温さん。リービさんについて語っている部分は、私がテキストを書いたのではなくて、彼女自身の言葉です。本の引用箇所は私が選び、「ここを読んで下さい」とお願いしました。

 

旅の後、映画のラストには、リービさんが暮らす神楽坂の家と散らかった書斎「日本語を書く部屋」も登場しますね。

 

あのインタビュー、実は5時間くらいしゃべっているんです。最初の台中での撮影が3日間。もう1回ひとりで行って2日間。そしてリービさんと温さん、それぞれのご自宅での撮影で、合計1週間足らずで撮影は完了。撮影日数も素材もとても少ないのに、その中での言葉の量がすごくて。下手したら、リービさんと温さんで普通の人の1年分くらいの会話を交わしているかも(笑)。そこからどの部分を使ってどうまとめるか。ふたりともすごくよくしゃべりますからね。その場で起こったことをすべて言語化する人たちと向き合い、映像をやっていてそういう経験ってあんまりないから、私が表現の形にする前にすべてが言語化されてしまう恐ろしさとも闘いつつ、けれどそれがすごく新鮮で、感じたことのない緊張感がありました。作家はいつも体中に言葉が渦巻いていて、それをなんとか言語化しようという衝動があるんだなと思いました。

 

大川景子『異境の中の故郷』 | REALTOKYO

しかし、そんなおふたりが台湾を訪ねて、リービさんが暮らした場所にやってきたとき、言葉にできないことが起こります。帰国してから、彼はそのときのことをどうにか言語化しようと試みますが、映像にしかできないことがあると思った瞬間でした。

 

あのシーンでは一度カメラを止めたんです。テレビカメラだったら回り込んでふたりを正面から撮ったかもしれませんが、私はあのときはっきりとそこから先は入ってはいけない境界線を感じ、温さんとリービさんの後ろ姿を遠くから撮ることしかできませんでした。後で聞いたら、あのとき温さんはリービさんに「言語化しなくていいですよ」と言っていたんだそうです。言葉がない、そういう数少ないシーンでどうやってこちらに引き寄せるか、編集は闘いのような作業で、同時に往復書簡のようでした。リービさんが言語化し、こう言ってるから、それを踏まえてこちらはどうする? というような。編集も私ひとりでやっているのですが、素材の中のリービさんとのそういうやりとりがあったんです。これも、いままで経験したことのない作業でした。

 

あふれる言葉の中、静寂をつくる作業に燃える

音楽と音声も効果的で、とても印象に残っています。

 

音楽は、作曲をしてくれる知り合いの野中太久磨さんに私のイメージを伝え、2、3回のやりとりで思い通りのものが出来上がりました。リービさんが車に乗って模範郷に行くシーン、あそこは時間を遡っている感覚ですが、そこで流れる「ファ〜ン」という音はギターの演奏を逆再生していると、上映会のトークでご一緒した小沼純一さんが教えてくれました。最初に届いたものがイメージとズレていたので作り替えてもらい、2回目にこの音楽が届いたとき、すぐにこれはいい!と思いました。音は、間やタイミングについて何度も細かい作業をしたのですが、ずっとしゃべり続けている映画なので、突然訪れる静寂や沈黙こそ何かを表現できるし、そこで表現したい。自分が力を発揮できる場所はそこしかないとも思いました。編集は毎回ぜんぶ通しで最初から観て、少しずついじっていく作業を繰り返し、時間をかけています。ただ本当に上映までに時間がなく、音楽と整音は3日間でという、とても無理なお願いをしたんです。私も同時進行で編集してたから、音楽を作ってもらっている段階でまだ映像ができてなくて。最後になって、やっとどういう映画かわかったと言っていました。音楽の野中さんも整音の黄永昌さんも、シーンが表しているものを少しのやりとりで感じ取ってくれて、とても感謝してます。

 

大川景子『異境の中の故郷』 | REALTOKYO

リービさんの個人的な記憶を辿る旅ですが、誰にでも通じる普遍性もあり、観た後の余韻の中で自分の故郷や半生を思う人もきっと多いでしょうね。

 

上映後のQ&Aでもたくさんの質問が出ますし、見終わった後にプライベートなことと結びつけて話したくなる、そういう映画なんだなぁと思っています。いろいろな場所で1回きりの上映会をやってきて、毎回ぜんぜん違う様々な質問が出ます。劇場で上映するようなタイプの作品でないと認識してますし、こうやって上映会をするのも制作のプロセスというパターンもあるんだと気付きましたが、監督としては観客と対面して話すのはめちゃくちゃ度胸がいること。毎回気が重くて、今日は何を言われるんだろう……と、20回を超えてもまだ慣れません(笑)。今日は特に出演しているおふたりが一緒で、見終わった後に3人でしゃべるという、ものすごく奇妙なことで緊張しました。リービさんに観ていただくのも久しぶりだったし、一方でこんな貴重な経験はなかなかないし、映画が完成した後もなぜリービさんがこんなことを言ったんだろうとか、興味が増すばかり。ひとことでも多くリービさんの言葉を生で聞きたいという欲求は、完成して2年経ちましたが、いまだに尽きません。それくらいリービさんは私にとって奥深い人物なんです。

 

大川景子『異境の中の故郷』 | REALTOKYO

諏訪敦彦監督との不思議な縁

ところで、大川さんがドキュメンタリー映画の監督になりたいと思ったのはいつ頃ですか。

 

多摩美の映像演劇学科で勉強して、そこまではフィクションをやっていました。ドキュメンタリーには興味がなく、劇映画を撮りたいと思っていて。大学卒業後そのまま作り続けたかったので、就職せずバイトをしながら映画に関わろうと思っていたんです。でも、劇映画はチームでのスケジュールもあるから難しくて、少しずつ映画から離れていく中で、友達から「ドキュメンタリーがいいんじゃない?」と言われて、映画美学校のドキュメンタリー科に入りました。最初の自己紹介で私は「いままで自分のことを面白いと思っていたからフィクションを撮っていましたが、自分の考えることなんてたいして面白くないということに気付きました」と言ったそうです。私は覚えていないんですけど。かれこれ10年前ですが、確かにいまでもその考えは同じですね。学生の頃から諏訪敦彦監督の作品など、現場でのやりとりから何かを作り上げていくような、生身の人間同士が対峙していることが伝わってくるような作品が好きでした。そして、ドキュメンタリーを撮りながらバイトをしていたのですが、ドキュメンタリーは編集がいちばん難しいし、大事だと思って、芸大大学院映像研究科に進みました。編集領域の3期です。そこで私の先生だった筒井武文さんが諏訪さんの東京造形大時代の同級生で、「諏訪さんの現場だったら何でもいいから携わりたい!」とちょくちょく伝えていたら、紹介してくださったんです。そして諏訪さんとイポリット・ジラルドさんが共同監督した『ユキとニナ』の編集アシスタントをすることになりました。諏訪さんとは、今回また不思議なつながりがあって。台湾でリービさんを撮影することになって、事前にリービさんにお会いする中で、安部公房が住んでいた満州の家をリービさんが訪ねたNHKのドキュメンタリー番組の話が出たんです。リービさんの短編小説『満州エクスプレス』に撮影時のことが綴られていて、カメラマンが登場するんですよね。台湾に行く前にその小説を読んで、面白いなぁ、20年くらい前にこんな旅をしたんだなぁとすごく意識していました。映像を見てみたかったけど、見ると影響されちゃうからあえて見ないと決めて。そして『異境の中の故郷』が完成してから、満州に同行した監督兼カメラマンが諏訪さんだったと知ってびっくり! 諏訪さんにすぐメールしたら、そうなんですよとその頃の思い出話を語ってくれて。弟子でもなんでもないんですけど、私にとってこの出来事は何というか、この先とても励みになるようなことだったんです。リービさんも温さんも、このエピソードを一緒に喜んでくれました。

 

大川景子『異境の中の故郷』 | REALTOKYO

大川さんのこれからのご予定は?

 

リービさんの続きというか、作家としてのリービ英雄さんを撮ってみたいです。身をもって実践している人の言葉や行動にやはり私は惹付けられます。台中での原体験をもったリービ英雄がいまは日本文学作家になって、何度も何度も大陸へ通い、文章を書いている。その深層に何があるのか知りたいです。プロデューサーがお金を集めてくれるということもないので、自力で資金集めをしないと。でも、顔の見えない人に出資してもらうという最近のクラウドファンディングのようなやり方が私には合わなくて。どこに着地するかわからないものにお金を出してもらうのは気が引けるんですよね。なので、たとえば『異境の中の故郷』を自分でDVD化して売るとか、そんなことを地道にやりつつ準備していこうかなと思っています。

 

大川景子『異境の中の故郷』 | REALTOKYO
柏崎市民プラザでの上映後の鼎談。左から大川景子さん、リービ英雄さん、温又柔さん

(このインタビューは2015年4月19日に行われました。)

 

プロフィール

おおかわ・けいこ/映像作家。1978年、石川県金沢市生まれ。東京芸術大学大学院映像研究科卒業。諏訪敦彦監督編『黒髪』、筒井武文監督『バッハの肖像』編集、杉田協士監督『ひとつの歌』助監督・編集。自身の作品としては、茨城県の化学工場で働くインドネシア人研修生たちの日常生活を追ったドキュメンタリー『高浪アパート』(2006年)がある。『ろうそくの炎がささやく言葉』(勁草書房)のプロモーションビデオを担当。

インフォメーション

『異境の中の故郷』上映会&トークショー

7月6日(月) 18:30〜20:30 開場18:00 ※入場無料・申込不要

会場:國學院大學渋谷キャンパス学術メディアセンター1階 常磐松ホール

ゲスト:リービ英雄、温又柔、大川景子

司会:笠間直穂子(國學院大學文学部准教授、翻訳家)

『異境の中の故郷』公式サイト:http://ikyou-kokyou.jimdo.com

寄稿家プロフィール

まつまる・あきこ/1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中にREALTOKYO創設に携わり、副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。