

『少年と自転車』以来、3年ぶりの来日となるダルデンヌ兄弟(ジャン・ピエールとリュック)。さっそく新作『サンドラの週末』の話をうかがってきた。弱者の痛みに寄り添う作品を撮り続けながら、『少年~』に続き今回も“強い味方”の存在が興味深い。ストーリーや登場人物の設定方法、一目惚れのように出会ったマリオン・コティヤールを主演に迎えて起きた「化学反応」のこと、ユーモアも忘れずに丁寧に話してくれた。さらに、「連帯」を失った日本人が思い出すべき大切なことも。ああ、どうかぜひ総理大臣に!
サンドラを首にするか、それともボーナスを切るか、この二者択一の中ですでに従業員による投票が行われてしまったという過酷な設定ですが、そのような状況はベルギーの労働環境ではよく起こることなのでしょうか。
リュック(L):ベルギーだけでなく至るところで起きていると思います。ただ忘れてはいけないのは、この映画に出てくるのは労働組合がない小さな企業だということです。ベルギーでは従業員数が50人以下の場合、労働組合組織と代表を持つことを義務付けられず、経営者が自由に経営をすることができます。ですから会社の経営状態が悪化して、サンドラを職場に復帰させるか、他の人のボーナスを無くすか、どちらかの選択を迫ることができます。従業員はおそらくボーナスを選ぶだろうと経営者は踏んでいます。だからサンドラを切るという決定の中に従業員を巻き込もうとしている。労組があればサンドラが解雇されることに対して紛争になるのでしょうが、労組がないのでそういうことにはなりません。残念ながらこれは例外的ではないようで、この映画が出た後、ベルギーのテレビで同じような事態になった企業3件のルポルタージュがありました。

サンドラとマニュ、ふたりの距離感についてかなり工夫をした
ふたりの子供がいて、精神的な病を持った女性を主人公にすることは最初から考えていたのでしょうか。
ジャン=ピエール(JP):主人公を女性にしようというのは最初から決めていました。ただ夫の存在はかなり後になって出てきました。まず主人公の女性が2、3ヶ月休職しているという設定を考えました。その人が解雇の投票の対象になる、そういう状況には鬱病がちょうどいいと思いました。鬱病であれば2、3ヶ月休職することはあり得る状況ですし、彼女が職場に戻ってくることを同僚たちがあまり望まないということも正当化できます。職場に復帰したとしても彼女はとても弱い立場であり、その「弱さ」があるからこそ、そこから立ち上がって事態を変えていける。最終的には自分自身も変わるというふうに話をもっていける。そのようにものごとが続けて決まりました。
女性にしたのは、その「弱さ」を表現するためですか。
JP:「弱さ」は鬱病の部分です。女性だから弱いということでないのです。しかしヨーロッパ経済危機の労働市場において苦しんでいるのは女性のほうだということは確かです。弱さは鬱病に象徴されましたが、それは男性でも患う可能性があります。

ファブリツィオ・ロンジオーネさんが演じる夫の存在はとても大きく、その役割はまさに“コーチング”だと思いました。「そんなことをやっているから君はダメなんだ」などと叱るようなネガティブ方向ではなく、「やってみようよ」とポジティブな方向へサンドラを外に連れ出す。彼がいなかったらサンドラは外に出られなかったのではないかと思います。夫の役割について、どのように考えていましたか。またファブリツィオさんの意見も反映されているのでしょうか。
L:夫は「サンドラを“孤独”から外に出させる役割」と考えました。本当の悲劇は孤独の中に閉じこもること。彼女にとって「闘争を続ける」ことは、帰宅して「夫と話し合う」ことです。夫は妻の状態を理解し、サポートしようとします。ファブリツィオは、リハーサルの段階でふたりの距離をどうしようかとかなり工夫をしました。もちろん夫は近い存在なのですが、あまりにも距離が近すぎると夫が彼女を子供扱いしてしまう可能性がある。むしろ逆に「立ち上がれ、行け!」と励まさなければならない。遠すぎず、近すぎない距離を見つけるところでファブリツィオが関わってくれました。彼女のことが解っていながら、ときにはとても形式的に「行け、立ち上がれ」と励まし、命令をします。ときには妻を騙してでも、彼女を無理やり動かします。この映画はある角度からは、ラブストーリーだと見ることもできます。最終的にはそう見えるのではと思います。

マリオン・コティヤールと僕たちの間で起きた化学反応
マリオン・コティヤールさん起用の理由と、サンドラを演じるにあたって最も要求したことは?
JP:マリオンに求めたことは、馬鹿げたように聞こえますが、よい俳優であることです。国際的なスターですが、僕たちのファミリーの中に完全に入り込むこと。それによって彼女自身も自分を豊かにすることができます。ファッションアイコンであり、国際的なスターである彼女が消えて、「サンドラ」になること。それが私たちが望んだことでした。マリオンを起用した理由は、初めて会ったとき不思議なことが起きて。とある場所のエレベータの中ですれ違い、すぐに彼女と一緒に仕事をしたいと思いました。そしてマリオンも同じように思ってくれていたんです。
相思相愛ですね。作品を観ても、現場では何らかの化学反応が起きたのだろうとうかがえます。現場で特別扱いをしなくてもいい女優だったということ、コティヤールさんから提案があったと記者会見(2015年3月25日)で話されましたが、具体的にどんな提案だったのでしょうか。
L:いま言われた「化学反応」という言葉通り、マリオンと僕たちの間で何かが起きたことは確かです。彼女の近くに居て、彼女からインスピレーションを受けて僕たちが演出を決めたこともあります。次回作は違いますが、また彼女と作品を作りたいと考えています。マリオンからの提案の例はたくさんありますが、「サッカー場のシーン」もそのひとつ。サンドラの同僚のティムールが、リハーサルでは1回だけ転ぶことになっていましたが、撮影本番では2回転びました。そのときサンドラが驚きの反応をしたこと、それはマリオンの提案です。例えば2回転んだとしても「ただ見ているだけ」という反応もあったのに、「驚きの反応」をした。それがすごくよかったのです。瞬時にカメラは彼女の上から彼女の身体の動きを捉え、サンドラの中から自然に湧いた強い感情が強調されます。本当に細かいことですが、映画のショットはそうした細かいところから出来上がります。
サンドラの衣装やヘアスタイルについて教えて下さい。ピンクのタンクトップが印象的でした。
L:マリオンは最初から「私のことは監督たちの好きなようにしていいです」と言っていました。リハーサルで考えたのは「自分で整えられる簡単なヘアスタイル」というものでした。あまりにも病的な感じではなく、顔をはっきり出して、後れ毛が顔にかかってもよく、決まりきった感じではなくて、自然な髪の流れを活かしたスタイルです。衣装ですが、ピンクを選んだのは、彼女に輝きを与えたかったからです。鬱が残り、ほとんど存在感が消えそうな状態でも、何か輝くところを出したくて選び、マリオンも気に入って決まりました。もうひとつのオレンジ色のタンクトップは、マリオンがちょっと変化をつけるために選んだもの。衣装担当のマイラ・ラムダン=レヴィと一緒に、リハーサルの間、1ヶ月くらいかけで衣装を選びますが、とても楽しい時間です。

子供たちにチャップリンや黒澤明、溝口健二作品をもっと見せるべき
現在の日本の社会の現実を考えると、ひどく「無力感」に襲われることがあります。「連帯」という言葉が浸透しているヨーロッパと比べると、日本では「自己責任」という言葉の陰で労働者が孤立し、「連帯」が理想でしかないように思えたりします。お互いが繋がれる「連帯」を日本で育てるためにできることはないのかと考えますが、監督たちはどうお考えでしょうか。
JP:僕を総理大臣に選んで下さい。日本国籍をとって総理になりましょう!
L:それなら僕は社会問題担当大臣になります!
JP:いまのはジョークですが(笑)、まず「連帯」が成立することを望む意思が必要でしょう。日本社会においての連帯の歴史についてよく知りませんが、労働組合が作られ、会社と連動していると思っていました。それが連帯を作ると思っていましたが、違うのでしょうか。例えば水俣病問題では、会社に対して裁判を起こすなど、正義を求める連帯があるというイメージをずっと持っていました。それは間違いでしょうか。ヨーロッパから見ると、例えば福島原子力発電所の事故の際も、そこに何らかの連帯が生まれているという印象を持ちました。確かに労働運動の歴史はヨーロッパと日本は随分違うとは思います。でも安心していただくわけではありませんが、ヨーロッパにも個人主義が広がっています。経済状況の困難が原因で社会が個人主義的になり、他者に対して敵対するように感情を駆り立てているような気がします。いま私たちが生きている世界が、人間を個人主義に向かわせるようなシステムになっているような気がします。
L:家庭や学校での教育、とにかく「教育」がとても重要だと思います。連帯を持つことを教育すべきだと思います。日本は子供たちに映画史上で重要な作品、例えばチャップリンなどの作品を子供たちが観に行かないと聞いています。黒澤明や溝口健二監督作品のような、人間の尊厳、連帯、互いに助け合うことを教えるような人道的な映画を子供たちに見せる、そういうことから始めるべきだと思います。自分だけ、自分の家族だけではないということを教えるべきです。それなのにいま学校では、進学競争や成績競争が拍車をかけ、他人はライバルだということを植え付け、教育が全般的に他者を無視するような方向に進んでいるような気がします。人よりもいい車を持つというような物欲、競争主義に陥る、そんな社会になることはとても馬鹿げていると思います。
「アジアの太陽光パネルに勝たなくては!」というセリフがありましたね。
JP&L:それですね。
(このインタビューは2015年3月26日に行われました。)
プロフィール
Jean-Pierre Dardenne(兄)は1951年4月21日、Luc Dardenne(弟)は1954年3月10日、ベルギーのリエージュ近郊で生まれる。リエージュは工業地帯であり、労働闘争のメッカでもあった。ジャン=ピエールは舞台演出家を目指してブリュッセルへ移り、そこで演劇界、映画界で活躍していたアルマン・ガッティと出会う。その後、ふたりはガッティの下で暮らすようになり、芸術や政治の面で多大な影響を彼から受け、映画製作を手伝う。原子力発電所で働いて得た資金で機材を買い、労働者階級の団地に住み込み、土地整備や都市計画の問題を描くドキュメンタリー作品を74年から製作し始める。75年にドキュメンタリー製作会社「Derives」を設立。78年に初のドキュメンタリー映画“Le Chant du Rossignol”を監督し、その後もレジスタンス活動、ゼネスト、ポーランド移民といった様々な題材のドキュメンタリー映画を撮りつづける。86年、ルネ・カリスキーの戯曲を脚色した初の長編劇映画「ファルシュ」を監督、ベルリン、カンヌなどの映画祭に出品される。92年に第2作「あなたを想う」を撮るが、会社側の圧力による妥協の連続で、ふたりには全く満足できない作品となってしまう。前作での失敗に懲りた彼らは、第3作『イゴールの約束』では決して妥協することのない環境で作品を製作、カンヌ国際映画祭国際芸術映画評論連盟賞をはじめ多くの賞を獲得するなど、世界中で絶賛された。続く第4作『ロゼッタ』ではカンヌ国際映画祭で最高賞にあたるパルムドール大賞と主演女優賞を受賞、本国ベルギーでの成功はもとより、フランスでも100館あまりで公開され大きな反響を呼んだ。さらに02年、第5作『息子のまなざし』でもカンヌ国際映画祭で主演男優賞とエキュメニック賞特別賞をW受賞。05年カンヌ国際映画祭にて第6作『ある子供』では史上5組目(他4組はフランシス・F・コッポラ、ビレ・アウグスト、エミール・クストリッツァ、今村昌平、2012年にミヒャエル・ハネケが2度目の受賞)の2度目のパルムドール大賞受賞者となる。第7作『ロルナの祈り』では08年のカンヌ国際映画祭において脚本賞を受賞、第8作『少年と自転車』は11年の同映画祭グランプリを受賞。史上初の5作連続主要賞受賞の快挙を成し遂げた。そして本作『サンドラの週末』で異例の6作品連続のカンヌ国際映画祭コンペティション部門出品を遂げた。近年では共同プロデューサーとして若手監督のサポートも積極的に行っており、マリオン・コティヤールとは共同プロデューサーとして名を連ねた『君と歩く世界』で出会った。名実共にいまや他の追随を許さない、21世紀を代表する世界の名匠である。
寄稿家プロフィール
ふくしま・まさよ/航空会社勤務の後、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』コラム執筆。桑沢デザイン塾「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター。産業技術総合研究所IT科学者インタビューシリーズ『よこがお』など。