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Interview

116:ロウ・イエさん(『二重生活』監督・脚本)
取材:福嶋真砂代/構成・文:松丸亜希子
Date: February 03, 2015
ロウ・イエさん(『二重生活』監督・脚本) | REALTOKYO

天安門事件に関わる題材を扱った『天安門 恋人たち』で中国の電影局から5年間の映画製作及び上映の禁止処分を言い渡されたものの、屈することなく『スプリング・フィーバー』と『パリ、ただよう花』を作り、国外で公開したロウ・イエ監督。そして、禁令から解放された後に中国で撮影し、久しぶりに国内での公開が叶ったのがこの『二重生活』だ。これまでの作風とは異なるエンタテインメント要素の強い作品だが、果たして今回は電影局とどのようなやりとりがあったのだろう。表現の自由を求めて闘い続ける監督が、その内幕について静かな語り口で熱く話してくれた。

ブログに想を得て、社会の写し鏡になるよう脚色

昨日、宮台真司さんとのトークショーも興味深く拝聴しました。禁令後の初作品ですが、禁令以前と今回では監督の気分や意識に変化がありましたか。

 

今回、私はとても感動していました。なんといっても中国で公に撮影ができるわけですし、たくさんの人が私の作品を楽しみにして、大いに期待してくれていることを知って、本当にうれしかったんです。

 

ロウ・イエ『二重生活』 | REALTOKYO

カメラアングルが俯瞰だったり、誰かの視点なのかなと思えるようなものがあったりと印象的でした。映像や演出へのこだわりについて教えて下さい。

 

これまでもそうでしたが、なるべくドキュメンタリータッチでリアルに劇中の人物の表情や心の動きを切り取っていくカメラワークに気を配りました。中国の大都市を俯瞰して、外から見たときの全体の景観をきちんと記録として残そうという意図もありました。

 

カメラワークには不安定さも感じて、最初から最後まで心がザワザワしました。夫の不倫に悩む女性のブログに想を得たそうですね。

 

例えば原作に小説やルポルタージュなどをもってくると、目覚しく変化する中国の状況についていけない部分も出てきます。ネット上では、生活がリアルタイムで切り取られて書かれています。小説だと審査とも関係してくるということもあり、そういった媒体は避けてブログを原作に脚本を書くという方法にしました。

 

そのブログには殺人事件は出てきませんよね?

 

浮気した夫を殺したいとか、相手を殺したいとか、想像上では殺人について書かれていたことがあったんです。もちろん、彼女は実際には手を下していませんが……。そこに私たちは脚色を加えて、ブログの過程を背景に、彼女の夫、その愛人、遊びで付き合う女の子、屑拾いのホームレスを登場させ、少しずつ拡大していったんです。脚本の中に織り込まれた様々な人物は現代の中国社会に存在しているような雰囲気で、そこから中国社会が写し鏡になるように作っていきました。これは、単にある男の浮気に端を発した物語というだけではないのです。

 

ロウ・イエ『二重生活』 | REALTOKYO

監督のこれまでの作風とはちょっと違う印象もあり、それが面白くてドキドキしました。中国での検閲を通すことを念頭に置いていたのでしょうか。宮台さんとのトークで暴力シーンが検閲に引っかかったとお話しされていましたが、削除については納得されたでしょうか。

 

以前の私のスタイルとはまったく違うものだと、中国のマスコミもとても驚いていました。中国の現状に合わせて採用したスタイルなのですが、中国はどんどん変化しているので、こんな作風がふさわしいと思ったんです。現代の中国は賑わいを呈していて華やかだけど、その中で様々なミステリーが起きて、原因がわからないまま埋もれてしまうことがある。こういう感覚がこの作品を作る動機になりました。しかし、ただのミステリーではありません。シャオミンがなぜ殺されたのか、犯人は誰なのかということを普通のミステリーのように明らかにしていませんし、アメリカ映画のジャンル分けを中国映画にそのまま取り入れることに私は反対です。それぞれの社会で異なって当然で、それをはっきりとあるジャンルに特定できないと思うんです。しかも被害者・加害者、犯人が誰かということも示していない。中国社会ではそういう状況が起きていて、いろいろなことに対して責任逃れをするという、それが中国には普遍的に存在しているんです。

 

ロウ・イエ『二重生活』 | REALTOKYO

中国電影局との闘いの果てに

2012年の5月にカンヌ国際映画祭に出品し、ある視点部門のオープニング作品として上映されました。電影局の審査を通ってカンヌに出せたというのに、中国での公開40日前になって修正の通達が届いたんです。まず、ヨンチャオとサン・チーのベッドシーンを削ること、それとヨンチャオがホームレスの男をスコップで叩くシーンがありますが、13回スコップを振り下ろしているのを3回に削ること。そんな文書が届きました。受け取ったのは午後だったのですが、私は誰にも相談せず、その2時間後に電影局の文書をネット上で公開しました。「こんな通達が届いたが私は受け入れるつもりはない」というコメントを付けて。反響があり、多くの人は私のやり方を支持してくれました。電影局側も、まさか通達をそのまま公開するなんて予想してなかったのか驚いていましたが、その後17日間にわたって電影局とやりとりした文書、電話のやりとりもすべてウェイボー(中国のSNS)で公開しました。電影局とのやりとりは監督たち全員がやっていることです。ほかの監督たちはそれを公開しませんでしたが、私が公開したことで電影局と監督の審査を巡るやりとりがどのように行われているのか、人々は初めて知ったのです。如何にこれがでたらめで無意味かと多くの人にわかったのではないかと思います。17日目に電影局の指導者が私に会いたいと言ってきました。会ってみると、電影局としてはとても困っている、こういうことにどう対処したらいいかわからないとのこと。こちらも公開が迫っていてすでにチケットを販売していたので、お互いに譲歩して妥協点を見つけようと話し合いました。最初に出してきた修正内容について電影局は撤回し、私のほうも譲歩として13回振り下ろすシーンの後半をフェイドアウトでぼかしていくことにしました。そして書面を拒否して、抗議の意思を示したんです。これら一連の『二重生活』事件を境に、電影局はこれまで文書で出していた修正意見を電話でするようになりました。文書で届くものもありますが、文言がとても丁寧になりましたよ(笑)。

 

ロウ・イエ『二重生活』 | REALTOKYO

審査を通さずに国外で公開することもできますが、やはり今回あえて中国でと思われたのは?

 

なんといっても私の映画は中国語の作品なのですから、中国で母語のわかる人に観てもらいたかった。そういう人たちがここで生きているわけですから。ここで撮った映画は、やはりここの人たちにまず観てもらいたいという気持ちです。

 

電影局からの通達は予想されていましたか。

 

カンヌに送った時点でパスしていたのに、また言ってくるというのは意外でしたよ。カンヌでの上映時に電影局の龍のロゴが出て、「おお~、出た~!」とみんなで喜んでいたというのに(笑)。

 

少し審査がゆるくなっているとか、明るい兆しは感じましたか。

 

確かにそれはあります。06年に『天安門 恋人たち』で処分されたときと比べると、電影局もかなり進歩したと思います。監督と話をしようと、そういう姿勢があり、いまの中国の映画界のように、マーケットが活況を呈していると審査もゆるやかにならざるを得ないんじゃないかと思います。どっちの方向に行くのか、ゆるむのか、引き締められるのか、それはわからない。ゆるくても審査は存在するのですから。審査があるということに変わりないですね。

 

ロウ・イエ『二重生活』 | REALTOKYO

誰も社会の責任から逃れることはできない

不倫のテーマ以外のところで深いメッセージ性を感じました。監督として、どの辺りに力を注がれたでしょうか。

 

登場人物たちは、現代中国のどこにでもいるような人物の系譜といっていい。そんな、いろいろな人物を集めてひとつの社会を、現代中国を描きたいと思っていました。シャオミンを殺したのは誰なのかという点ですが、直接彼女を死に至らせた者は誰でもない、出てくる人たちが共謀して彼女を死に追いやったということがいえます。すべての人に彼女の死に対しての責任がある。警察さえも、もっと積極的に捜査すべきなのにやらなかったのだから、彼らも責任を逃れることはできない。メッセージとしては、この辺のことを伝えたかったんです。中国のマスコミからも公開のときに、ひとことで言うなら、どういう映画なんですかと聞かれました。共謀で1人の人間を殺した物語だと。加害者は存在しない。誰もが責任を負うべき事件である。そう答えました。誰もが責任を負うべきというのは、誰も責任から逃れることができないということ。誰もがこの社会に一緒に生きているのだから。それが中国公開時のコピーにも使われました。もし中国社会が暗いものなら、その暗さをつくったのは中国人全員なのだと。17日間の電影局との折衝を通して、これもウェイボーを通して伝えたことなのですが、審査の存在自体が問題であり、この問題に対してはみんなが責任を負うべきだと書きました。審査が存在していることについて、監督ひとりひとりが責任を負わなければいけないのです。

 

(このインタビューは2015年1月25日に行われました。)

 

プロフィール

Lou Ye/1965年、劇団員の両親のもと上海に生まれる。85年、北京電影学院映画学科監督科入学。80年代から90年代初期にかけての上海の満たされない若者たちを撮った卒業製作映画『デッド・エンド 最後の恋人』(94年)は、中国の伝統と典型的な中国文化に重きをおいた第5世代の監督たちの作品とは一線を画した作品で、中国映画史上、最年少の作家が集まって製作した点でも話題となり、96年のマンハイム・ハイデルバーグ映画祭で監督賞受賞。95年、ほかの第6世代の監督らと共にテレビ映画のプロジェクト「スーパーシティ・プロジェクト」を企画。プロデューサーとして、若手監督に心ゆくまま自分の撮りたい作品を撮るチャンスを与えた。彼自身が手掛けたサイコミステリードラマ『危情少女 嵐嵐』(95年)はテレビ用の長編映画だが、ナレーションなしに作られ、その演出は中国のテレビ映画界に衝撃を与えた。98年、自らの会社ドリーム・ファクトリーを設立。中国初のインディーズ映画製作会社となる。第2作目、上海の通りで秘かに撮られた『ふたりの人魚』(00年)は中国国内で上映を禁止されながらも、2000年のロッテルダム国際映画祭とTOKYO FILMeXでグランプリを獲得。続く『パープル・バタフライ』ではチャン・ツィイーや仲村トオルらを起用し、カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に正式出品された。89年の天安門事件にまつわる出来事を扱った『天安門 恋人たち』(06)は、06年のカンヌ国際映画祭で上映された結果、5年間の映画製作・上映禁止処分となる。禁止処分の最中に、中国では未だタブー視されている同性愛を描いた『スプリング・フィーバー』が、第62回カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞。パリを舞台に、北京からやってきた教師と、タハール・ラヒム演じる建設工の恋愛を描いた『パリ、ただよう花』は第68回ヴェネツィア国際映画祭のヴェニス・デイズ、および第36回トロント国際映画祭ヴァンガード部門に正式出品された。11年に電影局の禁令が解け、中国本土に戻って撮影された本作『二重生活』は、第65回カンヌ国際映画祭ある視点部門に正式招待。第7回アジア映画大賞(アジアン・フィルム・アワード)で最優秀作品賞ほか3部門を受賞。中国現代文学の代表的作家でありロウ・イエと親しい友人でもあるピー・フェイウー(畢飛宇)の小説を原作にした『ブラインド・マッサージ(英題:Blind Massage/原題:推拿)』は第64回ベルリン国際映画祭銀熊賞(芸術貢献賞)を受賞。日本では14年9月にアジアフォーカス・福岡国際映画祭で先行上映された。

インフォメーション

二重生活

1月24(土)より、新宿K’s cinema、渋谷アップリンクほか全国順次公開

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/nijyuu/

寄稿家プロフィール

ふくしま・まさよ/航空会社勤務の後、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』コラム執筆。桑沢デザイン塾「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター。産業技術総合研究所IT科学者インタビューシリーズ『よこがお』など。

寄稿家プロフィール

まつまる・あきこ/1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中にREALTOKYO創設に携わり、副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。