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Interview

115:ウベルト・パゾリーニさん(『おみおくりの作法』監督・脚本・製作)
聞き手:福嶋真砂代
Date: January 24, 2015
ウベルト・パゾリーニさん(『おみおくりの作法』監督・脚本・製作) | REALTOKYO

独りひっそりと亡くなる人の弔いを仕事とする男を描く『おみおくりの作法』。ガーディアン紙の記事に着想を得たウベルト・パゾリーニ監督は、小津安二郎監督に思いを馳せ、静謐でミニマムな映像でリアリティに拘り作り上げた。主人公ジョン・メイを演じる熟練俳優エディ・マーサンの、静かな説得力が強烈に印象に残る。社会問題となる深刻で重要なテーマだが、インタビューにもにじみ出る監督自身の独特のイギリス的(+イタリア的)なユーモアを随所に潜ませ、笑いを誘い、心を温めてくれる。時折ジョークで煙に巻きつつも、自身の生活を反映しているという作品への思いを丁寧に教えてくれた。

 

※記事の後半部分でエンディングに触れているところがあります。

もし小津安二郎監督が存命だったら……

ジョン・メイのキャラクターについて、細かいディテールに至るまで繊細に描かれていました。キャラクターを作るためにどれくらいのリサーチをしたのでしょうか。モデルの存在は? エディ・マーサンさんとのコラボレーションはどのようにしましたか。

 

ジョン・メイのキャラクターはやはりリサーチから生まれたものと言えるでしょう。7ヶ月間に及ぶリサーチの中で、特に南ロンドン地区を担当しているふたりの方を追うような形で、オフィスの仕事ぶりから亡くなった方のお宅訪問、それから調査にもついて行きましたし、お葬式から火葬の現場にも立ち会いました。今回の主人公のような、個人個人にちゃんと人間として敬意を払って扱っている方や、同時にジョン・メイの後任の女性のように官僚主義的な葬儀に立ち会わない方もいました。やはり惹かれたのは前者でした。キャラクターの生活ぶりについては、実は僕自身の生活ぶりが反映されています。ディテールに拘ったり、すべてがオーガナイズされていたり、時間を守ったり、ひとりで食事をするところです。ただ、主人公と僕の違う資質は寛大さで、他人に対しての思いやりは僕が持っていないものなのです。エディは求められればデリケートな演技ができる役者です。もし小津安二郎監督が存命だったら、ぜひ一緒に仕事をしたい俳優だろうと思いますね。今回はストーリー自体が、静かで絞り込まれた演技が必要とされる役で、彼しかいないだろうと脚本をアテ書きしました。モデルがいるかどうかについては、自分があのような仕事をしたらどうだっただろうかという気持ちで書いたとも言えます。

 

ウベルト・パゾリーニ『おみおくりの作法』 | REALTOKYO
(c)Exponential (Still Life) Limited 2012

この作品は「孤独死」をテーマとしていると思いますが、英国社会や時代背景に対しての考えもあったでしょうか。

 

この映画を作るきっかけは、ジョン・メイがやっているような仕事をしている人の短いインタビュー記事をガーディアン新聞で読んだことです。それまであまり独り暮らしの人が孤独死をしていることを考えてみたことがなかったのですが、それはどういうことなのか、生においても死においても忘れられた人がいること、それについてもっと知りたいという社会的好奇心から始まっています。先ほど話した調査のプロセスの中で、社会的な興味から入ったにも関わらず、よりパーソナルなものになっていきました。独りで生活し、周りの人と関わらないことはどういうことかとさらに踏み込んで、あえて人とコンタクトを取らない、または他人が関わろうとしたときに、心の準備ができているのか、そのようなことを考えるきっかけになり、どんどんパーソナルになっていきました。他者に関して興味が持てないとはどういうことかと考えるうち、結果的にはいままで制作したどの作品よりもパーソナルなものになったと思います。エモーショナルな点では作るのが困難な映画ともいえます。(注:通訳者によると「孤独死」と「孤立死」は異なり、英語には「孤独死」に当たる言葉は無いとのこと)

 

ジョン・メイの仕事について、どこまでがリアルでどこからフィクションなのでしょうか。

 

すべてがリアルだといえます。さすがにオフィスは本物を使わせてもらえなかったのでまったくのコピーで、実際のオフィスの窓やグレーの壁などもコピーしています。仕事の内容もまったく一緒で、調査のやり方や、亡くなった後に時間が経っていた場合は、あのように防護服を身に付けるとか。お葬式も大抵の場合は親類縁者が来なくて、ひとりで参列することが多いです。土葬は6人くらいが一緒に葬られて、名前が記録されずに番号だけが表示されるというあたりも現実に即しています。お金を残さずに孤独死される方が多く、コストもかかるから火葬を進めようという話もあります。僕は想像力がないからそんなことを空想で作れません(笑)。

それから、当時、実際にウェストミンスターの職員がケンジントンとチェルシー地区の担当を兼任しなければいけないことがありました。まさにジョン・メイが首を切られたという状況も、実際に起きたことを参考にしています。

 

ウベルト・パゾリーニ『おみおくりの作法』 | REALTOKYO
(c)Exponential (Still Life) Limited 2012

ほかの登場人物でも実在の人を採用していますか。

 

リサーチの間に出会った人々が反映されていると思います。ケリー(ジョアンヌ・フロガット)という女性が出てきますが、10年ぶりに父親から突然電話がかかってきたという、父親と疎遠だったという女性に聞いた話が元になっています。またフォークランド紛争で戦った老人の話は、読んでいた文献を元にしました。僕の家の近所の公営住宅に住んでいる人たちに聞いた話も参考にしています。フィッシュ&チップスの作り方は実地で学んだけどね(笑)。現実を理解するために現実が必要で、それを演出する作業の中でリアリティを理解することが必要。加えてインスピレーションもリアルライフを元にすることが必要で、僕には発明力がないので「盗む」「使う」という手法が必要なんです。

 

元妻とのコラボレーションは難しかった!

音楽について、元奥様のレイチェル・ポートマンさんとのコラボレーションはどうでしたか。話し合いをしながら作られたのか、それとも全面的に任せていたのでしょうか。

 

とても難しかったですよ。彼女は元妻で、とても才能がある人ですけど、元夫との仕事はいろいろと余地を与えられないし、ほかの監督よりぞんざいに扱われるとクレームがありました(笑)。今回は、色彩設計にしてもだんだんと色づくように、カメラワークも最初は動かなかったのが動くようになり、同様に音楽も、だんだんと多用され複雑になっていくことを意識して話し合いました。音楽については、最初は僕も違う考えがありましたが、彼女に押されて従いました(笑)。

 

ウベルト・パゾリーニ『おみおくりの作法』 | REALTOKYO
(c)Exponential (Still Life) Limited 2012

実に面白いタイミングで出演する銅像2体が印象的でした。偶然撮影中に見つけて使ったのですか。

 

細かいところまで観てくれてありがとう。黄色のコートを着ている銅像は、港町をリサーチしている最中に見つけました。ジョン・メイにとっては、生者と死者との対話の中で会話が生まれ、動かない銅像と出逢うことも会話の一部なのです。だからといって何かのメタファーではありません。彼が初めて経験する世界を表現するときに使っているのですが、海辺に行ったことがない彼があの像に出逢い、フィッシュ&チップスに出逢い、石を投げる行為があったりする。オフィス勤務の彼が経験したことのない世界を表現すること、もうひとつは彼が違う場所にいるという違和感の表現でもある。ただその違和感は彼から来ているのか、銅像から来ているのかはわかりません。

ほかにも、駅のホームで恋人同士の会話を彼が耳にして、自分の知らない世界があるのだと小さく気付いた感じでカフェに入ると、ティーの代わりにチョコレートを勧められる。いつものティーじゃなくてチョコレートをそこで受け入れたのは、自分の知らない世界があるということに気付いたからかもしれない。些細な変化だけれど、それによって辿り着く場所が違ってくるわけなんですね。

 

ウベルト・パゾリーニ『おみおくりの作法』 | REALTOKYO
(c)Exponential (Still Life) Limited 2012

最初からあのラストシーンに向かって撮っていた

脚本や構成がすばらしいなと思いながら観ていましたが、エンディングに若干ショックを受けたことを告白します。あの結末を決めるまで紆余曲折はあったのでしょうか。それとも最初から決めていたのでしょうか。

 

どのエンディング? エンディングのエンディング? バスのエンディング?

 

バスのエンディングです。

 

予想を裏切るようで悪いけど、あなたの2つ目の答えが正解です。最初からこの結末を決めていて、そこに向かって物語を作っていったのです。この映画は「生」についての映画だと考えています。どう生きたらいいのか、周りの人間と関わるべきかということを含めて「生」についての映画なのです。ちょっと知的な話になりますが、文法上、「死」から始まって「生」で終わるという流れはちょっと違うのではないかということもあります。「死」や「孤独」を通して「生」を語っている映画ということ。ハッピーエンディングを願う人もいるとは思います。「やっとジョン・メイに幸せが訪れた」と思う人もいるかもしれませんが、そういうふうに思ってしまうということは、つまり、ジョン・メイのそこまでの人生がいい人生ではなかったということになってしまう。でも、僕は違うと思う。原題「Still Life」のように“もの静かな人生”というのもひとつの人生であると。彼女と出会うまでのジョン・メイの人生は“Still”であったかもしれない。でも他者にすべてを捧げてきた人生でもあるし、そこに価値がある。ケリーに会った人生にも等しく価値がある。それからの彼女とのあったかもしれない人生よりも価値があるのだと思います。簡単に考えたハッピーエンディングによって、それまでの人生が劣るように見せては絶対にいけないと思ったので、このようなエンディングになりました。

このエンディングはネガティブなものではなく、ポジティブなものだと僕は考えています。もしケリーと一緒になるエンディングであれば、終わる20分前の出会った瞬間に終わっていただろう。脚本家としてドラマツルギー的な観点で言うと、それはよくないと思いました。このエンディングに向かって物語を書いたと言いましたが、最初からカメラが定位置で、みんながやってくるのを映すという絵を描いてイメージしていたということなんです。

 

ウベルト・パゾリーニ『おみおくりの作法』 | REALTOKYO
(c)Exponential (Still Life) Limited 2012

(※このインタビューは2014年9月17日に行われました。)

 

プロフィール

Uberto Pasolini/1957年5月1日、ローマ生まれ。本作が2作目の長編映画。2008年に公開された第1作 『Machan』(未)はヴェネツィア国際映画祭、ブリュッセル国際映画祭、パーム・ビーチ国際映画祭など多数の国際映画祭で賞を獲得している。1983年に映画業界に入り、『キリング・フィールド』(85年/ローランド・ジョフィ監督)で制作助手となる。94年、レッドウェーヴ・フィルムズを設立し、ヴィンセント・ギャロ主演『パルーカヴィル』(アラン・タイラー監督)を手がける。続いて『フル・モンティ』(97年/ピーター・カッタネオ監督)を製作、国際的に2億5千万ドルもの収益を上げ、現在に至るまで最も成功したオリジナル題材のイギリス映画となった。『フル・モンティ』は数多くの賞を受賞、98年に英国アカデミー賞作品賞を受賞、アカデミー賞にもノミネートされている。そのほかの製作作品として、『ベラミ 愛を弄ぶ男』(13年/デクラン・ドネラン&ニック・オーメロッド監督)、『帽子を脱いだナポレオン』(アラン・テイラー監督)、『クローサー・ユー・ゲット』(00年/アイリーン・リッチー監督)がある。『Emma エマ』で女性初のアカデミー賞作曲賞を受賞し、本作の映画音楽も手がけているレイチェル・ポートマンは元妻、映画監督のルキノ・ヴィスコンティは大叔父。

インフォメーション

おみおくりの作法

1月24日(土)、シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー

公式サイト:http://bitters.co.jp/omiokuri/

寄稿家プロフィール

ふくしま・まさよ/航空会社勤務の後、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』コラム執筆。桑沢デザイン塾「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター。産業技術総合研究所IT科学者インタビューシリーズ『よこがお』など。