

大ヒットした自身のひとり芝居の舞台劇を映画化した『不機嫌なママにメルシィ!』。監督・脚本・主演(二役)をしたコメディ・フランセーズの俳優、ギヨーム・ガリエンヌさんが来日し、話を聞いた。映画では「ボク」と「ママ」役を演じているが、舞台ではなんと50役をこなしたのだと。奇想天外で楽しいコメディ、イマジネーション豊かな発想の源は……?『イヴ・サンローラン』で好演のベルジェ役とは対照的な今回の役、そのギャップもまた魅力。インタビュー中、めまぐるしく変わる表情、さらに聞き手の反応を全身で感じようとする鋭い感受性、繊細さが印象的だった。能舞台を演出するなど、日本文化にも造詣が深い。

ハジメマショウ!
発音がとても綺麗ですね、日本には友達がいらっしゃるのですか。
日本人と結婚しているジャーナリストの親友がこちらに住んでます。彼は2006年に僕が演出した銕仙会能楽研修所の能舞台『出口なし』(サルトル作)を立ち上げてくれました。僕は日本文学も大好き。例えば世阿弥。それから谷崎潤一郎の『陰影礼賛』や川端康成、三島由紀夫なども好きです。
日本文化の特にどういうところがお好きですか。
繊細さですね。繊細さの中の暴力性というか、パワーを秘めているところ。能舞台のときに、こうやって(やってみせながら)顔の角度を変えるだけで泣いたり、笑ったりして感情を伝える。それは還元するパワーであり、抑制の芸術であるところ、内面の芸の華というのでしょうか。僕はイギリスの寄宿学校で過ごしましたが、そこは日本と似ているところがありました。とても保守的な面と大胆な面が同居しているような、伝統を大切にしながら、新しいものを受け入れる受容の仕方。伝統を途絶えさせることなく新しいものを取り入れるところが素晴らしいと思います。それから僕は日本の女性の手が特に好きなんです。しぐさとかもよく観察してるんですよ。
手? フランス人と違いますか。
全然違います。日本女性はモノを置くときも「ドン!」と置いたりしなくて、静かに置くとかね。

ところで、この映画のオリジナルは、ガリエンヌさんが演じられたひとり芝居でした。舞台を日本で上演する予定はないのでしょうか。
残念ながらありません。舞台のストーリーを書いてから映画公開まで、7年も取り組んできました。7年というのはひとつのサイクルなので、十分やったという感じなのです。
脚本を書くのは難しかったですか。
いえ、まったく! コルシカ島でクロード・マチュー(共同脚本)と一緒に書きました。でき上がった脚本を、共通の女友達と義理のお母さんに読んで聞かせたところ、「……?」というリアクションでした。というのは最初の舞台の戯曲では、もう少し恨みつらみを書いたような内容だったのです。そのリアクションを見て「これはいけない」と書き直し、もっと明るいものにしました。
映画をお母さんが観たときの感想は?
ラッシュフィルムを観た母は、「舞台より映画のほうが好きだわ」と言いました。舞台では、僕自身がいろんな役を演じていたので、“ギヨーム”の反応を描ききれませんでした。ギヨームが受け身の人物で、リアクションをしないというところが舞台ではよく描ききれなかったのですが、映画ではギヨームの反応も描けました。それから、よりうまく“ひとりの役者”が誕生したところも映画で描けました。今回の映画はクリシェについても描いています。例えば、ギヨームがステージにいるときはペドロ・アルモドバル風にとか、イギリスでのシーンはジェームズ・アイヴォリー風にとか、よりビジュアルで巧妙に繊細に表現することができて、映画のほうがより完璧なものになりました。舞台ではあまりにもたくさんの人物を演じたので、ひとりの人物にフォーカスすることができなかったのですが、映画ではそれができました。

10年間精神分析を受けた男の悩みとは……
複雑な悩みを抱えて人生を生きてきたギヨームが、苦しみを舞台や映画で発散している潔さも個人的に感じたのですが、他人(観客)に知られることで、自分の問題は変化していくものですか? それとも、さらに問題は深くなっていくのでしょうか。
いいえ、変わらないですね。10年間精神分析を受けている男性の悩みというのは、オネショと同じこと。10年間精神分析を受けてオネショを解決しようとして、「解決されましたか」と聞かれたら「いまとなっては気にしなくなりました」とオネショを受け入れたのです。僕の映画はセラピーではありません。僕は勇気とか潔さを伝えようと思っているのではなくて、伝えたいのは、感謝と共感。このストーリーの中にはいろんな先入観やクリシェが散りばめられていますが、僕を救ってくれたのは、芝居でした。
セクシュアリティの問題、それもすごく微妙な問題について気付かせてくれた気がします。例えば、ゲイの人と「僕は女の子」と思っている人の違いの境界線は曖昧ということ。でもご自身としては、自分のセクシュアリティについてクリアになったということなのでしょうか……。
逆に聞くと、あなたの存在はクリアですか?
うっ、クリアであろうとするけれど……。
感情の部分では、クリアであろうというのはとても大切です。それ以外のことでクリアであるということの意味さえ僕にはわからないです。限界とか、境界とか、レッテルとかは僕の中にはないのです。いま女性と結婚しているのですが、将来的には男性を好きになるかもしれないし、わからない。セクシュアリティで僕自身を整理したりはしないんです。それは全然重要ではないし、僕の感情で愛情とかハートとか、自分の持ってるファンタスムで自分がどういう人間かを認定しなければならないとしたら、みんな犯罪人になってしまうでしょう。人を殺したいと思ったら、人を現実に殺してしまうかもしれない、という意味合いです。
だからお芝居が人を助けるということなのですね。
そうそう、ストーリーさえよければ、芝居に助けられることもあります。

自分からできるだけ遠ざかろうと芝居を始めた
舞台ではひとり芝居だったということですが、いくつの役を演じたのですか。
50人です。衣装などで変えるのではなくて、ちょっとしたしぐさで人物が変わったなということがわかるように。スピーディーなので汗だくで演じました。コメディのいちばん大事な要素はテンポであり、そこに自己陶酔が無いことです。
ガリエンヌさんは、よく客観的に自分を観察するのですか。
そんなことはなくて、感じるのです。僕は自分よりも他人を観察します。“感じる”という方法です。感じた後に分析します。
そのような方法はコメディ・フランセーズで習得したのですか? それとも自分で編み出したのでしょうか。
最初からです。それはある意味ひとつのゲームでもあるんです。僕は幼い頃、自分のことが好きになれなくて、他人になりたかったんです。僕自身でいたくなかった。芝居を始めたのは、自分からできるだけ遠ざかるためでした。自分以外の人になるために他人を演じたかったんです。演劇をやることで自分自身を許すことができて、自分を受け入れることができたと後で気付きました。
その自分を受け入れられない小さい頃は、お母さんの存在がとても大きかったように映画から感じました。
僕の家族では、「男はこうあるべき」というのがかなりしっかりとありました。“イケメン学”というような。父がよく「お前の兄貴はみんなカッコいいよな」と言っていました。父はスポーツ万能で、山で狩りをしたり、ボブスレーのオリンピック選手でもあったし、乗馬もできて、バイクも乗り、何でもできる人で、兄たちも同様。僕は、彼らとは全然違っていました。家系の女性たちはみんな美しく、僕は綺麗ではなかったのです。
その頃、マッチョな道を選ばずに“女性”になりたいと思ったのは自然なことだったのですか。
無意識にそうなりました。ただ、男っぽいこととマッチョなことは違うのです。僕はマッチョではないけど、妻や息子の前では男っぽくなります。それは演じてるわけではありません。僕の背中が2倍に膨れ上がるくらいに息子を守ろうとします。舞台とか映画で十分演技をしているので、人生では演技は要らないですよね。

『イヴ・サンローラン』のピエール・ベルジェ役は“ギヨーム”と違いましたが、とても胸に残りました。同じコメディ・フランセーズのピエール・ニネさんとは以前から知り合いでしたか。
いいえ。ニネはとても若く、まだ劇団に入って2、3年くらいです。僕は18年やっています。劇団では一度も共演したことはなく、映画で初めて一緒でしたが、彼はとてもよかったし、ジャリル・レスペール監督もとてもよかった。すばらしいトライアングルだったと思います。
(※このインタビューは2014年9月3日に行われました。)
プロフィール
Guillaume Gallienne/1972年2月8日、パリ近郊のヌイイ=シュル=セーヌ生まれ。実業家の父とロシア系グルジア人で貴族の血を引く母のもと、四人兄弟の三男として生まれ育つ。初等教育の後、英国での寄宿学校生活を経験。フロランの演劇学校を経てコンセルヴァトワールに入り、ドミニク・バラディエやダニエル・メスギッシュらの指導を受ける。2005年よりコメディ・フランセーズの正規団員として数々の舞台に立つ。マリヴォーの『La Mère Confidente』やジョルジュ・フェドーの『ル・ダンドン(間抜けな男)』などの当たり役をもつ。06年には銕仙会の主催による能舞台に出演するため、来日も果たしている。舞台活動に並行して、90年代より「フォルクスワーゲン・ゴルフ」などのテレビ・コマーシャルにも登場、映画はサリー・ポッターの『タンゴ・レッスン』(97年)、クロード・ルルーシュの『Une pour toutes』(99年)などに出演を重ね、00年には大ヒット作『Jet Set』に出演。ヴァンサン・ペレーズ主演の『花咲ける騎士道』(03年)、ダニエル・トンプソンの『モンテーニュ通りのカフェ』(06年)、ラディ・ミヘイレアニュの『オーケストラ!』(09年)で好演、ソフィア・コッポラの『マリー・アントワネット』(06年)にも出演。08年から10年までカナル・プリュスで『Les bonus de Guillaume』というコーナー番組のホストとして人気を博すほか、09年からはフランス・アンテールで『Ça peut pas faire de ma』というコーナー番組を担当。08年、自身の子供の頃に材を取った『不機嫌なママにメルシィ!』を舞台劇に仕立てて自作自演し、10年、優れた演劇人に贈られるモリエール賞を獲得。13年には自ら映画化して大ヒットを飛ばし、セザール賞10部門にノミネート。最優秀作品賞、最優秀脚色賞、第1回作品賞、最優秀男優賞、最優秀編集賞の5部門を獲得。交友関係の広さも有名で、バレエ界の大御所シルヴィー・ギエムのほか、『愛、アムール』へのゲスト出演でも知られる気鋭のピアニスト、アレクサンドル・タロー、また日本有数の能楽師、九世観世銕之丞らと親交を結ぶ。14年、ジャリル・レスペール監督『イヴ・サンローラン』に出演。
インフォメーション
2014年9月27日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開
配給:セテラ・インターナショナル
寄稿家プロフィール
ふくしま・まさよ/航空会社勤務の後、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』コラム執筆。桑沢デザイン塾「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター。産業技術総合研究所IT科学者インタビューシリーズ『よこがお』など。