

キン・フー映画『侠女(A Touch of Zen)』へオマージュを捧げる「A Touch of Sin」という原題が付けられた『罪の手ざわり』が公開される。来日したジャ・ジャンクー監督に最新作について話を聞いた。オムニバスを構成する4つのエピソードは、それぞれ中国版ツイッターのウェイボーで話題になった事件にヒントを得た“暴力”の話。数多の事件からなぜこの4つが選ばれたのだろうか。美しい色彩、雄大なロケーション、京劇やダンスとの融合、度肝を抜かれるジャ・ジャンクー流の武侠映画が現代の病みを映し出す。新メディアが普及し変化する中国社会、さらに映画の未来についても刺激的な言葉を語ってくれた。
冒頭のトマトのシーンは鮮烈な印象を残しました。エピソードをお聞かせ下さい。
4つの構成で成り立つこの映画の始まりを何にしようかと考えて、最終的に自分の個人的な記憶に根ざしたものにしようと思いました。あのシーンは私の故郷の山西省で撮っていますが、美術を勉強していた学生の頃に見た事故現場がショッキングで、強い陽射しの中、散らばった赤いトマトが血のように見えたのです。恐らく運転手は亡くなったのだと思いますが、アシスタントと思われる男の子が脇に立って待っていたのを見ました。僕はそのとき若くて何もしてあげられなくて、助けることもできず、「人生の中ではこういう残酷なことも起こるのだな」という思いが鮮烈に残ったのです。それでこれを冒頭のシーンにしようと思いました。

ウェイボーで話題になった出来事の中で、これら4つのエピソードを選んだ理由は?
忘れられない事件がいろいろありますが、その中で僕が気になったことを選びました。これまでの作品では、ひどく極端な事件というよりも、いわゆる日常生活の中で生き抜く様を描くことが多かったのですが、そんな状況でも、極端な暴力や突出した異質なことが発生することがあるんだなと思ったのがこの映画を撮るきっかけでした。
4つのエピソードは、極端と思われる事件の中でもそれぞれ性質の異なるものです。最初の山西省の話は社会の影響による暴力で、法律的な不公平さもあり、自分の行動を阻害され周りが取り合ってくれないというような、社会からの影響という暴力の側面でした。2つ目の話は個人に兆しているもので、田舎の窒息しそうな暮らしで自分が活き活きと生きる意味が見出せない、精神的な困難さや淋しさからの暴力でした。3つ目の女性の話は尊厳の問題です。人間としての尊厳を傷つけられ、それを守ろうとしたときの暴力です。4つ目は、暴力といっても何か隠されたようなものです。それらはすべて違う側面をもつ暴力の話ということで選びました。発生した場所ということでは、北から南へ向かって撮影しました。つまり、空間的、ビジュアル的なことも踏まえ、それぞれ異なった4つの話を選んだということなのです。
武侠アクション映画で「現代」を撮る理由
これまで描かれたような若者の行き場のなさの表現に、今回はさらに「移動」という要素を加えて、あてどなく彷徨い、どこへ行っても行き場がないというような人間の様を描いていますね。これまでの作品とは違い「移動」を描くことにしたのはなぜでしょうか。
人間が「流動する」ということはすごく大事だと思いました。誰かに冗談で、「君の映画はヒドい状況からヒドい状況へと動いて終わったね」と言われました(笑)。これまで暴力について撮りたいと思っても、なかなか撮ることができなかったのは、決め手がなかったのです。でも、いろいろ考えているうちに、中国に昔からある武侠アクション映画で現代を撮ってみたらどうだろうと考えが定まり、そこからだんだんと動き始めました。中国の武侠小説や映画の中でいちばん大事なのは「渡世人」がいることなのです。親の仇とか恨みをはらすためといった理由で動いている人々です。移動にはいくつかの理由があるのですが、出稼ぎで貧困地域から都会へ出てくるのも理由のひとつです。西の貧しい内陸部から沿岸の方へ、西から東へという動きが出てきます。可能性を探して動くことになりますが、冗談で言われたような「ヒドい状況からヒドい状況で終わったね」ということになるのです。

これまでとは趣が異なり、はっきりと起承転結のあるドラマとして魅せてくれたことは新鮮な驚きでした。とりわけ演技派のチァン・ウーさんの起用はその変化の大きな要素のような気がします。彼と仕事をすることで相乗効果や新しい発見などありましたか。
チァン・ウーさんと仕事をするのは初めてだったのですが、北京電影学院時代、僕が1年生のときに彼は3年生で、短い期間ですがすれ違っていて、そのときからこの役者さんは化けることができる役者さんだなと思っていました。ダーハイ(大海)の役は、水滸伝の「魚智深」という人のような感じと伝えると、「あ、髭があるといいね」と言って、次に会ったときには白髪の髭をはやしていたんです。そのおかげで老いてやつれて見えました。ダーハイは時代に取り残されたような、ワンテンポずれているような人物でそういうイメージも出せました。一緒に仕事をして発見したのですが、彼のユーモアがとても面白く、昔からのロシアの戯曲にあるようなちょっと滑稽な感じを僕は思い起こしました。
熟練のチャン・ウーさんのような俳優を起用する一方、最後のエピソードに出てくる若者役を演じたルオ・ランシャンさんは俳優学校で見つけたということですね。
彼を選ぶまでに時間がかかりました。広東省の労働者の役でしたが、広東省には地域的に湖南省から働きに来ている人が多いのです。深圳などで探したけれど見つからず、助監督に長沙へ行って100人近くのビデオサンプルを持ってきてもらい、それらを見て彼に決まりました。理由は言えないのですが(笑)。ルオ・ランシャンに長沙から3時間かけて来てもらい、いくつか演技してもらいました。彼は演技経験はありませんでしたが、頭の回転がとてもよい人でした。

暴力は人間の本質に根ざすものかもしれない
暴力の表現について、キン・フー映画に影響を受けたということですが、これまでの武侠映画がある種のカタルシスを観客に与えるものだったのに対して、今回の映画は逆にカタルシスを拒否して、むしろ居心地の悪さを起こさせ、観客に思考させるような感じもありました。どのような考えで作られたのでしょうか。
おっしゃる通り、僕たちが観ていた武侠映画はカタルシスが最後に起こるのですが、僕の描く暴力はカタルシスが目的ではなく、それを通して一体なぜこういうことが起こったのかという背景を考えたかったし、理解してみたいと思いました。自ずと向き合い方が違うので、受ける印象は間違いなく違うと思います。
4つの暴力の中でも、最後の暴力の結末は個人的に辛いと感じます。つまりいちばんはっきりしない暴力ですが、人間というのは程度の差があっても、長い人生の中で、ときには人を傷つけ、自分も傷つけられる。自分自身、暴力のことを理解してみたいと考えるとき、暴力というものが100%無くなるかというとそうは思わない。より文明が発達し、理性的になってある程度暴力が減ることがあっても、暴力は人間の本質的なところに根ざしているのではないかと、無力感のようなものを感じます。

監督の著書『青の稲妻』では、暴力というものについて言及されている箇所があります。『世界』の演出ノートなのですが「解るだろうか、暴力が彼らのロマンであることを」と結んでいます。今回の4つの暴力もその“ロマン”なのでしょうか、“ロマン”とは何を意味しているのでしょうか。
それを書いたことは覚えています。今回の映画での“ロマン”は、重慶の話かもしれません。奥さんが夫に「村に居てほしい」と言うと、夫は「ここはつまらない」と言う。「どうすればつまらなくないのか」と妻に問われ、夫は「ピストルを撃つときが気持ちいい」と言う。何らかの形で無力感と闘っていくのが人間だと思うけど、例えば僕は映画を撮ることで解消したりしています。間違った選択だと思うけど、男は銃声を聴くことにロマンを感じる。その感覚が本の“ロマン”にいちばん近いかなと思います。
ウェイボーと中国社会の変化、映画の未来
ウェイボー人口が中国で5億人を越えたと聞きます。日本でもツイッターのようなSNSが利用されていますが、そんな先進技術で便利になる一方、人間の心が内向きになり鬱々としていくという、社会の中に矛盾が生じる。中国でも日本と似た現象が起こっているのも映画で感じましたが、中国社会のウェイボーの影響をどう捉えていますか。
本当に良い面、悪い面の両方があると思います。ウェイボーによって人が繋がりやすくなったのは間違いないし、たくさんの情報を速く伝えることにおいて繋がっている感覚が強くなったと感じますが、一方で現実に人と向き合うという側面では逆向きのように思われます。それを表す中国の4コマ漫画があるのですが、おじいちゃん、おばあちゃん、父、母、子どもが一緒にごはんを食べているシーンで、誰も話をしていない。下を向いて子どもが端末を見ているのを両親が横から見ているという、現代の典型的なシーンです。ほかにも例えば旅行に行って大自然に触れるとき、写真を撮ってインターネットに載せることがいちばん大事になってしまい、そこで感じることは二の次になってしまうという、リアルとの関わり方が変わってきましたね。

映画では暴力を起こす側に共感を覚えることもありました。実際の事件が起こった時にはSNS上で共感が起こったのか、それとも共感を感じるような映画の描き方なのでしょうか。
ある意味では、中国の世論としても暴力を起こす側の人を理解しようとしているのではないか、かつてに比べたらそこは進歩しているのではないかと思うのです。それは善悪だけで判断するのではなく、社会は複雑なものであり、なぜこの映画を撮ったのかを考えるような社会になってきたと思います。どうしても法律上は善悪でしかないから、僕らのように映画を通して別の視点を作り、事件を理解することもいいのではないかと思います。
監督はかつて音楽や文学や演劇などあらゆるメディアを取り込めるのが映画だとおっしゃったことがありますが、ウェイボーを始め、インターネット中心に新しいメディアが出てくる中で、映画はどういう存在でであるべきと考えますか。
僕はより映画の特性が特化されていくと考えています。ツイッターやウェイボーはもちろん便利だと思いますが、外から受けるものはあくまでも情報であり、どんな情報がどれだけ増えても、それがどれだけ速く伝わっても、公共であれ個人であれ、それらと芸術やアートの価値とは代えられない。それゆえに映画はもっと特化していくだろうと思っています。
(※このインタビューは2014年4月3日に行われました。)

プロフィール
Jia Zhang-Ke/1970年、中国山西省・汾陽(フェンヤン)に生まれる。18歳の時に山西省の省都・太原(タイユェン)の芸術大学に入り、油絵を専攻。同時に小説執筆を始める。この頃、チェン・カイコー(陳凱歌)監督の『黄色い大地』を観て映画に関心を持ち、93年に北京電影学院文学系(文学部)に入学。95年に仲間と共にインディペンデント映画製作グループを組織し、55分のビデオ作品「小山の帰郷」を監督、香港インディペンデント短編映画賞金賞を受賞した。97年に北京電影学院を卒業し、その卒業制作として16mmの長編劇映画『一瞬の夢』を監督。故郷の汾陽を舞台に、すべて素人を起用したこの作品は、「卒業制作」であるにも関わらず98年のベルリン国際映画祭フォーラム部門でワールドプレミア上映され、ヴォルフガング・シュタウテ賞(最優秀新人監督賞)を受賞。そのほかプサン国際映画祭、バンクーバー国際映画祭、ナント三大陸映画祭で連続してグランプリを獲得、一躍国際的に大きな注目を集めた。2000年、35mmで撮影した長編第2作『プラットホーム』は2000年ヴェネチア映画祭コンペティションに選ばれ最優秀アジア映画賞にあたるNETPAC賞を受賞。ナント、ブエノスアイレスの両映画祭ではグランプリに輝いた。01年には、山西省の地方都市・大同(ダートン)を舞台に初めてデジタルビデオで撮影した短編ドキュメンタリー「In Public」を製作。02年にはこの大同を舞台に、監督第3作『青の稲妻』を発表。出口のない青春を描いたこの映画はカンヌ国際映画祭コンペティションで上映された。この作品以降、すべての作品がカンヌ、またはヴェネチア映画祭で上映されている。04年、北京郊外に実在するテーマパークを舞台に若者たちの孤独を描いた長編第4作『世界』を発表、ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門に出品され、トロント、ロッテルダム、バンクーバーなど世界中の映画祭で上映され好評を博した。06年にはダムの建設により伝統や文化、記憶や時間も水没してゆく運命にある古都・奉節(フォンジェ)を舞台に2人の男女の物語が綴られる劇映画『長江哀歌』と、三峡地区でロケされたドキュメンタリー映画「東」を発表。両作品ともヴェネチア国際映画祭に選ばれ、『長江哀歌』は最高賞にあたる金獅子賞(グランプリ)を獲得。日本でもロングランヒットを記録し、キネマ旬報ベスト・テン外国語映画第1位、毎日映画コンクール外国映画ベストワン賞を受賞するなど高い評価を受けた。07年には中国のファッションをテーマにしたドキュメンタリー「無用」を発表、ヴェネチア国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した。2008年の『四川のうた』では、巨大国営工場「420工場」を舞台に、ここで実際に働いていた労働者とプロの俳優を起用して420工場の思い出を語らせるというセミドキュメンタリーに挑戦。個人の生活史に中国の激動の半世紀の歴史を重ねるという一大叙事詩を作り上げ、カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された。『青の稲妻』『四川のうた』(08)に続く、3度目のカンヌ国際映画祭コンペティション部門出品となった本作『罪の手ざわり』で脚本賞を受賞。
寄稿家プロフィール
ふくしま・まさよ/航空会社勤務の後、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』コラム執筆。桑沢デザイン塾「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター。産業技術総合研究所IT科学者インタビューシリーズ『よこがお』など。