

漫画家ふみふみこ原作の3話オムニバス『恋につきもの』(『いばらのばら』『豆腐の家』『恋につきもの』)を東京藝術大学大学院映像研究科の3人がそれぞれ監督した映画が劇場公開される。特異体質、分身、幽霊……、普通と異質の境界線を乗り越えて愛を描くファンタジックな作品群。その中で夫婦の物語をミステリアスに描いた『豆腐の家』を監督した五十嵐耕平さんをクローズアップ。意表をつく近未来映画『息を殺して』や、諏訪敦彦監督に師事した東京造形大学での初長編『夜来風雨の声』など、日常を見つめる穏やかだが鋭い眼差し、歌やダンスとの唐突な融合にも豊かな映画のチャレンジをみる。企画・プロデュースの大木真琴さんと共に作品について語ってもらった。
今回のオムニバス映画の3話の中で『豆腐の家』を五十嵐さんが撮ることになった経緯は?
大木:実は『豆腐の家』の原作は、映画化するのが3本の中でいちばん難しいというか、監督たちがみんな「難しくてできない」と言って、残ったんです。最終的には五十嵐さんか一見(正隆)さんかということになったのですが、これまでの五十嵐さんの作品を観ていて、一見さんより五十嵐さんがこれを撮るということにリアリティがあるのではと思いました。脚本家との相性も合わせて考えて、「五十嵐さん、お願いします!」ということでお願いしました。
五十嵐:藝大のほかの企画と違って、このオムニバスはプロデューサー主導で行った企画で、プロデューサーの権限が強いので、逆らえないんです(笑)。

五十嵐さんとしては、初めての自分以外の企画ですね。手応えはどうでしたか。
五十嵐:どういうふうになったら自分が思う映画になるのかという算段がついてからは、実際にはそんなに苦労はしなかったです。プロット段階でひとつのアイディアができたときに、それを頼りにすればできるかもしれないと思ったんです。原作があったので原作の主題を押し進める事で、こういうふうに形作ればいいという考えが浮かびました。ちょっと話の内容に入りますけど、「外側から誰かが見ている視線」を作るということを、僕はひたすらやっただけなんです。まず映画を作る手掛かりにそれを考えました。そのアイディアが浮かんで10分間ぐらいは「できる!」と思ったのですが、その後「いや実際どうやるんだろう」って具体的なことを考えたら、また悩み出しました(笑)。
どうやって乗り越えましたか。
五十嵐:カメラマンの小川(努)くんとひたすらずっとしゃべりました。作品プロデューサーの加藤(圭祐)くんや谷上(香子)さん、脚本の磯脇(潤士)くんとも。僕はひたすら質問を繰り返して「これってどうなの?」と聞くと答えてくれました(笑)。
いい仲間ですね。カメラマンなどのスタッフもプロデューサーが決めるんですか。
五十嵐:事前にやりたいことを言い合って、お互いに合えば一緒にやるという感じです。僕としては、自由度がある人、あとは自分の仕事に集中しすぎない人、カメラマンだったらカメラばかり触っていないで、僕と話してくれる人と一緒に作りたいです。
東京造形大学時代からずっと、そうやって人と話をしながら作るみたいな作り方ですか。
五十嵐:そうですね。でも昔のほうがもっと過激といえば過激でした。僕が監督かどうかはもはやあまり関係なくて、分担せずに全員がカメラやったり録音したり役者したりしていました。でもそうやって友達同士で映画を作ってると、僕に決定権がなかったりしますから。監督っていうと普通みんなより権限あるからやらなきゃいけないと言えるんだけど、誰かが家に帰りたいと言ったらその人にも僕と同じくらい権限があるので、じゃあ今日は終わりにしましょうかという感じでした。
藝大に入ってからは権限ができましたか。
五十嵐:僕は藝大の中ではいちばん監督らしくないとよく言われます(笑)。

五十嵐作品と音楽、Sleepy Lemonについて
とりわけ印象的なのは音楽とその使い方、つまり映画の中で、唐突とも感じられるような歌やダンスシーンが挟み込まれるところです。五十嵐作品に欠かせない要素だと思うのですが、ずっと一緒に音楽を作っているSleepy Lemonというのはバンドなんですか。
五十嵐:バンドじゃなくてひとりなんです。Sleepy Lemonとは名古屋で僕が浪人しているときに予備校で知り合いました。浦和くんという人なんですけど、ほかにRolloという名前でソロでやっています。最初に作ったときは一緒にスタジオに入って、僕がドラムとベースをやって、浦和くんがギターとかやったんです。その後は浦和くんがひとりで作ってます。
音楽とシーンがシンクロしているというか、例えば『豆腐の家』では、暗いカラオケボックスでのふたりのデュエットシーンは何かがスーッと入り込んできました。そのシーンだけ切り抜いても成立してしまうほど密度が高い気がして。どうやってあのシーンが生まれたんですか。
五十嵐:脚本の磯脇くんと話したときに、磯脇くんが最初ミュージカルにしたいと言っていて、僕もそれがいいんじゃないかと思ってたんです。原作のヒロイン絹子はもう少しファンシーな女の子で、楽しそうにしてるんだけど急にすごい暗くなるというようなキャラクターだったから、ミュージカルはわりといいかもと思ってたんです。だけど曲を書いて、練習してと考えると、準備も間に合わなくて無理なのでやめました。じゃあカラオケのシーンがいいなと思って……。
ミュージカルではなくなったけど、どこかで歌を入れようと?
五十嵐:理由はよくわからないのですが、どこかで歌を入れようと思っていました。僕はミュージカルがわりと好きなんですけど、それまでドラマのリアリティを持って語られていたことが、音楽が鳴って踊り出した瞬間、全然別のところに行く、そんなふうにリアリティのレイヤーみたいなものをポーンと横断するのが好きというか、最初に撮った映画からそういうことをやってる気がします。『夜来風雨の声』は、男女がただ生活しているだけなのに、そこに治験の話が出てきて生死に関わる話になって、そのリアリティとか生活のリアリティとかいろんなレイヤーがあって、そこを横断するように歌が入っているんです。
別次元にワープするみたいですね。五十嵐さんの作品からは、どこか不思議な自由さを感じるんですけど、例えばツァイ・ミン・リャン、アピチャッポン・ウィーラーセタクンのような。五十嵐さんが影響を受けてる監督は?
五十嵐:僕はジョン・カサヴェテスが好きです。カサヴェテスは踊り出さないんですけど(笑)。ミュージカル映画ってある安心感みたいなのがあって、全然違うところに行けるみたいなことができますね。いちばん影響を受けたのは、ジャン・ルノワールの『フレンチ・カンカン』です。女の子がすごく踊ってる、半端なく踊ってるんですよね。女の子がただ踊っているのが、生きてるなーというか、身体の動きとか、声を出したりすることに単純に感動するというか、どちらかというとそれをやりたいというところがありますね。
生命感のような……。
五十嵐:はい。僕が作ってる映画はだいたい生命感がまったく感じられないような映画なので、死んでるか死んでないかよくわかんない人たちが出てたり、若いのに家の中にずっといる男女とか、そういう人たちのある瞬間の生命感みたいなものが描きたいという気持ちのほうが強い気がします。

こだわりのキャスティング、緊張の現場
今回はプロの俳優を起用していて、とりわけ石田法嗣さんの存在感がすばらしかったです。一緒に仕事をしてみてどうでしたか。
五十嵐:純粋にものすごく尊敬しました。気合いが違うなと思ってしまって。かと言って萎縮する感じはなかったんですが、僕は本当に質問が多くて、石田さんに聞くんです。こんなお芝居になりますっていう説明をして「どうですか?」って聞くと石田さんが「大丈夫です」って演じて、またそれを繰り返すという感じです。
石田さんから提案があったりするんですか。
五十嵐:わりとこちらが説明した通りに演じてくれました。僕がこういうほうがいいかも知れないって言うとそういうふうに動いてくれます。でも、言った通りにはやってくれるんだけど、演じると僕が想像したものを超えていて、「あ、こういう感じなんだ」って。現場では、石田さんの強さみたいなのを感じて、石田さんが芝居してると緊張しました。僕が言った通りに芝居しているんですけど、それを見てなんか緊張しました。
どういう演出を? 細かく動きも決めて演じてもらうのか、それともわりと自由に動いてもらうほうですか。
五十嵐:決めはしなくて、自由度はあると思います。でも『豆腐の家』に関しては、原作にあるセリフをかなり使っているので、今回初めて「このセリフはこういうふうに言いましょう」というやり方を多用しました。いままではこういう感じの内容を言っていれば、言い方とか、間とか、その人のタイミングでいいという感じだったんですが、今回は脚本通りにセリフを口に出してもらうやり方でした。
谷口蘭さんはモデルをされてて、これが初演技ということでしたね。
五十嵐:谷口さんにも特別何も言ったりしなくて、石田さんと同じようにやってもらいました。ただ、そうすると石田さんが困るということがわりと起きるのがおもしろかったです(笑)。要するに俳優としての何かみたいなものが蘭さんによって完全に崩されちゃってるんですね。それに抗おうとする石田さん、みたいな(笑)。そんな場合には、「なんで困ってるんですか?」って石田さんに聞いて、違う方法をやってみたりしました。
谷口さんは『息を殺して』にも出演しましたね。五十嵐さんが見つけたのですか。
五十嵐:谷口さんは雑誌で活躍しているモデルさんで、写真を見て「この人出したい!」って思ったんです。でも映画出演もしてないし、芝居経験もないというので、どうなるのかわからなくて。でも、僕は直感的になんとなく大丈夫だろうという気がしてました。
思い切った起用でしたね。プロデューサーはどうアプローチを?
大木:最初にその提案が五十嵐さんからあって、谷口さんの写真とCM映像を見て、私もなんかいい感触があったので、一度お会いしたんです。そうしたらご本人がもともと役者志望だったということを聞いて、「やった!」と思いました。五十嵐さんは、基本的にキャスティングの相談のときも、写真を見ただけでイエス、ノーの即答をするんです。「会ったら違う感じの人もいる」と言ってもウンと言わないですね。ほかの登場人物のキャスティングについても、担当プロデューサーが「五十嵐さんのOKが出ない」ってすごく苦労してました。そこまで役者にこだわらない監督もいるんですが、五十嵐さんはまず、完璧にこだわります。

そして今回、五十嵐さんのお父さんも出演しています。どんな経緯で?
五十嵐:実は現場には母も来ていて、もう最悪の現場でしたね(笑)。映画的な判断で、ほんのワンカットなんですけど、最初から出てもらおうと思って呼んでいたんです。
お父さんはアップで映ってますよね。お母さんも出たかったのでは?
五十嵐:出たいか出たくないかと言えば出たいと思います、息子の撮る映画ですし。
そう言えるのもなかなか凄いですね。五十嵐家は映画ファミリー?
五十嵐:父が映画ファンで、僕もその影響で映画を観ていました。でも、父は僕の映画はつまらないと(笑)。親はだいたい子供の映画を面白がらないんじゃないですか。
ぜひお父さん初出演の映画の感想も聞いてみたいですね。観客の皆さんには特にどこを観てもらいたいですか。
五十嵐:石田法嗣さん、谷口蘭さん始め俳優さんを見てもらいたいのと、あと豆腐の家ですね。実は探すのが大変で、最初見つからなくてどうしようと言っていたら、制作を手伝ってくれてた一年生の女の子の長野の別荘がぴったりで、使わせていただきました。あれがなかったら終わりでしたから、本当に見つかってよかったです。
実に白くて四角く美しかったです。
(このインタビューは2014年3月20日に行われました。)

プロフィール
いがらし・こうへい/1983年静岡県出身。東京造形大学に進学し、映画監督の諏訪敦彦氏のもとで映画を学ぶ。在学中に制作した初長編映画『夜来風雨の声』が、Cinema Digital Seoul 2008 Film Festivalにて韓国批評家賞を受賞。東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻監督領域に入学し、第八期修了制作作品として『息を殺して』(2014)を監督。
おおき・まこと/1984年東京都出身。成城大学文芸学部マスコミュニケーション学科卒業。卒業後は、舞台制作などに携わりつつも一般企業へ入社。その後変化を求め東京藝術大学大学院映像研究科に入学し、映画制作を学ぶ。映画『恋につきもの』企画・プロデューサー。
寄稿家プロフィール
ふくしま・まさよ/航空会社勤務の後、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』コラム執筆。桑沢デザイン塾「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター。産業技術総合研究所IT科学者インタビューシリーズ『よこがお』など。