

からくり時計のようなピアノ内のパーツをクローズアップで捉えた映像と、ミステリアスな物語のプレリュードとして心をざわつかせる不穏な旋律で幕を開ける本作。イライジャ・ウッド扮する若き天才ピアニスト、トム・セルズニックがコンサートの最中にスナイパーに命を狙われ、音楽ホールを舞台に息をつく暇もなく91分が駆け抜けるサスペンスだ。トムが挑むのは“演奏不可能”とされる難曲だが、作曲を手掛けたのは音楽家でもある監督ご本人。映画を観るのも大好きで多才なエウヘニオ・ミラ監督に大いに語っていただいた。
すべての鍵を握る、文字通りの「鍵」が隠されたオープニングのシークエンスに魅了されました。音楽家としての才能も発揮された作品ですが、映画監督になられたのは?
僕の両親は陶芸家で、ふたりが出会ったのはヴァレンシアでアートを学んでいたときでした。僕は幼いときからいろんなアートに触れて、ピアノを始めたのは3、4歳の頃。ひとつの言語として音楽が自然に身に付いたんです。英語もそう。映画をたくさん観ていたら、自然と話せるようになって。『ジョーズ』『E.T.』『スター・ウォーズ』を観て育った僕は80年代の産物。才能あふれる監督たちが本当にすごい作品を撮っていた時代で、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』なんて素晴らしい技量を感じる作品もある。質の高い映画が世に送り出されていた時代だったから、映画が好きになって、それで監督を目指しました。スピルバーグたちは映画へのラブレターといえる作品をたくさん作っていて、そんな彼らに影響を及ぼしたのが名匠で、それも興味深いね。監督は声を持たなければいけない。コーエン兄弟やスピルバーグには、きちんと監督としての声があるんですよ。テクノロジーの進歩も監督になったきっかけのひとつかもしれません。いまの若い世代は簡単に編集をしてアップロードもできるから、僕らの頃のハンディカムやVHSよりも、さらに飛び込みやすくなったんじゃない? 僕がいま19歳だったら、また違ったキャリアになってたかもね。

イライジャ・ウッドの音楽センスをカラオケで見抜く
音楽とサスペンスが絡まり合うユニークな物語は、脚本家ダミアン・チャゼルさんによるオリジナルだそうですね。脚本をほぼそのまま映画にされたのでしょうか。
脚本はとても素晴らしいし、美しくて、紙の上では成立している内容でした。プロデューサーからも、面白くてみんな気に入っているよと聞いていて。でも、気に入ったからにはこれをどう映像にに落とし込むのかで少し冷や汗をかいたよ。これを映画化する監督は、普通の映画の5倍の努力と仕事量を要求されるだろうと思って。観た人に信憑性を持たせなければいけないし、リアルを体感してもらえるように作ることはチャレンジだった。でも、なるべく脚本に忠実に撮ろうと。すごく複雑な面を含めて、できればそのまま映像化したいと思いましたが、実際にそれをどうやって撮るのか悩みました。セリフやキャラクターについて、脚本家と密にやりとりをして変更した部分もあるけど、事件についてはそのまま。それは、イライジャが最初に譜面に赤い文字を見て劇場スタッフに伝えようとするシーンで、反射する光で訴えかけるんだけど、なかなかシーンとして成立させるのが難しくて、けっきょくそれは撮らなかった。それ以外は脚本に忠実であることを心掛けました。映画監督も観客の1人であって、誰もが新しいものを撮ろうと思っている。そんな中でこの作品は僕にチャンスを与えてくれた特別な企画。大変だったけど、その努力に見合う作品だったよ。
すぐにイライジャ・ウッドのキャスティングが決まったとか。
イライジャとは、2010年にオースティンのファンタスティック映画祭で会って。カラオケにも行ってね(笑)。翌年に再会したとき、僕のことを覚えていてくれて、ハグしてくれたんだ。彼は地に足が着いた人。たまたま再会の2ヶ月前にこの作品の脚本を仕上げていて、そのときに「これはイライジャかな」って思っていたんです。トムは天才少年、ワンダーボーイで、イライジャも『ロード・オブ・ザ・リング』で素晴らしい演技を見せて、みんなが「その後どうするの?」って気になっていたし、彼の持っている優しい部分もこの役にピッタリだと思った。トムは最初冷たいし、共感しにくいように見えるけど、見ていくうちに段々と共感できるようなキャラクター造形になっていて、ひとつ何かが飛び抜けている存在。映画祭の後、スペインに戻ってプロデューサーに話して、彼に脚本を送ったら、すぐにやりたいって言ってくれました。幼いときに習ったピアノはすべて忘れてしまっていたみたい(笑)。でも、カラオケに行ったときにリズム感があると思ったよ。僕はミュージシャンだから、イライジャの素質をすぐに見抜いたんだ。もちろんピアノコーチについてもらって、手元のクローズアップのシーンは別にしても、90%をイライジャ自身が演じています。撮影は、シンプルな曲から徐々に慣れてもらって、難しい曲を撮りました。

ゴールを明確にした「責任ある映画作り」
“不可能な曲”「ラ・シンケッテ」の作曲において、イメージしていたのはどんなことでしょう。
音楽については、作品の一部としてうまくハマるように、そして作曲のビクターが作業しやすいように、楽曲も映画の中の出来事を支えてくれるように。音楽で流れを作っているのもあるしね。逆に、音楽のない段階からセリフなどをデザインしなければならなくて、シーンの抑揚やスピード感を測っていって、ピアノソロからオーケストラといった流れで作っていきました。先に撮ってから音楽を付けたから、すごく複雑な作業だった……。撮影の何ヶ月も前に、まず音楽がどう物語を追うのか、こんな楽曲がいいという地図を描いて、ラフマニノフやチャイコフスキーの要素を持ってきて、僕がコラージュして。その上にピアノの旋律を重ねてまとめて。求めるダイナミックさやテンポがわかりやすいものをビクターに渡して作ってもらったんだ。特にこだわったのは、「ラ・シンケッテ」だけはとにかくリアルに感じられるようにということ。ラベルなどの低音のイメージで、実際は僕が何年も前に書いた曲だから作曲という立場なんだけど、カタルシスを感じさせるような作りで、最後の15小節は本当に演奏不可能(笑)。これはスポーツなんだよ。最初の1~2分は演奏できるけど、トムが感情的に乗っていって誰にも止められない感じかな。スナイパーの呼びかけにも応えない、というような。プロデューサーがその方向性を信頼してくれたのでラッキーだったね。
撮影では、どのようなポイントにいちばん配慮されたでしょうか。
アートなどにはないツールがシネマにはあるので、それをいかに使ってストーリーを伝えるのか。それが監督の醍醐味。今回は特に同時にいろんなことが起こるので、タイミングに気を配りました。この映画は多音性だから、そこが実は元々まだ掘り下げられてない部分なんじゃないかなと思って。ひとつのシーンの中にいろんなアイディアを見せられるのが映画なので、自分はいま何を観ているのか、その裏には何があるのか。いま何が起きているのか。この作品も観る度に見え方が変わって。カメラワークもきちんとタイミングを押さえなきゃいけない。サイレント映画のような古き良きシネマも起きていることをすべて追いかけて伝えていて、この作品もそのスタイルに近いんじゃないかな。トムと犯人とのやりとりのシーンで、カメラがマイクのような役割をしている場面もあるし。すごくエモーションが伝わる作品なんです。撮影は、アーティスティックなものであると同時に科学的な面もある。プリプロダクションで、すべてをきめ細やかにデザインしてから臨むスタイルで、最初からゴールを明確にすることが大切でした。脚本などの素材を責任持って映画にするという、「責任ある映画作り」と僕は言ってるんだけど。ヒッチコックやスピルバーグがそうだったように、彼らの手にかかると元の素材を遥かに超える作品が作られていて、本当に撮りたいものが撮れる、それがわかっている監督なんです。リドリー・スコットやマイケル・マンのように、素材をベースに編集などでさらに何かを築き上げていくタイプの監督もいるしね。この作品に関しては、撮影の前に編集しようという姿勢で臨みました。そのためには何が必要なのかを最初に明確にしなくてはならなくて、撮影は8週間、クレーンの動きからVFX、モーションコントロールをどうするかまですべてを入れ込んで撮影できる準備をしています。これが20年前のハリウッドだったら3~4ヶ月必要な作品だったんだけど、短く撮り、準備万端で、とにかく新鮮でいるということを心掛けて。撮影はテイク数を重ねて正確に撮ること。元々プリプロで緻密に設計していたから、ピースを集めていく作業で、それが新しいチャレンジでした。すべての要素を押さえて撮ると同時にイライジャの演技も押さえなきゃいけない。さらにひとつひとつを試行錯誤しなきゃいけなかったんです。

見え方の違いを楽しんで
映画祭での反応はいかがでしたか。
オースティンのファンタスティック映画祭で上映されました。2005年のデビュー作でも参加しているのですが、当時よりも目に見えて成長している映画祭です。観客が映画に対して理解が深く、そういう意味でもこの作品を最初に見せる場所としてふさわしかった。この作品は、シネマというものへの僕からのラブレターでもあるから。命を狙われながらピアノを弾き通さなきゃいけないという、いままで描かれたことのない心理的なスリラーであって、うまくそれが伝わるかなと思っていたんだけど、映画を観始めて5分くらいでみんなの反応が熱くなり、うまくいったと肌で感じることができました。映画祭のレビューも99%ポジティブで、観客にちゃんと伝わってよかったです。
監督にとって映画とは?
映画は20世紀の真の表現だと思っています。まだまだこれからも新しい表現ができると思うし。尺が映画の中でキャラクターの一生だったり、1日だったり、自由自在に感じさせることができる、まるでイリュージョンのように観る人を驚かせたい。そんな映画を撮っていけたらと思います。
今後の構想はありますか。
もうイライジャと次の企画の話をしていて、それは30年代のニューヨークのアドベンチャー(笑)。お互い乗り気で、これ以上は言えないけど、実現するといいな。自分の企画や制作をどんどんやっていきたいし、監督とはまた違った表現法もしていきたい。『ゼロ・グラビティ』のように、デザイン性が求められるような。僕の中ではミスティックホラーと呼んでいる『2001年宇宙の旅』みたいな、ジャンルを新しく開拓するようなもの。秘密結社やタイムトラベルを精神面から探ることにも興味があるし、文化人や作家本人に焦点を当てるのもいいし。そして、ほかの監督の映画作りも助けていけたらと思う。

最後に、日本の観客にメッセージをお願いします。
僕は今村昌平監督が大好きで、60〜70年代の白黒映画にすごく魅せられました。資本主義へと移り変わる中での黒澤映画も面白い。スピルバーグやジョージ・ルーカスも大きな影響を受けているし。でも、僕はまだ黒澤映画をぜんぶ観ていないんです。映画祭で20本観て3本くらいしか面白くなかったときに、僕にはまだ観ていない黒澤映画があるって思えるから(笑)。侍ものとか、気持ちをコントロールして突然爆発するようなことで、魅力的な表現に繋がるのが面白いよね。日本の人たちには、多様な国民性が僕自身と似ているように感じていて。だから、観る度ごとに見え方が変わるこの作品を大いに楽しんでほしい。僕にとっても、これは特別な1本だから。スキルを持った人に偏見を持ってしまいがちだけど、そういう誤解をこの作品で解きたい。大切なのはハート、心なんだって。
(このインタビューは2014年2月21日に行われました。)
プロフィール
Eugenio Mira/1977年、スペイン・バレンシアナ州出身。音楽家、作曲家でもあり、本作の「ラ・シンケッテ」の作曲も手掛ける。初めての長編映画『The Birthday』(04)がシッチェス・カタロニア国際映画祭、ポルト国際映画祭に出品される。監督作品に『拘禁 囚われし宿命の女』(10)、セカンド監督作に『インポッシブル』(12)。また、『レッド・ライト』(12)ではロバート・デ・ニーロ扮する役の若き頃を演じるなど、幅広いジャンルで才能を発揮している。
インフォメーション
3月8日(土)より新宿シネマカリテほか全国ロードショー
配給:ショウゲート
寄稿家プロフィール
まつまる・あきこ/1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中にREALTOKYO創設に携わり、副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。