

キム・ジウン、パク・チャヌク、ホ・ジノ……、韓国の名立たる監督たちが次々に海外に進出し、新たな地平を切り拓いている。すでに2008年にオムニバス作品『TOKYO!』の1篇「シェイキング東京」で東京での撮影を経験しているポン・ジュノ監督だが、長編映画として初となる海外ロケでSF大作『スノーピアサー』を作り上げた。05年に原作のバンド・デシネ(フランスのコミック)と出合って映画化を熱望、温めてきた企画の8年がかりの実現である。日本での公開に先立ち来日した監督にお会いした。
ポン・ジュノ監督の作品は、韓国社会を軸に人間の本質に迫るというものがこれまでは多かったように思います。今回はフランスのコミックがベースのグローバルな視点に立った脚本で、海外での撮影でしたが、いつもと違う苦労があったでしょうか。
これまでは、漢江に怪物が現れるとか、80年代に実際に起きた連続殺人事件を扱うなど、韓国ローカルな内容でした。今回はそういった部分をなくして、人間そのものを描こうと思ったんです。そこに新たな意味を見出しましたし、新しい挑戦でもあり、そういったことが描けるのがSFの魅力ではないかなと思いました。せっかくこういう作品を撮るのであれば、人間の本質的な部分、それは抽象的な部分でもありますが、人間とはなんぞやというテーマに向かって直線的に描いていこうと思いました。全世界で生き残った人たちの社会を描いていて、登場人物のナムグン・ミンスをソン・ガンホが、娘のヨナを・コ・アソンが演じていますが、韓国的な人物として描いていません。韓国語を話していますが、欧米の人が観たら、この人はどこの国の人かなと思うでしょう。韓国人であることをしっかり見せる必要はないと思ったので、劇中でキムチを食べないし、韓国の伝統衣装も着ていない。そういったことよりも、より人間の本質的な部分、特に人間社会における階級、富める者と貧しい者の格差などをしっかり描きたいと思いました。今回は外国のスタッフとキャストが大半、全体の80%から90%くらいでしたが、映画を撮る上で苦労することは同じで、この映画に限らずいつでもあります。映画を作るメカニズムは基本的にどの国でも一緒です。『グエムル−漢江の怪物−』では、アメリカのCG作家、ニュージーランドやオーストラリアの人たちと一緒に仕事をしましたし、『TOKYO!<シェイキング東京>』では、100%日本の俳優たちと一緒に仕事をするという経験もしているので、その延長線上という感じもあり、さほど難しいことはなかったです。

先輩パク・チャヌク監督との駆け引き
原作の『LE TRANSPERCENEIGE』には、ずいぶん前に出合っていたとうかがいました。映画化に向け、プロデューサーのパク・チャヌク監督とは、どんなやりとりをされたでしょう。
原作に出合ったのは2005年1月。行きつけのマンガ屋さんでコミックを買って、買った日をメモしておいたんです。読んですぐ映画にしたいと決心し、パク・チャヌク監督の映画制作会社、モホフィルムに持ち込んで話をして。パク監督もこのコミックを読んで、「すごく面白いね。私もSFを作りたいと思ってたんだ」と言ってくれて、ぜひやってみようということになりました。パク監督は、今回はプロデューサーですが、元々は監督で、私たちは昔からよく知っている先輩後輩の間柄です。韓国では文化的に、後輩が何かお願いをしたら、先輩はやってあげなければいけない(笑)。私にとっては有利でしたね。僕がこういうことを望んでいるだろうとか、これを撮りたがっているだろうとか、パク監督はよくわかってくださっていたので、ずいぶん守っていただいたし、やりたいことをやらせていただきました。ふたりの間ですごく意見が合わないとか、ケンカしてでも私のやりたいようにとか、そういうことはなかったのですが、一度だけ意見が合わない部分があり、駆け引きがありました。当初彼は3Dで作りたいと言っていたのですが、僕はぜったいにイヤだと。個人的に3Dの映画の感じが好きじゃないんです。もちろん技術的なこともありますし、それをやるなら僕自身が3Dについてもっと勉強しなくてはいけない。それで、「僕はやりたくないです。監督がご自分の映画を撮るときにぜひやってください」と言いましたが、『イノセント・ガーデン』は3Dじゃなかったですね(笑)。

そんなパク・チャヌク監督の『イノセント・ガーデン』と、ポン・ジュノ監督の『スノーピアサー』、ほぼ同じタイミングで撮影していたんですよね。
そうなんです。ちょうど僕がチェコで撮っていたとき、パク監督はアメリカで撮っていて、撮影の途中でお互いに電話したりメールしたり、やりとりをしていました。プロデューサーと監督というよりも、監督同士で僕はこんなことが大変だ、いや、オレのほうがもっと大変だよと言い合っていたという感じです(笑)。
映画監督の仕事は説得すること
彼に音楽を依頼する際、監督ご自身から何か希望を伝えたりしたんですか。
彼に伝えたのは「曲を入れたい部分はどことどこか」「それらはどんなムードの場面か」ということだけでした。ポールは本当に素晴らしい仕事をしてくれたと思います。
ポン・ジュノ監督は、タランティーノ監督から「まるで70年代のスピルバーグのよう」と評されていましたが、そのスピルバーグ監督いわく、「映画監督の仕事は100人のスタッフからの100の質問に答えること」だとか。監督にとって映画監督の仕事とは?
僕はまだ5本しか撮ってないので、答え難いですね。ただ一日一日を大変な思いをしながら生きてます(笑)。スピルバーグ監督と親しい関係だったというスタンリー・キューブリック監督が、賞を受賞するときは必ず「映画を作る上でいちばん大変なことは何ですか」という質問を受けると。どう答えようか悩んでスピルバーグ監督に電話して聞いてみた。そうしたら彼は「車から降りる、その瞬間」と言ったそうです。意味わかります? 僕はすぐわかりました。撮影現場に車で到着すると、その瞬間にスタッフがわーっと集まってきて「監督、これはどうしますか」と質問攻めにあう。車を降りる前から現場では「あ、監督が来たよ」と待ち構えていて、Uターンして家に帰ってしまいたくなるくらい(笑)。現場のみんなを説得するということが、監督の重責かなと思います。自分が思っている考えをみんなに納得してもらうために説得する、もちろんみんな報酬をもらって仕事をしている人たちなので、やってくれと言えばやってくれますが、ただ黙ってロボットのようにするわけではない。特に俳優さんたちは自分自身がちゃんと理解して納得していないと、言われるままに動くということはありませんから、ちゃんと演技ができるように納得してもらわないといけません。それが映画監督にとってはいちばん大変なことで、そこが小説家や漫画家や画家とは違うところですね。

ティルダ・スウィントンが悪役なのに憎めないキャラクターだったり、女性のキャストが印象的でした。女優たちの魅力を引き出すために監督が心掛けていることは?
僕は俳優を男性、女性で区別して考えることはなく、俳優たちは性別関係なく独特で、不思議な人たちだと思っています。たぶんDNA自体が違うんじゃないかな(笑)。監督やプロデューサーは、ある程度の勉強をして、訓練をしていけばできるとは思うのですが、俳優は訓練だけでは成し得ない。何か生まれ持ったものがあると思います。だからこそ、演じる人たちを僕たちがしっかり守って、より楽な気持ちで演技に臨めるようにしてあげる必要があります。キャラクターの面で見ると、女性のほうがより賢くて強いですね。僕の映画に登場する男たちはアホっぽいから(笑)。僕を始めとして、だらしないところとか虚勢とか、そういう男特有のものがありますよね。『グエムル−漢江の怪物−』の家族はとんでもない一家ですが、ピョン・ヒボン演じるおじいさんに奥さんがいない、ソン・ガンホ演じる息子にもいない。女性がふたりいないことによって、家族がとんでもないことになってしまうというのがいい例かなと。『グエムル』で欠けていた母親という存在を、ひとつのキャラクターとして作り上げたのが『母なる証明』であり、今回の作品ではオクタヴィア・スペンサーがちゃんと母親を演じてくれています。オクタヴィア演じるターニャの息子が連れ去られ、ターニャは息子を救うためにこん棒を持って立ち向かう、あのときの爆発的な力は見ていてびっくりしました。彼女があんなふうに動くと思っていなかったから。自分の子供を返せ! という感情の部分で自然とあのような演技になったのでしょう。また、コ・アソン演じるヨナは、周りから完全に分離されている存在にしたかったんです。周囲がどうであれ自分自身がそのときどうするか、こうしたいと判断できる、そういう人物です。終盤では特に、エンジンルームに到達してから重要な役割を果たしますし、とても独特なキャラクターになっていると思います。そして、ティルダ・スウィントン演じるメイソンは、原作では中年男性なんです。ティルダとは以前からぜひ何か一緒に作りたいですねという話をしていたのですが、この作品の中に適当な役がないということで、メイソンを女性に変えました。サリー・ポッター監督の『オルランド』でも、彼女は性を超越した役柄を演じていましたから、女性でも男性でも、エイリアンでも演じられるような部分を持っているんじゃないかなと思います。

ホン・ギョンピョのカメラワークで空間を克服
キャスト&スタッフの大半が外国人という中で、撮影監督はホン・ギョンピョさんでした。キム・ジウン監督もパク・チャヌク監督もそれぞれが親しくされている撮影監督を伴って海外で撮影されましたが、そこだけは譲れないということでしょうか。
ホン・ギョンピョ撮影監督とは、『母なる証明』と『スノーピアサー』で一緒に作業しました。撮影監督は現場の核心となる存在です。映画を引っ張っていく上で監督と撮影監督は重要なコンビネーションで、夫婦の関係にも例えられますが、そこがうまくいかないと映画がダメになってしまいます。だから、キム監督やパク監督もそうしたのでしょう。ホン・ギョンピョさんはものすごいエネルギーを持っている人で、作品に取り組むときはすべてをそこに注ぎ込むタイプ。映画にすごく集中する人で、例えば撮影中に今日はオフだからどこかに遊びに行こうとか、そういうタイプではないんです。「加熱したエンジン」みたいな人です。『スノーピアサー』は激烈な映画ですが、それに耐えうる人だったと思います。とても狭い空間での撮影で、狭い上に長い。そして、ときにはヘビのようにクネクネ動き、トンネルを通り、橋の上を通るというシーンもあります。細長く狭い空間での動きや光の動きがとてもドラマチックで、こういった作品が撮れるのは、私たちにとってもいい経験だと思いましたが、細長い空間で撮り続けることへの恐怖感もありました。この中でずっと2時間の作品を撮り続けなくてはいけないのかと。「廊下映画」と言えるくらい、長く続く映画を自分たちは撮っていかなくてはいけない。車両がいくつかあって、それぞれに役割があり、デコレーションも違うのですが、基本的に構造は同じ直方体の連なりです。どう変化をつけて見せていこうかと考え、ああ、どうしたらいいんだろうと呆然としてしまうときもありました。俳優たちと全体の動きにスペクタキュラーなものがあり、登場人物も多く、俳優自体もスペクタキュラー、ともすれば同じに見えてしまう細長く狭い空間をそういった要素で克服していきました。カメラも動き、人物も動き、光も動く。トンネルを通り過ぎるときも光の動きが違いますし、車両を進むにつれて初めて窓が出てきて、17年ぶりに外を見る、そのときの光もあります。松明を持って来る、そのときの光も。光と闇をうまく使って、絢爛なものにしていこうと思い、あの空間を克服しました。

日本で映画を撮る予定はありますか。
ぜひ5、6年のうちに日本で長編を撮ってみたいですね。日本のマンガでいくつか提案を受けているものがあって、好きな俳優さんもいっぱいいますし。誰を主演にするかは秘密です(笑)。
(このインタビューは2013年12月5日に行われました。)
プロフィール
Bong Joon-ho/1969年9月14日、大韓民国出身、ソウル在住。延世大学社会学科卒業後、95年、16mm短編のインディペンデント映画『White Man』等を監督、シニョン青少年映画祭で奨励賞を受賞。同年、韓国映画アカデミーの第11期生として卒業。卒業作品『支離滅裂』の独特のユーモアとセンスが大きな話題を呼び、バンクーバー国際映画祭、香港国際映画祭に招待され、その名を知られるようになる。2000年に劇場映画長編デビュー作となる『吠える犬は噛まない』を発表。監督・脚本を務めた本作で高い評価を受け、一躍注目を浴びる存在となる。03年には、実際の未解決事件を題材にした『殺人の追憶』を手掛け、大ヒットを記録。完璧と評される構成力とその類い稀なる才能が高く評価され、カンヌ国際映画祭をはじめ、その名は世界へと一気に広がっていく。そして06年、韓国歴代動員史上1位を獲得した『グエムル−漢江の怪物−』を発表。同年のカンヌ国際映画祭をはじめ、世界各国の映画祭でも絶賛されたこの作品で、若くして韓国を代表する監督としての地位を確立した。08年には、ハリウッドからの数多くのオファーを断り、初の海外監督作品として選んだ『TOKYO!』に、ミシェル・ゴンドリー、レオス・カラックスと共に参加。3部作のうちの一編「シェイキング東京」を、主演に香川照之、そのほかキャストに蒼井優、竹中直人らを迎えて東京で撮影。日本、韓国、米国をはじめ世界各国でヒットを記録した。09年には韓国の人気俳優ウォンビンとベテラン女優キム・ヘジャを迎えた、待望の長編4作目『母なる証明』を発表。カンヌ国際映画祭ある視点部門に出品され、サンフランシスコ批評家協会外国語映画賞、ロサンゼルス批評家協会主演女優賞ほか多数の賞を受賞した。
寄稿家プロフィール
まつまる・あきこ/1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中にREALTOKYO創設に携わり、副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。