

ビートルズ公式ファンクラブの責任者だったフリーダ・ケリーがその思い出を初めて語った本作『愛しのフリーダ』は、音楽ファンのみならず観る者をうきうきさせる、ドリーミィでポップな60年代が真空パックされた逸品である。フリーダが語るコンテンツ自体が知的好奇心を刺激されるエピソード満載だったため、私はまず彼女へのメールインタビューを敢行した(『レコード・コレクターズ』2014年1月号に発表)。一方で、この「世界一有名なバンドの秘話満載ドキュメンタリー」に浮足だったところが一切なく、むしろ静謐な格調すらまとっていることにも感銘を受けた。だからといって、ぬるいまとめ方ではない。上級ファンが見ても満足できるほどの凝り方を共存させているのだ。そのあたり、監督にも尋ねたいことはたくさんあった。そして今回めでたく監督へのメールインタビューが実現した。さっそく、その成果を共有させていただこう。
『愛しのフリーダ』を見て感銘を受けました。ビートルズに関するたくさんの貴重なエピソードもさることながら、最も感動したのは「フリーダさんがずっと忠誠を貫いたその在り方」と「その誠実さがファンに対しても変わらなかったこと」です。この映画の根底に流れるのは「倫理観」「真・善・美」というもので、ビートルズはバンドとして世界一だったばかりか、そのファンクラブも世界一だったと知ることができました。フリーダの友人知人の子弟の中に、あなたやケイシー・マッケイブ(プロデューサー)といった、信頼できる映画人が育っていたということも海外のインタビューを読んで知り、その天の配剤にも感謝しています。
そのような感想を聞けて、私こそ嬉しいです。本当にありがとうございます。

製作スタッフそれぞれの役割分担は?
この映画には、プロデューサーとして、監督であるあなた自身の名と、ケイシー・マッケイブ、ジェシカ・ローソンの3人の名がクレジットされています。それぞれの役割分担はどういうものだったんですか。
3人の間でキャッチボールしながら、その時々の業務を分担してやっていきました。資金集めもそうですし、ビートルズ曲およびそれ以外の楽曲使用許諾の交渉なんかは2年かかりました。あと撮影スケジュール作成とか、いろんなロケ場所――リンゴが育った家、リヴァプール市庁舎、リヴァプールのエンパイア・シアターなどへの折衝もそうです。ビートルズの未公開写真を見つけていく作業もありましたね。1日ごとに「次にやらねばならぬ作業は何か」「誰が担当するか」を洗い出して進めていきました。
では、Co-producersとしてクレジットされているヘレン・キアンスとペギー・マッケイブの作業は? ヘレン・キアンスはエディット担当としてもクレジットされていますが。
フリーダの談話以外にいろんな写真や記録映像もありましたから、ヘレン・キアンスはそういったものの使用許諾交渉を担当してくれました。なにしろ少人数のチームで作った映画でしたから各自がいろんな業務をこなさねばならず、ヘレンは私と一緒に編集作業もしました。ペギー・マッケイブは、『愛しのフリーダ』キックスターター(資金応募サイト。企画書を見てその作品を見たいと思った人がそれぞれ可能な金額で出資者となるシステム)チームの担当で、資金集めを堅実に進めてくれました。彼女はいまも700人近い出資者との連絡係として、この映画に関する問合せなどの対応を一手に引き受けてくれています。大変な仕事です。
なるほど。ではエグゼクティヴ・プロデューサーとしてクレジットされているジェフリー・ブリッツの業務は?
ジェフリー・ブリッツは、いわばこの映画を作る際の助言者ですね。創作面からもビジネスの観点からもいろいろアドヴァイスしてくれました。

素晴らしい劇伴と、マニアックな写真セレクション
劇伴を担当したポール・コウクも見事でした。彼の作ったオリジナル・スコアは、ビートルズに詳しい人にしか作れないサウンドでした。彼はどうやって見つけたんですか。
ポールは知人から推薦されたんですが、瞬時に彼こそが適任だと確信しましたね。あの映画に感動したという感想の中には、劇伴についての言及も多いです。いくつかの曲はすごくビートルズの香り満載ゆえに、違和感なく自然に流れていきます。一方、感傷的な場面の音楽は実に美しいんですよね。だからそういった場面で「ぐっと来て泣いてしまった」という感想が多いんだと思います。
彼に音楽を依頼する際、監督ご自身から何か希望を伝えたりしたんですか。
彼に伝えたのは「曲を入れたい部分はどことどこか」「それらはどんなムードの場面か」ということだけでした。ポールは本当に素晴らしい仕事をしてくれたと思います。
劇中のビートルズの写真のセレクトや構成のセンスがあまりに素晴らしく、かなりのマニアの仕事だと感じているんですが、あなたがビートルズに詳しいのか、それともあなたにアドバイスするエキスパートがいたのか、どちらなんでしょう?
一緒にプロデューサーを務めたケイシー・マッケイブは、チーム内におけるビートルズ専門家の役割もあって、どの写真が珍しいものかパッと見分けてくれました。我々はラッキーなことにいろんな新聞社の写真、特にデイリー・ミラー紙のフォト・アーカイヴを自由に閲覧できる状況を獲得できたんです。そこで、どうせなら滅多に見ない珍しい写真や未公開写真でまとめようと決心したというわけです。何日も貴重な写真の山に囲まれながらセレクトしていきましたよ。写真はフリーダの大量の個人アルバムからも自由に選ばせてもらえましたし、ポールの弟マイク・マッカートニーからも、彼が初期のビートルズを撮った写真の使用を許諾してもらえました。アップル(ビートルズの会社)に長年勤めたトミー・ハンリーはいつもカメラ片手にいろいろ撮っていた人物ですが、彼の写真の使用許諾を得られたのも大きかったですね。

いっそ「ビートルズ関係者の回想」シリーズ化してほしい
ヘレン・キアンスさんと行なった編集作業の話にちょっと戻ります。どのエピソードを削るか、かなり悩んだと想像できますが、どうやって最終的に決断していったんですか。
編集時にはヘレンと何度も熱い議論を戦わせましたね。なにしろ40時間の素材を86分にまとめなきゃなりませんし、フリーダが語ってくれたエピソードがどれもいい話でしたから、とにかく苦渋の決断でした。
結果的に編集室の床に切り落とされたエピソードのうち、DVDの特典映像としても入らないようなものを教えていただけますか。
ビートルズのメンバーの親兄弟たちについて、特にフリーダが最も親しく付き合ったリンゴの母親エルシーとの思い出は、もっと入れたかったですね。フリーダはこうして何十年経ってから初めてカメラの前で語ることになったわけで、話し始めたら堰を切ったように数々の思い出が彼女の口から語られました。ビートルズの名声が一家にどんなインパクトをもたらしたか、フリーダから聞けたのはまさに役得といえるでしょうね。
世界中のビートルズ研究家にとって、今回お撮りになったフリーダ談話のカットされた部分が、このままお蔵入りになるのは残念でなりません。映画としての作品性などこの際気にしないで(笑)、何の構成もテーマも無しで構いませんから、素材のまま「ビートルズに関するフリーダ談話」として、すべてを何らかの形で世に残してもらえないものでしょうか。ぜひ、真剣にご検討いただきたいところです。
フリーダとも相談してみたいと思います。
映画の中で証言者として登場しているザ・マージービーツのビリー・キンズレイは、あなたの叔父さんでもあるそうですね。
そうなんです。キャヴァーンクラブやいろんな会場でビートルズと共演した、ザ・マージー・ビーツのメンバーを叔父に持つなんてラッキーな話だと思っています。
叔父さんから聞いたビートルズとの思い出は、ほかに何かありますか。
叔父が聞かせてくれた中で特に印象に残っている話に、こんなものがあります。彼がたまたまブライアン・エプスタイン(ビートルズやマージー・ビーツのマネージャー)と打ち合わせするためNEMS(エプスタインのオフィス)に行ったら、そこにピート・ベスト(当時のビートルズのドラマー)がいたので、「やあ」と声をかけた。なのにピートは返事もせず、動転している様子で部屋を出て行ったんだそうです。その後叔父は、ピートがドラマーを首にされた歴史的な場面に自分がたまたま立ち会ったことに気付いたという話でした。
そういう意味では、この作品を通して、いまやあなたはいろんなビートルズ関係者と親しくなりました。ビートルズの広報担当だったトニー・バーロウとか、もちろん叔父さんのビリー・キンズレイもそうですが、そういったフリーダ以外の関係者の談話もどんどん記録して、いっそ「ビートルズ関係者の回想」シリーズを順次発表していくのはいかがですか? ご自分がいちいち監督していたら、ほかの作品を撮る暇がなくなるとお思いでしたら、あなたはエクゼクティヴ・プロデューサーとして立って、信頼できる若手監督に任せるという形でいかがですか。
2人とももう、さんざんいろんな取材を受けてきましたからねえ。トニー・バーロウはもう引退して一切の仕事を断っている状況です。この映画だけはフリーダとの長い付き合いがあるからと、例外的に引き受けてくれたんです。だから彼が再びこういう映画に出演するとは思えないですね。ビートルズとの思い出を既に何冊か本にもしていますしね。叔父のビリー・キンズリーも同様で、ビートルズについてこれまでけっこうインタビューを受けていて、スペンサー・レイ(BBCのラジオ・パーソナリティで、数々のビートルズ本の著者)の本でもいろんなエピソードを語っています。
アンジー・マッカートニー(ポールの継母)の姿は、どのビートルズ・ドキュメンタリーでも見たことがありませんでした。ビートルズが大成功を収めた後にポールの父親と再婚した女性ですから馴染みが薄くて。だからこそ本作に彼女が登場しているのは、アンジーのような継母も含め、いかにフリーダがきちんとした関係を築いてきたかの証明だと感じました。
アンジ―はもう80代で、継母とはいえ、現存する唯一の「ビートルズの親」です。だから我々はどうしても彼女に出てもらいたいと考えました。フリーダは60年代にアンジーの力になってあげてますから、とても強い絆で結ばれていました。我々もアンジーと知り合いになれたことを喜んでいます。彼女はリヴァプール的ユーモアを持ち、いろんな思い出の優れた語り手でもありました。彼女のコメントは本作にしっくり収まっているし、いくつか面白い発言もしてくれています。

エンディング曲「ラヴ・レター」に込められた意味
本作に使われているビートルズ音源4曲はどうやって選んだのですか? それとも、本当はもっと多くのビートルズ曲をアップル(ビートルズの会社)に申請したところ、その中から4曲が許諾されたということでしょうか。
アップルからは「ビートルズの全楽曲から何でも4曲選んでよい」という形で許諾されたんです。私はその回答が届く前に、自分でビートルズ音源を27曲も選んだ「妄想リスト」を元に編集をスタートさせていたんですが、まさか4曲もの使用許諾をビートルズ側が出してくれるなんて夢想だにしていませんでした。その回答が届いてからは、「フリーダが語っている内容や、映画の全体の流れに合う4曲をどう選ぶか」が重要になってきました。結果は、素晴らしいものになったと思っています。ちなみにその4曲とは別に、ビートルズ側が「ファンクラブ会員用クリスマス・レコード」の音源の使用まで許諾してくれたことにも感激しました。あのクリスマス音源が、何かの映画に使用許諾されたのは本作が初めてだそうです。すべて、ビートルズからフリーダへの感謝の証にほかなりません。
ビートルズ以外の楽曲でも、本作には興味深い曲がいろいろ登場しています。特に私は、中盤とエンディングで2度も登場する「ラヴ・レター」(ケティ・レスター)を聞いて、ジョンのソロ曲「ゴッド」のアレンジに深い影響を与えた可能性を濃厚に感じ、はっとしました。「ゴッド」の中でジョンは「ビートルズなんか信じない 夢は終わった」と歌っています。それだけに、この「ラヴ・レター」を本作のエンディングに起用したことは、そのピュアな歌詞のみならず、この映画に関わった人全員から「解散直後の1970年にもがいていた頃のジョン(およびメンバー全員)」への「時空を超えた癒し」ではないかと感じ取ったんです。これは深読みのし過ぎでしょうか。この曲の起用について、何でもお聞かせいただければ幸いです。
「ラヴ・レター」は、フリーダのたっての希望で本作に使用した曲です。この歌はキャヴァーン(ビートルズのホームグラウンドともいえるリヴァプールのライヴハウス)のランチタイム・セッション終了時に、DJボブ・ウーラーが客出しの音楽としてかけていた曲なんだそうです。だから、この曲は彼女にとって特別の思い入れがあるわけです。ということは、ジョンにとっても同じくらい思い入れのある曲であることは確かだと思います、私の想像ですが。でも、それが彼の曲に影響を与えたかどうかまではまったくわからないですね。
現存の2人のビートルズのうち、リンゴだけがこの映画に出演したのはなぜでしょう。フリーダとの家族ぐるみの深い付き合いから、リンゴに個人的にお願いして実現したものなんでしょうか。ポールにも出演してもらう交渉自体はなさったんですか。
リンゴが出てくれて、あんなに素敵なメッセージをフリーダに贈ってくれたことについて、我々は生涯感謝し続けるでしょうね。彼のそんな優しさは、亡き母親エルシーも天国で誇りに感じていると思います。ポールはスケジュールがどうしても合わなかったんです。でも彼は本作を応援してくれて、ビートルズ曲の許諾をくれたわけですから、ポールに対しても我々は生涯にわたって感謝し続けるのは確かです。
ちなみにポールとリンゴはこの映画をもう観たんでしょうか? 彼らから何かリアクションはありましたか。
最終的な完成ヴァージョンを2人が観てくれたかどうかは不明です。楽曲の許諾申請のため、この映画のラフヴァージョンを何本か送ったのは確かですし、それに対してあのような素晴らしい使用許諾をくれたわけですから、彼らが気に入ってくれたのだと想像はしているのですが。彼らの感想をいつか知ることができたら嬉しいですね。

フリーダさんと監督がこの映画のために来日していた時期はポール・マッカートニーのジャパン・ツアーの真っただ中で、フリーダさんが東京ドームでコンサートを観たことも報道されていました。監督も一緒にコンサートに行かれたんですか。
フリーダと一緒に行ったのは彼女の娘さんのレイチェル、あとジェシカ・ローソン(プロデューサー)です。僕は行きませんでした。
フリーダさんはポールのコンサートについて何か話していましたか。
3人とも興奮していましたね。フリーダはとにかく楽しんだそうです。ポールのコンサートはずいぶん前にリヴァプールで観て以来だったとかで、久しぶりのポールのコンサートを観られたこと自体にも感動していましたね。
もし監督ご自身がポールに東京で会っていたら、どういうことを話したんでしょうかね。
そうですね、まずこの映画を応援してくれてビートルズ曲の許諾をくれたことの御礼を言います。次に、長年フリーダをスタッフそして友人として大切にしてくれたことについても謝辞を述べると思います。それがあったからこそ、彼女は50年後にこうして僕たちにたくさんの思い出を語ってくれているわけですからね。
わかりました。マニアックな質問や厚かましいご提案までいろいろ聞いていただき(笑)、本当にありがとうございました。この『愛しのフリーダ』は彼女の在り方を通して、何が「高潔」で「健全」なのかを描いてくれている映画だと思います。次回作もどうかベストを尽くされて、素晴らしい作品になるよう願っております。
私の方こそ、思慮深い質問をいろいろ本当にありがとう。
(※このインタビューは2013年12月23日に行われました。)

プロフィール
Ryan White/ピックアップサッカーを題材とした25ヶ国滞在記の受賞ドキュメンタリー『Pelada』の監督でプロデューサー。同作は2010年にSXSW映画祭でプレミア上映され、その後世界で20もの映画祭に出品されている。同作はVariety誌、New York Times紙、Sports Illustrated誌により絶賛された。同性婚に対する連邦最高裁初の判決が下される注目の訴訟の舞台裏を追う新作ドキュメンタリー『Perry v. Schwarzenegger』がサンダンス映画祭のフェローシップ・プログラムに採択された。そのほかの作品に「Capitol Crimes」(PBS放映“Bill Moyers on America”);「Dead Wrong: Inside an Intelligence Meltdown」(CNN放映)がある。デューク大学のDocumentary Studies, Film & Video, and Literatureで学士号を取得。
寄稿家プロフィール
みやなが・まさたか/1960年生まれ。集英社編集者を経て音楽評論家・映画評論家。ビートルズ研究者としても国際的に知られており、ポール・マッカートニーやヨーコ・オノ、ショーン・レノン、ジャイルズ・マーティン取材、ジョンレノン・ミュージアム展示品解説、『ザ・ビートルズ・レコーディング・セッションズ完全版』監修を手がける。レコード・コレクターズ誌にて連載中の『ビートルズ来日学』は桑田佳祐氏も愛読し、『月光の聖者達(ミスター・ムーンライト)』を書き上げたきっかけと公言している。著書に『ビートルズ大学』ほか。http://www.catchup.jp/b4univ/