

愛称“ギュウちゃん”で知られる篠原有司男はNY在住40年余のアーティスト。個性的で目立ちたがり屋の夫の陰に隠れているが、妻・乃り子も画家である。現在81歳と60歳の美術家カップルのもとに、孫ほど年の離れたザッカリー・ハインザーリング監督が通い、彼らの赤裸々な日常をユーモアを交えて映し出した。見えてきたのは有司男ではなく乃り子の、子どものような夫へのフラストレーション、こんなはずじゃなかった結婚生活とのストラグル、自分自身のアート活動に対する葛藤、そして夫と息子への深い愛情。芸術とは、夫婦とは、愛とはいったい何かと考えずにいられない。公開に先立って来日した監督に、長編デビュー作となった『キューティー&ボクサー』について伺った。
監督ご自身もブルックリンにお住まいだそうですね。ご近所だったので、篠原夫妻の家に撮影に行くのが楽だったと伺いました。
そうなんです。ふたりの家までは自転車で15分の距離で、僕が自分で撮影もしてますから、カメラを担いで行って、ときにはおうちに泊めてもらったことも。当時は昼間に別の仕事をしていたので、夜か週末に撮影していました。
プロデューサーのパトリック・バーンズさんに連れられてご夫妻の家を初めて訪れたそうですが、それ以前に篠原夫妻のことをご存知でしたか。
まったく知りませんでした。彼らの作品も知らないし、彼らが誰なのか、そのとき初めて知ったんです。その日の午後に短い映像を撮影して、それをいろいろな人に見せたところ、興味を持ってくれた人がいて、1年後に撮り始めることになりました。

まっさらな状態でふたりの世界に入り、自ら発見していく
撮影に入る前は、それほどアートにはご興味がなかったのでしょうか。
いや、そんなこともないですよ。大学で美術史を学びましたし。でも、篠原有司男という人の知名度がNYでは日本ほど高くなくて、それほど知られていないんです。それこそが撮りたいと思った理由のひとつでもあります。発見されていないストーリーを発見していく、先入観なしで自分のやり方で観客に見せられるというのが、僕にとってとても魅力的でした。そういう形だと、よりクリエイティブなコントロールもできますしね。アーティストとして有名な人を撮ったドキュメンタリーでなく、もがき苦しんでいるアーティスト像だったり、いわゆる“アンダードッグ”、負け犬のように見えながら勝ってしまうとか、そんな物語を伝えたいと思いました。
監督ご自身もまっさらな状態でふたりの世界に入っていき、面白いと思いながら撮っていったということですね。
そう、まさにその通りです。

これは映画になる! と思われたのは、短編の反応が良かったからですか。
短編の反応はひとつの指標にはなったと思うのですが、長編としていいんじゃないかと思ったのは、乃り子の『キューティー&ブリー』の絵を見たときです。もちろん、それ以前にふたりを表層的に撮っただけでもチャーミングで、ユーモアもカリスマ性もエネルギーもあり、すごくフォトジェニック。撮ってて画(え)になる方々なんですよね。乃り子は年齢に関係ない美しさがあり、有司男は“80歳の肉体に5歳の心”を持ったような人ですから(笑)。面白い題材なのですが、『キューティー』を見たときに、ふたりの関係性の幅広さであったり、彼らの関係のダークサイドというか、緊張感や恨み、後悔とか、そういう深さを感じたし、まだまだ発見できるバックストーリーがあると感じさせてくれたんです。それを描くことによって、今日の彼らがどんな人間なのかということを描けると思いました。ちなみに、アニメーションになるというのも魅力でしたが、アニメの形にすることで、ストーリーは現代なんだけど、彼らの歴史をパラレルにひも解くことができました。映画の構造自体に『キューティー』が貢献してくれたんです。もうひとつ大きかったことは、『ふたり展』、と言うと有司男に怒られそうですが(笑)、ふたりが開催した展覧会『Love Is A Roar-r-r-r』はふたりの関係の小宇宙と言ってもいいような展覧会で、大きなスペースに有司男、バックスペースに乃り子が展示をして。タイトルはふたりの愛憎のメタファーでもあると読み取れたし、この展覧会によって焦点が絞られました。そこに向かってふたりの関係を描くことで、乃り子の変化も描けるし、有司男自身に乃り子が初めて自分のアートはこうなんだと見せる機会にもなった。それに対する有司男のリアクションを見ることもできるわけです。僕が描きたかったことのひとつは、なんでこのふたりはこんなに長く一緒にいられるのかということ。それに対する答のヒントを、展示に至る過程で、ふたりのやりとりの中で感じられたというのも、大きかったんです。

炊飯器や掃除機のような存在に
監督がカメラを回していたとのことですが、撮影はおひとりで?
そのときによります。『Love Is A Roar-r-r-r』やグッゲンハイムの学芸員がやってくるシーンはカメラが2台ありましたが、大部分は僕ひとりで、ふたりにマイクを付けてもらって撮影しました。録音スタッフもいませんし、照明は時々使いましたが、ミニマムなものでした。
ふたりはまったくカメラを意識していないように見えました。お金のことなど、けっこう生々しい会話も交わしてましたし、そういう関係ができ上がるまでには時間がかかったのでしょうか。
そうですね、時間はかかりました。最初の頃はインタビュー形式で撮っていたのですが、思ったような反応がなかなか得られなくて、ジョークで返されたり、何かのプレゼンになってしまったり。もろさや複雑さがあるはずなのに、それを明らかにしてくれないもどかしさを感じました。なので、撮り方を変えて、客観的に観察するようなスタンスにしたんです。夫妻が互いにインタビューし合うような。監督はいま何を求めているのかということでなく、何気ない会話や物づくり、普通の食事風景など、日常的な風景をすべて同じ重要度のように撮影していきました。それを始めたら、次第に彼らも普通に振る舞うようになってくれたし、カメラのことも気にしなくなった。僕自身が透明な存在になり、「いま何を求めて撮ってるの?」なんてことを訊かれなくなったんです。常に僕が家にいること、何時間も撮影されることに慣れて、僕の存在を忘れ、炊飯器や掃除機みたいな存在だと乃り子に言われるまでになりました(笑)。5年間撮影したのですが、使っている映像は最後の2年か1年半の映像ばかり。自然体になってくれるまでに、それだけ時間がかかったということです。

撮影が1年半だとしても、膨大なフッテージになったでしょうね。ふたりの会話のほとんどは日本語でしたが、言葉がわからなくても問題はなかったのでしょうか。
言葉はわからなかったのですが、時々「こういう話をして下さい」と、僕がトピックを投げたこともあり、だいたいの見当はつきました。夕食をすっかり撮影してしまって、数日後に訳してもらったり、通訳の人にお願いしたりということも。観察するような、ちょっと距離感があるようなスタイルにしてからは、わりと面白いものが撮れているという自信がありました。有司男の個展の準備を乃り子が手伝っている、その反応を見るだけでも、彼女がちょっと気分を害していたり、彼らの表情や態度、リアクションを見るだけで、かなり多くを物語っていたと思うし、当時彼らが置かれていた状況が、この映画にとって重要な会話を導いてくれたと思います。どちらかと言えば、素材がありすぎて、撮れすぎて訳すのが追いつかない状況で、編集も思っていたより長い時間がかかりましたし、言葉がわからないことで僕が透明になれたのは大きかったと思います。撮りながら一言一言を分析しているわけじゃないし、こういう流れだから、ここでアップとか、そういう気持ちにはならなかったわけで、余計なことを考えずにしゃべってもらえた。自然体で撮れたのはむしろアドバンテージだったのかなという気もします。日本語を理解していたら、撮影の効率はもっと良かったとは思いますが。逆に監督として、こういう会話の流れを作りたいとか、そういう気持ちになってしまったかもしれないし、これで良かったのかなと思っているんです。

遊び心あふれる清水靖晃の楽曲でふたりの想像力を表現
観察映画といえばNY在住の想田和弘監督や、さらにフレデリック・ワイズマン監督もそうですが、この作品が明らかに違うのは音楽が饒舌だということ。清水靖晃さんのテナーサックスがふたりの感情に寄り添い、大きな役割を果たしていました。
ミニマルでシンプル、メランコリックで厳格な音楽が好きなんです。たまたま友人が清水靖晃&サキソフォネッツのアルバム『ペンタトニカ』を聴かせてくれたのですが、聴いたことがないような表現で、この個性がフィットするんじゃないかと思いました。空気感というか、軽さというものをサックスが奏で、遊び心のある気まぐれな感じは有司男的な感じで、彼の性格を表現しているような音があり、複雑なふたりの関係のシリアスな部分も感じられる。映像に合わせてみたら、想像以上に音楽とふたりのキャラクターがすごく合っていて、ユニークなものが生まれました。想像力豊かなふたりにはおとぎ話のような側面があります。ワイズマン監督や想田監督はもっとずっとストイック。音楽は使わないし、完全にその状況をドキュメントで撮りきろうというタイプの作家です。有司男と乃り子はとにかく想像力がたくましい。その資質を表現したかったんです。アニメーションもその表現のひとつですが、ワイズマン監督はそんなもの使わないでしょうね(笑)。彼らだからこそ、こういうスタイルのドキュメンタリーであっても、それくらいクリエイティブな形で音楽を使ってもいいんじゃないかと思わされたし、ふたりのマジカルなトーンを僕がプッシュしていったという点を音楽にも反映しています。“Happy Sad”というトーンを求めていて、クスッと笑ってしまうようなものとシリアスで複雑な葛藤を感じさせるようなものとを並列で見せる力が清水さんにはあり、気まぐれなものと悲しさをにじませる楽曲を作ってもらいました。遊び心あふれる音が奏でられるんですよね。今回求めていたのは、人とは違うもの。まさにそんな曲を提供してくれました。
ところで、作品をご覧になったおふたりはどんな感想を持たれたでしょう。
有司男は最初、あんまり気に入ってなかったんです。自分だけのドキュメンタリーだと思っていたみたいで、「オレの映画じゃないじゃん」って(笑)。逆に、乃り子は最初からとても気に入ってくれていました。有司男が映画の批判をする度に、如何に彼が間違っているかということを力説してくれて(笑)。次第に有司男も乃り子を対等な作家として見るようになり、この映画のことも気に入ってくれましたよ。
(このインタビューは2013年10月2日に行われました。)
プロフィール
Zachary Heinzerling/1984年生まれ。ニューヨーク・ブルックリンを拠点に活動する映画監督でカメラマン。哲学と映画研究の学位を取得し、06年にオースティンのテキサス大学を卒業。HBO(アメリカの大手ケーブル放送局)でいくつかの長編映画に取り組み、その中でアソシエイト・プロデューサーとカメラオペレーターを務めたドキュメンタリーがエミー賞3部門を受賞する。10年にはエミー賞を受賞したHBOのドキュメンタリーシリーズ「24/7」のフィールド・プロデューサーを務めた。11年には、ベルリン・タレントキャンパスに参加。同年のニューヨーク映画祭において、フィルム・ソサエティ・オブ・リンカーン・センターとIFPのEmerging Visions Programが選出する25人のフィルムメーカーのうちの1人として選ばれた。長編映画デビュー作となる本作で、13年のサンダンス映画祭ドキュメンタリー部門監督賞を受賞。カメラマンとしては、PBS(公共放送サービス)用長編ドキュメンタリー『Town Hall』の制作などが予定されている。
寄稿家プロフィール
まつまる・あきこ/1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中にREALTOKYO創設に携わり、副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。